第2話

   ▽


 最近の学校までの道のりは、どこか気まずい。

 望海がバレバレの態度で俺たちに気をつかっているのが分かるので、俺たちもそれに合わせて気づいていないフリをしてやらないといけない。


 望海に精神的な負担をかけたくないがための苦肉の策だったが、俺はこの関係が気持ち悪く、薄っぺらくてすぐに壊れそうなものだと思ってしまっていた。


「たっくん、これ今日のお弁当だよ」


 集合場所で弁当を渡される。これも漁に行くときの習慣だった。弁当の中身は記憶を失う前と変わらずおいしかったのだが、俺の好物が入ることが少なくなった。それでも最近は、俺の好物を聞いて、それを必死に取り入れようとしている。その姿が健気けなげで、見ていて「もうやめてくれ」と言いたくなるくらいだった。


 何よりも、いつものように俺に弁当を渡すときに声をかける望海のぎこちなさが、俺にはたまらなく辛かった。「たっくん」と呼ぶようになったのもつい二日ほど前で、それまでは「拓海くん」と呼ばれていたのだ。


「おう……、いつもありがとな」


 そう言うと、笑顔で「うん!」と返した。


 その笑顔は誰に向けられているんだ?


 本当に、その笑顔は本音なのか?


 俺には……、全く分からない。


   ▽


「――よーし、今日はここまでしとくか」


 ハッ、とする。いけない、またボーッ、としていた。

 浩美ちゃんが担当する国語の授業が終わる。そのままホームルームとなり、解散の流れになった。


「……よし、帰るか」俺はかばんを持ってみんなに声を掛ける。

「ちょっと待った」


 だが、教壇から浩美ちゃんの声がして、俺は嫌な予感がした。


「……先生、すいませんでした」

「なんで私がお前を呼んだら怒るって流れになるんだ。……で、望海。お前に用だ」

「……えっ、私ですか?」


 キョトン、とした表情で望海が浩美ちゃんを見る。


「意外か? 今日の自分の授業態度を考えてもか?」


 望海はうっ、と言葉に詰まっていた。俺だけじゃなく、望海もまた考え事によって授業に集中できていなかったらしい。


「す、すいません」

「いやー、別に責めてるわけじゃないよ。拓海みたいにいっつも寝てるわけじゃないんだし。たまにはそういう日だってあるさ。そんなことより、何かあったのか?」

「えっと、それは……」


 望海が言いよどんでいる。


「それだけじゃない。拓海、あんたたち最近ちょっとぎこちないよね。まあ、拓海が授業を聞いてないのはいつものことだけれど、今日は特にヒドかった。……どうしたんだ?」


 あー、俺が聞いてないのも見通されてたか。

 だけど、言えない。望海の記憶がないだなんて。浩美ちゃんに相談してもよかったのだが、病院に行けだとか言われるのがオチだと思う。だから、大人には相談できなかった。


「ま、言いたくないなら無理に言うこともないさ。あんたたちなら大丈夫だって私は信じてるからね」

「信じてる?」

「うん、まあだって長年の付き合いじゃない。ちょっとやそっとのことで崩れるような付き合い方はしてこなかったはずだよ」


 そうだ、俺たちは長いあいだ、月日を積み重ねてきた。

 だけど、その積み重ねが一気に無くなってしまったんだ。それを一からやり直すなんて……できない。


 俺は思わず目を逸らしてしまう。浩美ちゃんは不思議そうにこちらを見ていたが、「ま、続くようならもう少し色々聞くからな」と言って行ってしまった。

 俺たちは言葉を発せずにいた。そんな俺たちをもどかしそうに見ていた子が一人――。


「あーーーーー、もう! みんなどうしたっていうのさ!」


 碧は、腕をブンブンと振って抗議の意思を見せる。その姿はまさに母親に駄々をこねる子供の姿だった。


「あ、碧……?」

「みんな最近表情が硬すぎ! なんか会話も気持ち悪い! 変に気をつかいすぎ! ……こういうときはね」

「こういうときは?」

「――飯を食って、腹を割って話そう!」


 結局飯かよ! と俺は心の中で突っ込むが、さすがにプッ、と笑ってしまった。


「何だよ、それ。どこの体育会系だよ」

「え? 日本人ってそういうもんじゃないの?」

「碧、それは了見りょうけんが狭いというものだ」峻も表情を少し崩していた。

「まっ、たまにはいいんじゃない? 行こうよ、『くすみ』に」奈津も賛成した。


 ただ一人、望海は俺たちの突然の変わりように驚いていたようだったが、その表情はやがて和らいでいく。


 そして、クスッ、と笑った。

 その本当の意味での笑顔を俺は、久々に見た気がする。


 「くすみ」では、碧がいつもの二倍くらいの量を注文して、ガツガツと食べていた。おい、そんだけ食ってよく太らないな。ていうか、完全に暴食じゃねえか。

 俺たちはそんな碧の姿を唖然として見つめていた。


「ふふふ、相変わらず碧ちゃんはよく食べるわねえ。……うちの売上にも貢献してくれて満足満足」

「おばちゃん、本音出てる、本音」


 ま、そういうブラックな所も含めて本音が出せるってすげえことなんだな、と素直に思ってしまう。


 ふう、と一息ついた碧は、今度は喋るために口を開いた。


「だからさー、みんなやっぱり最近おかしいんだよ。お互いになんだか気をつかっちゃって、望海のことを遠ざけるようなことをして。そりゃ、望海も心を開いてくれないよ。そんなんじゃなかったはずだよ、みんなは。だから、遠慮は禁止! みんなで本音をぶつけ合おう!じゃあスタート!」


 そこまで一気に言った碧は、俺たちのことをジロリ、と睨む。


「い、いや……その、碧さん? いきなりそんなこと言われても」

「だってボクに対しては、みんなすぐに仲良くしてくれたじゃん」


 俺たちは碧の言葉に対して言い返せない。


「ボクのような外から来た人に対しても、みんなはすぐに仲良くしてくれたじゃん。ボク、すごく嬉しかったんだよ? だからさ、それが望海に対してもできないはずなんてないじゃん」


 そうだ、その通りだ。碧の言う通りだ。

 望海が記憶を失ったから、今までの積み重ねが無くなってしまったから、だから俺たちは諦めてしまっていた。


 そうじゃない。


「拓海。拓海は望海がずっとそばにいたから仲良くしてきたの?」


 違う。


「……望海だからだ。望海だったから、俺は、俺たちは今まで仲良くしてきたんだ。それはこれからも変わらない」


 俺の力強い言葉に周りのみんなも同意する。


「……うん、それでこそ拓海だ!」


 満足気に笑う碧に俺は心の中で感謝した。

 お前がいてくれて、俺はもう一歩踏み出せそうだよ。


「よし、それじゃあ……、と言いたいところなんだけどさ」

「うん?」碧が首を傾げる。

「……さすがにこの場じゃ気まずいんで、二日以内に言いたいことがあるやつはそいつと約束なりなんなりして、都合つけて話すってことでいいか? それで、明後日の昼に碧の家、つまり八雲の家に集合だ。いいな」


 みんなが頷く。これで後は、俺の想いを話すだけ。

 それがどういう結果をもたらすかは分からない。でも、ぶつかり合って気づくこともある。覚悟を決めて、話そうと俺は考えたのだった。

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