虹色のメルヒェン(2)
「セレス。きみのお弁当ってさ、いつ見ても不格好だよね」
昼休み。書物を汚さないようにと作業中の本をすべて脇に避けて、小さなランチボックスを広げた途端にこれだ。昼寝が趣味みたいになりつつあり、「睡眠」以外の欲求を忘れているかのごとき男・サミュエルが寝ぼけ眼でそう問いただす。
セレスはたちまち渋面を作るほかなかった。
「サミュさん……昼休みはご自分の席で眠っているはずでは?」
「ぼくだって昼ご飯を食べることはあるよ。だって昼休みって食べて寝る時間でしょ?」
あながち間違っていないのだが、食事をスキップして休み時間すべてを睡眠にあてるのがサミュエルという青年だ。確かに気だるげな瞳をうつらうつらとさせながら、サンドウィッチを小動物のように頬張っている姿を見ることはある。ただし、その頻度は決して多くない。
「それで、サミュさんはもうお昼ご飯を食べたんですか」
「まだ。きみのお弁当が気になって」
ぐ、とセレスは気まずい思いで視線を逸らした。甘すぎる卵焼きはともかく、不格好なサンドウィッチは見ての通りで弁解のしようがない。
「ハムとかはみ出してるけど、もうちょっと綺麗に切れなかったの?」
「これでも頑張ってスライスしてるんですっ」
「ふーん。まあいいけど」
サンドウィッチを切った瞬間にパンがひしゃげて、変に力むあまり断面が崩れてしまうのだ。セレスティーヌはお世辞にも包丁さばきが上手とは言えない。自覚しているし、それでも毎食どうにか作っている。三ヵ月という時で解決できるかというと、残念ながら亀の歩みと言わざるを得ないが。
セレスティーヌが今朝の奮闘を思い返して苦い顔をしていると、サミュエルは彼女のランチボックスからサンドウィッチをひとつ、ひょいとつまみあげた。
「サミュさん!?」
そのまま口に放り込まれる。リスがほお袋に木の実を詰め込むかのごとき食事法だ。もきゅもきゅという音を立てそうな見てくれは、青年と呼ぶにはあまりに幼い。
「あの、勝手に食べられては」
「ん。でも味は悪くないんじゃない?」
「まあ……レタスハムにマヨネーズを塗っただけですから」
言っていて切なくなる。もっと凝ったものも作れるようになりたいのだが。
「卵焼きももらうね」
「ああ、素手でなんてはしたない!」
ハムサンドを奪われた時点で、弁当箱を蹂躙されることは甘んじて受け入れる覚悟がセレスティーヌにはできていた。しかし、素手で卵焼きを食べるのは頂けない。サンドウィッチとはわけが違うのだ。
そんな彼女の悲痛な叫びは無情にも無視され、小動物じみたサミュエルの頬が大きく動く。綿毛の銀髪がふわりと揺れた。
何度目かの咀嚼を追えて、ごくりと喉が動く。嚥下されたその一連の動きを、諦めたようにセレスティーヌは見ていた。彼の喉仏が大きく動いた瞬間は、どういうわけか心臓がどきんと跳ねたものだ。
「……あっま」
「それは上手くいかなかったんです!」
泣きたい思いだった。
セレスティーヌは言っていて情けなくなった。家を飛び出して三ヵ月。こと料理の腕だけは思うように上達しない。いっそのこと出来合いの惣菜でもアルバイト帰りに買った方が、とも思ったが、財布事情を思い出してぶんぶんと首を横に振った。
「それよりセレス、午後の修復なんだけどさ」
「ああ、お仕事の話ですか。それでしたらお昼休みが終わったら聞きますから……」
情けなさにわずかに声が上擦ってしまったセレスティーヌだが、サミュエルが名前を出した「本」に背筋が凍り付いた。
「……え……?」
「だから、『虹色のメルヒェン』。これ、修復するんだけど、きみ童話とか詳しい?」
詳しいも何も、その童話は――何を隠そうセレスティーヌを本の世界へと導いた、運命とも呼べる一冊だった。
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