道化師(2)
絶望の街シエナ・カンタレラ。お上の強硬な政治により国の借金を国民に肩代わりさせるため……人々は困窮に喘いでいた。街の掲示板には新しく施行される税金の張り紙が何枚も無造作に貼られている。
たとえば紙税。一枚あたりに課せられる。
たとえば油税。食用油に課せられる。
たとえば水道税。蛇口を捻ると課せられる。
ふざけている、こんな世界ではとても生きていけない! お上は我々国民を殺す気なんだ、我々の血税の上に跨がって豪遊しているのだ。シャンパンをあけてガレットを食べているに違いない。豪奢なドレスが汚れてしまうと、端についた血を切り落とすように我々を打ち捨てるのだ!
「わかったかね、旅の人。君達が訪ねたのはそういう街だ」
目の前には男が一人。男と言ったが顔立ちはよくわからない。目の覚めるピンクとイエローのピエロスーツと、白塗りの顔がそんなものを忘れさせるからだ。
「ここは『我が永遠の闘争』の世界、ということでしょうか……」
「お嬢さんの言っていることをすべては理解できないが、なるほど。確かにここは闘争を続けているのやもしれん」
セレスティーヌが記憶を手繰っている間も、道化師は舞台めいた言い回しで語っていた。アルベールほどの大音声ではないにしろ、芝居がかった大袈裟な振る舞いと滑稽な道化師の見てくれが、彼をおかしく見せるのかもしれない。フィクション、と呼ぶのにこれほど相応しい男もいなかった。
「だが先に言ったようにここは絶望の街シエナ・カンタレラ。それ以上でも以下でもありはしないさ」
「あのですね、私達はこの世界を修復しに来たのでありまして」
「修復? そこの貴族は何やら全知全能の神にでもなった心地のようだが」
事情を説明しようとしたアルベールに対し、道化師は小馬鹿にするように軽い口調で応じた。ひらりと手を返せば、突然真っ白な鳩が現れる。
「この街をこんなにも貧相な姿に変えたのは、他ならぬお貴族様ご自身だろう?」
「あの、どうしてアルベールさんが貴族だと……」
「徽章だよ」
セレスティーヌの問いに道化師は間髪入れずに答える。
「上等なお衣装に階級の代名詞の徽章をこれ見よがしに胸につけている。これが貴族でなくてなんだって言うんだ」
明らかな毒の含まれた言葉だ。セレスティーヌは笑う道化師からの明確な悪意を感じ取っていた。せせら笑いながらおどけてみせる道化師は、白塗りにこしらえたペイントに人差し指を当ててなおも語る。
「お貴族様、もしこの街に長居するつもりなら、その権力は大人しく仕舞った方がいい。この街で貴族は好かれていない。血税の上で豪遊する男の姿など見たときには発狂してしまうからね」
「この徽章は我がラファイエット家の誇りです」
道化師の忠告を意にも介さず、アルベールは高らかにそう宣言した。
「この街が圧政に苦しんでいるとは察しましたが、それと私とはまったくの無関係です。私が貴族であり、ラファイエット家の人間である名誉を隠すことなど何も」
「――成る程。貴様は本当に何もわかっていないようだ。ここに来たのも頷ける」
アルベールの言葉を遮るように、あるいは聞き飽きたように、道化師はやれやれと嘆息した。こぼれた吐息は葉巻の煙のような、黒ずんだ白色をしている。これも何かの
と思うも束の間。道化師の声がワントーン落ちたかと思えば、彼のまとう雰囲気が一変した。丸腰だったはずの男は腰を落としてナイフを握りこみ、その切っ先をアルベールの徽章に当てていた。徽章の奥には心臓が脈打っている。
早業。そして明確な殺意と嫌悪。セレスティーヌはもちろん、逆手に構えられたナイフにアルベールも絶句した。
「ッ!」
「私のように血気盛んな人間が、貴様ら貴族を殺してしまう前に、そのお飾りのガラクタを仕舞えと言っているんだ」
アルベールはしばらく動かなかった。額に浮かんだ脂汗、瞠目したままゆっくりと瞬きする両目から察するに、動くことができないと言うべきだろうか。傍目に見ていてもビリビリと肌を焼いて伝わる道化師の殺意を、真正面から受け止めたのだ。アルベールは騎士の生まれでも本人に適性はないと言っていた。命の応酬に適応できるはずがない。
「いつまでそうしてるの?」
糸の張りつめた空間を破ったのはサミュエルだった。相変わらずの気だるげな瞳と間延びした声が場を無理矢理融解していく。
きっとこれはわざとなのだろうと、セレスティーヌは思った。サミュエルの口元はいつもより強ばっていたから。
「終幕か。ならば仕方がない。そこなお貴族様をご招待してあげよう」
一人で納得した様子の道化師は、ナイフの切っ先を一瞬で花束に変えてしまった。アルベールの緊張の糸が切れる。大きく後ろによろめき、体勢を崩した。
「私のショーを見るといい。今宵はうってつけのサーカス日和。この街の民が何に飢え、何を憎み、何を叫んでいるか……修復とやらのヒントもあることだろう」
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