サミュエルという事象(5)
「悪しきもの、滅ぶべしッ!」
決め台詞のように叫ぶところは意見したいところだが、アルベールの術式が完成した。たちまち屍の下から世界を覆い尽くすほどの光源が爆ぜて、サミュエルを縛り付けていたものを焼き尽くした。以前見た檻の顕現……どうやらそれを応用し、フィクションの産物そのものを消し去ったらしい。強力な術式であることは隣で見ていたセレスティーヌにもわかった。
アルベールは反動か、額に汗を滲ませている。それでも弱音を吐くことはせず、涼しい顔を努めていた。
「サミュさん! 大丈夫ですか……サミュさん!」
セレスティーヌは霧散した屍の跡地――荒廃したエトランゼ平原に身を投げ出されたサミュエルに駆け寄った。彼はボロボロの服を着ているわけでも、殴られた痣があるわけでもない。けれど先ほどまで現影に締め上げられていた首を、あとひとつない首をしきりにさすっていた。
「……あ。あー、声は、でるか。なんというか……ありがとう?」
「どうして疑問形なんですか」
いつもの調子でのらりくらりと言われる。それが天然であれ虚勢であれ、セレスティーヌは付き合うことにした。普段通りでいる彼の姿に安堵したのは大きい。
本来であれば感傷に浸っていたいところだが、もう一人の修復士アルベール・ラファイエットはそれを認めない。彼は修復士であり仕事のためにここに来たと考えれば納得の行動であった。
「それよりも、修復士サミュエル・ジュブワ。私はあなたを問いたださねばなりません」
「んー、まあ、だろうけど……どこから?」
「まずはこの本の修復です。いつまでもここにいるのはよろしくない」
アルベールはきびきびとした動作で空虚に文字を書いていく。今までのような名前ではない。何やらメモ代わりに文章を羅列しているようだ。
「リュミエール・タイムズはこの通り侵されている。ならば修復してから戻らなければ修復士の名折れというもの」
「先程の術式では治っていないということですか?」
「あれはその場しのぎに過ぎません。だからこそ我々はこの世界から戻らずにいる」
アルベールの言うとおり、修復後の強制的な光はまだセレスティーヌ達を包み込んでいない。ということはまだ新聞の思いを汲み取れていない、つまり修復の余地があるということ。
「この新聞は、サミュさんを苦しめたいだけではなかったのですか?」
「確かにぼくと縁が深いものだけど」
「そもそもあなた、何故あんな古い新聞を抱えていたのです?」
「え?」
そりゃあ、と返すサミュエルには少しの躊躇いがあった。
「ぼくの故郷だし。もう記録が残ってなくてさ」
こんな紙切れに頼らないと故郷を思い出せないんだ、とサミュエルは言う。つかみ所のない顔はいつになく強張っていた。
「なんかさ、揉み消されちゃったんだよね。この内紛」
「民族の紛争をなかったことにしたんですか、というかできるんですか?」
セレスティーヌは驚きを隠せない。対するサミュエルもまた、曖昧模糊としたまま答弁する。
「内紛自体はさ、よくある話なんだよ。村の右と左がぶつかっただけ。でもそれだけで済まなくて、村は燃えたんだ」
「燃えた、って……火の手が?」
「そ。この平原みたいに」
サミュエルが視線を赤黒く焦げた大地に向ける。屍の山はもうない。それでも虚無の広がる平原は絶望を具現化した焼け野原だった。
「誰かの火の不始末だって言われたけど、もう誰にもわからない。だってみんな死んじゃったから。ただ、ジュブワの村が全焼し全滅したこの惨状を、当時の新聞は報じなかった。ぼくはそれに理由があると思ってる」
揉み消されたと、サミュエルは言った。アルベールも把握していなかった惨状だ、当時の新聞はサミュエルが抱えていた新聞記事のように情報が錯綜し、捏造され、嘘かまことかわからないままうやむやにされたのだろう。当時のリュミエール・タイムズがもともとどんな内容の記事を書いていたのか、それさえも歪められてセレスティーヌにはわからない。しかし、サミュエルの言葉を信じるならば内紛の子細には触れられていなかったのだろう。
「たぶん、ぼくが修復士になったこととも少なからず関わってる」
「え」
セレスティーヌの問いにすぐには答えず、サミュエルは歩き出す。アルベールの綴った文字列も不可思議な光を放っているから、目的地は定まったのだろう。何も見えていないのはセレスティーヌだけかもしれない。
「あなた、修復士になったのはこの内紛の直後でしたよね」
アルベールは歩を進めながらも詰問する。悪を裁く査問官のように、有無を言わせぬ口調だった。
「そう。タイミング悪かったんだよね。ぼくが手続きとかで首都にいるときにさ、内紛が起こっちゃって」
「もしあなたが内紛の起こったジュブワ唯一の……過激な思想を持ち、村ごと自滅した一族の唯一の生き残りだと知れたら、人々はあなたを受け入れたでしょうか」
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