第6話

 ザアーッ、という音と共に、雨が勢いよく降る。先ほどからどれだけ時間が経っただろう。雨は勢いを増すばかりだった。


 あれから望海の部屋で二人は話していたらしい。峻が俺に声を掛けて帰っていったのが数分前のことだった。傘がないので貸してくれ、とも言われた。

 あれから二人がどんな話をしたのかは、当人たちにしか分からない。帰り際の峻の顔からは、何も読み取ることはできなかった。ただ、幾分かスッキリとした顔はしていたようにも思える。


 俺は望海の部屋へとゆっくり向かっていた。

 別に今日じゃなくてもよかったのだが、今行かないと後々行きづらくなるかもしれないと想い、俺は思い切って外から尋ねる。


「入っていいか?」


 しばらくして答えが返ってくる。


「いいよ」


 そう言うと同時に、ドアが開けられた。顔を出したのはいつもと変わらない表情の望海。……うん、望海は望海だ。記憶があるとかないとか関係ない。


「急にごめんな」

「何言ってるの。話をしろって言ったのはたっくんでしょ」

「あー、そうだったな」


 俺はそう言うと、机の上に何となく目をやる。そこに置かれていたのは、望海がつけているという毎日の日記だった。


「……あれは」

「あ、うん……、あれね、引き出しから見つけたんだ。……たっくんとかみんなとの楽しい思い出がいっぱい書いてあって読んでる私の方も嬉しくなってきちゃった」


 そうか。あの日記を読んだのなら、少しは記憶にもいい影響が出るのかもしれない。


「俺たちとのこと、思い出せたか」


 俺の期待に反して、望海はゆっくりと首を振る。


「ううん、ごめんね……。でもさ、これ見たら分かるよ。どれだけ大切な思い出だったのか、ってことが。ねえ、たっくん」

「ん?」

「みんなはさ、私がみんなに気を遣っているとか言うんだ。だけどね、私そんなことないんだよ。記憶が無くなっちゃってからも、みんなが楽しそうにしているのを見ているとすごく楽しいし、仲良くなりたいってすごく思うんだ。だから、気なんて遣ってないよ。私はみんなといる時間、すごく好きだよ」


 望海の口から出た言葉も俺にとっては意外だった。お互いに気をつかってばかりだと思っていた。なのに、望海はそうではないと言っている。


「だからさ、なおさら思うんだ。みんなとの思い出を取り戻したい。こんな最高の友達との思いが無くなっちゃうなんて寂しい」

「望海……」

「私、がんばるよ」


 がんばる。その言葉は望海と二人で雌川島に行ったときの夜にも聞いた。

 うん、やっぱり望海は望海だ。記憶は無くなってしまっても芯の部分では変わらない。そんな望海だから、助けてやりたいと思うんだ。


「おう、俺もがんばる。望海のためだから」

「……頼りにしてるね。この日記にも、一番頼りになるのはたっくんだって書いてあったからさ」


 少し俺の鼓動が高鳴る。そんなことを思っていたなんて。


「あのさ、望海」


 だから言っておかないといけないことがあると思った。


「ん?」

「あのさ、お前は本当は雄川島に、家族のところに行きたいと思ってるのかもしれない。それはよく分かるし、俺に止める権利はない」

「……うん」


 俺は望海が一番いいと思った選択をすればいいと思っている。それは今でも変わらない。


「だけどさ、俺はお前に行ってほしくないんだ。お前がいない生活なんて考えられないんだ。……だから、行くな……とは言えないけど、そう思ってる人はいるってことは覚えておいてくれ」


 俺の素直な気持ちだった。これはたぶん嘘偽りなどないはずだ。


「……分かったよ」

「……だってさ、ぶり大根作るやついないしな」

「え?」


 あ、また余計な一言が。


「ほら、じいちゃんの好物、ぶり大根だよ。俺、あれ作り方分かんねえんだよ。お前がいなくなっちまうとどうせじいちゃん文句ばっか言うだろ。だから頼むから行って欲しくねえんだよ」


 違う。そうじゃない。分かっていても口から誤魔化しの言葉が次々と出てくる。


「ハハハ、それもそうだねー」


 能天気に同意する望海。……もしかしたら俺が素直じゃないってあの日記に書いているのかもしれない。

 まあ、素直じゃないってのも俺らしいってことで……。どうにかしないといけねえんだけどな。

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