道化師(5)
アルベールの問いに道化師はぴたりと動きを止めた。しかし、小刻みに肩を震わせ喉を鳴らして笑い始める。大きく見せるための口のペイントから、尖った歯が不気味に覗いた。
「おかしいな。貴様は無能な貴族だとばかり思っていたのに」
道化師の格好をした男――エナメル・シューは心底愉快そうにおどけてみせた。
「こういうときはなんだ、いつから感付いていた? とでも聞くべきだろうか」
「いいえ、必要ありません。私がするのは本の修復。あなたとの対話ではない」
悪役らしいセリフを吐こうとしている作者相手にアルベールは「お約束」を悉く破り捨てていく。いっそ清々しいくらいの振りきり方だった。物語としてのセオリーをぶち壊された作者としてはたまったものではない。エナメル・シューはたちまち顔をしかめた。道化師のメイクでも丸分かりだ。
銀縁眼鏡を一度あげてから、アルベールは一気に術式を展開する構えに入った。本当に問答無用、悪い腫瘍を取り除くことに専念するらしい。コートの裾がばさりとはためく。
「ふざけるな……修復士、私は知っているぞ! 強制的な治療は本を壊すことになるのだろう!?」
アルベールがわずかに眉をあげる。それに気を良くしたのか、道化師はナイフを両手に持って早口でまくしたてる。一本のナイフは役目を終えたかのように霧散した。
「ええ。ですが私はもう失敗しない」
魔方陣が展開されていく。アルベールお得意の光の檻だ。芸術作品にも似た、残酷な牢獄の顕現だ。道化師を捕らえるための術式が編まれていく。もう少し時間が必要だろうと、セレスティーヌは今までの経験から察していた。
「本の思いを受け止める。なるほど確かに本を汚した原因を分析し、適切な処置をするために行われる手法なのでしょう。けれど私にはできそうにない。私は騎士の名家ラファイエットの人間、貴族にできることは戦うことなのですから」
戦うために同情は不要である。感情移入してしまえば己の信念が揺らぐ。胸の徽章の輝きがくすむ。上に立つものは揺らいではならない。立つ場所が違うのだから、同じ目線で物を見ることが必ずしも最善とは限らないのだ。
「私は私を貫くことが、修復士としての在り方だと気付いたのです」
「ほざけ修復士ィ!」
道化師の顔が憎悪に染まる。獣のような八重歯も隠すことがなくなり、両手に握られたナイフが牙を剥いた。魔方陣を構築している間のアルベールは丸腰だ。修復士は本を治すことに特化した人間であって、戦闘に適応できる勇者ではない。
それはサミュエルもわかっていた。
虹色の世界にはアクセントになる、モノトーンのストライプが入ったマスキングテープ。それらがリボンのように道化師を取り巻き、腰回りをきつく縛り上げた。
「なッ……!」
「もう少し時間稼ぎの方法を考えた方がいいんじゃないの?」
「考えていましたよ。あなたが動いたでしょう?」
サミュエルは一瞬呆気にとられた顔をしたが、アルベールの言葉の意味を理解すると、噴き出して苦笑した。「なにそれ」と言って綿毛を揺らす。答えの代わりにマスキングテープの拘束を強めた。
「あなたは侵されている」
アルベールお得意の口上が始まった。
「何故本が修復不能になってしまうのか? その理屈は残念ながらすべて解明されてはいません。本の意にそぐわない修復が上手くいかない、という経験論しかわからない」
「そうだ、これは横暴な修復だ! 貴様が権力を盾に私を治したところでこの本は」
「この本はエナメル・シュー『全集』なのです」
何度目かの言葉をアルベールは繰り返した。術式が組み上がり、足元から一際強い光が放出される。コートがどんなに派手にはためいても、固めた髪が舞うことはただの一度もなかった。
「この本の主役はあなたではない。あなたが作った物語……登場人物たちなのですよ」
虹色の空間を楽しげに飛び回る登場人物たちが、満足げに微笑んだ。アルベールがそれぞれ名前を呼んで存在を認めた、個にして群の
「あなたがこの本を使って貴族への憎悪を表現する、そんなことを彼らは望んでいない。だから私はあなたを取り除きます。彼らの正当な表現のために、私は戦うのです」
光の檻が道化師を捉えた。一気に集束し、囚われの道化師を浄化しようと働きかける。彼の術式の強大さは履修済みだ。捕捉されれば最後、強制的な浄化が待っている。
リュカ・ラファイエットがそうだったように。しかしリュカ・ラファイエットのようにはならない。
「あ、あ……ァガアアアアアッ!!」
それは獣の咆哮に似ていた。おおよそ人が叫ぶにはあまりに野蛮で品のない、本能を露にした何者かの断末魔だった。セレスティーヌは呆然とその一部始終を眺める。
複雑な思いだった。作者が物語を歪めてしまった悲しい結末が。本は装丁をまとった時点で意思持つ存在になるのだと、聞いていたはずなのに。その権利を作者が侵してしまった悲劇だと、思った。
そして。
「サミュエル・ジュブワ」
アルベールが光に包まれる世界のなかでサミュエルに言葉を投げる。晴れ晴れとした表情の修復士は潜る前よりも堂々としていた。セレスティーヌにはそう映った。
「これが、修復士アルベール・ラファイエットです」
【七冊目:修復完了】
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