幕間:夢見のサミュ

 眠るのは好きではない、本当は。眠るのは、少し怖い。


 もちろん、サミュエルは三大欲求のうち睡眠が大きな比重を占めていることを熟知している。食事は活動する上で必要だからある程度は求められる。性欲は子供をなす緊急性がないために重要ではない。そうなれば残りの睡眠が、サミュエルの道楽になってしまう。だがそれは、やむを得ない結論だ。

 食べて、寝て、仕事して。それを一日のサイクルだと言うのなら、寝る時間が多くなる。これはサミュエル自身の体内時計に基づいた真理である。事実、図書館では昼休みをはじめ隙あらば眠りに誘われている。うとうとして夢の世界に片足突っ込むのは日常茶飯事だった。


「――――」


 ――ほら、またサミュエルが昼寝してる。いい気なもんだよな、修復士様は。眠ってても給金がもらえるんだから。才能ってやつは本当にめんどくさい――


 最後のはサミュエルが言ったのかもしれない。でももうわからない、夢と現実の境目がなくなっているのだから。

 サミュエルは好んで眠るわけではない。本に囲まれていると「誘われる」のだ。両足を黒い腕に捕まれて、見開きの活字の中にどろどろと引きずり込まれていく。「導入」は常にダーティなわけではないけれど、「誘われる」ときは大抵ネガティブなアプローチが多いのだ。


 さて、今日は。サミュエルはゆっくりと瞼をあげる。周囲が本棚ではなくただの漆黒に覆われた時点で、これが夢なのだと理解できた。厳密にはサミュエルが夢を通して本の世界に潜り込んでしまっている、のだが。結論に違いはないだろう。

 空虚な漆黒に溶け込むかのように、真っ黒い服を着た子供がいた。煤けた肌は忘れもしない、戦禍の被害者だ。サミュエルはどうにもそういったジャンルを引くことが多い。自分の才能とやらが関係しているのかもしれない。


 ……アルベールとかいう修復士が羨ましくなるときはある。彼はどうやら夢にうなされることはないようだから。あのお気楽な姿が仮面で、普段は道化だったら騙されましたと言う他ない。


「どうしてだよ」


 怨み言にも慣れっこだった。そう、戦禍の被害者たる人間には命を落とす道理などない。その理不尽さがサミュエルに食ってかかる。


「どうして俺たちは死ななきゃならなかったんだ」


 サミュエルの首に細い指が掛かる。音もなく煤けた少年は眼前まで迫っていた。夢みたいな本の世界だ、不思議なことはそれですべて片がつく。

 サミュエルが抵抗することはなかった。この世界の主導権はサミュエルにない。あくまでも夢の出来事。本の空想。そう言い聞かせてじりじりと締め付けられる首を見つめる。呼吸が苦しくなってきた。けれど死なない、死なないはずである。


「お前が生きていて、俺たちが死んだ理由はなんだ。才能か、俺たちは修復士じゃないから死んだのか!?」

「あ、ガ……ッ、ぁ」


 ぎり、と締め付ける指が深く食い込んだ。いよいよ息ができなくなる。肺まで空気が回らない。サミュエルよりも一回り以上小さな子供の腕力なのに、振り払うこともままならない。夢だから。

 少年の怨嗟が脳内に反響する。最早少年一人の声ではなくなっていた。野太い男、金切り声の女、純朴な幼女、村一番の知恵者だった老人――そのすべてを、


『どうしてサミュエルなんだ』

『お前よりも優秀な人間はいるのに』

『私たちは死んでしまったのに』

『どうしてサミュエルなんだ』


「いっ……ア、ぅ……う!」


 二本だった少年の腕が四本になり、六本になり、七本になり、十本を超えて。何重もの残像がサミュエルの前で再生させるかのようだ。雑音混じりの怨嗟は頭を割るような大音声でひたすらリフレイン。幾多の憎悪がサミュエルを取り巻き、その首をぎりぎりと締め上げていく。これは夢だ、夢だからと言い聞かせる余裕さえ、サミュエルは奪われていった。


『どうしてお前が修復士さいのうに選ばれたんだ』


「――――ッ!!」


 寸でのところで悲鳴を噛み殺し、サミュエルの意識はそこで覚醒する。独特の紙の匂い、埃っぽい本棚、規則的に往復する革靴の音。リュミエール皇国国立図書館の見慣れた世界だ。音のひとつから空気に至るまで、サミュエルの知っている「元の世界」だった。


「はッ、は……ぁ」


 首もとをなぞる。鏡がないから指の痕が存在しているのか確かめられなかったが、絞められた窮屈さはまだ残っていた。息を吸う度に胸の辺りが内側から痛む。よくあることだ。


「はあー……、っは……」


 ゆっくりと呼吸を繰り返す。本来の、なんともない健常な感覚へと戻していく。首など現実に絞められていないし、ゆえに痛みも感じない。大丈夫、ぼくは健康体だと言い聞かせていく。


「ぼくは、いきてる」


 最後に確かめるように、呟く。時計は昼休みの終わりを告げる。悪夢に誘う魔手はずるずると本に呑み込まれていくのだ。そうしてサミュエルの隙間を見つけては、またあの世界へと誘い込む。

 もう一度首を触る。指先で辿った箇所だけが思い出したようにぶり返し、サミュエルはきつく瞑目した。



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