第五章 変わらないコト

第1話

 あれから数日が経った。

 望海の記憶は依然として戻らない。また、後になって分かったことだが記憶の戻らない範囲が限定的だった。


 俺たち、具体的に言うと俺と碧、奈津、峻の記憶が消えてしまっていたのであり、他の人に関しての記憶は残っていたのだ。

 峻の推測では、「特に仲のよかった友達」に関しての記憶を奪われたのではないかということだった。


 神の御霊みたま、七不思議の伝説から考えるとおそらくこれが起こしたことなのだろうが、どうしてこんなことをしたのだろうか。どうして望海がこんな目に遭わないといけなかったのだろうか。

 俺は疲れてはいたものの、数日の間はまともに眠れなかった。


 今日に関してはじいちゃんの漁を手伝う約束をしてしまったので、早めに寝ないとマズイとは分かっていたのだが、様々なことが頭の中をグルグルと回ってしまって全く寝付けなかった。

 望海は、日常生活に異常をきたすほどのことはないので、普通に学校に通い、いつも通り家のことをしてくれている。だけど、俺たちへの態度が今までとまったく違う。


 俺たちが一番仲の良かった友達だと、そう言っても本人は覚えていない。本人も自分の記憶が欠けてしまっているのを自覚したためか、俺たちに気を遣ってなるべく仲良くしようと振舞ってくれているのだが、それが見え見えの態度なのが余計に痛ましい。

 帰りの船の上で案の定気分が悪くなった望海は俺に助けを求めずに、自分でどうにかしようとしていた。それを見て、俺は前の日にも同じようなことをしていたのを思い出す。


 そして、ふと思った。このままだと、望海は雌川島に行ってしまうのではないかと。俺たちとの思い出がなくなり、雄川島にいる理由がじいちゃんぐらいになってしまった今、望海が島に執着するだろうか。


 嫌だった。このまま記憶が戻らないままだなんて俺は嫌だった。

 だから、何度も雌川島に行こうとした。みんなに言っても止められるだけなので、一人で行こうともした。しかし、あっさり峻に見抜かれて止められた。


 焦っても仕方ないとは分かっていた。それでも、どうにかしないとと思う気持ちばかりが先走ってしまう。それが今の俺だった。


「ってわけで、ほとんど寝てないんだよね……」


 俺は、船の上でやーにぃに向かってこぼす。


「大丈夫か? 俺のことは覚えてくれていたからあの時はなんとかなったけれど、自分のことを覚えてくれていないのは辛いよな。俺も浩美ちゃんに覚えてもらってるかちょっと怪しいもんな、グスン」


 やーにぃ流のジョークか何かで俺を笑わせてくれようとしているのは分かった。俺は、力なく笑う。

 俺は結局、昨日は寝ても微妙な時間だったこともあり、一睡もしていない。そのためか、自分でも疲れと寝不足が顔に出ているのか分かった。


 それでもなんとか気力を振り絞って船の上で目的地までたどり着くのを待つ。やーにぃと話すことで飛びそうな意識を保っているとも言えた。


「そりゃ、やーにぃの努力不足だよ。だって、あの時のやーにぃはマジで使いもんにならなかったしな」

「いや、アレは反則でしょ。怖すぎだって。みんなビビってたじゃん」

「それでも、やーにぃは一番ヒドかったぞ」


 俺は数日前の慌てふためいたやーにぃを思い出し、思わずニヤリとする。やーにぃはバツが悪そうに顔をしかめた。

 あの時の不思議な現象。そして、神隠し。どれもが、石碑に書いてあった通りで、信じられない気持ちもあるが、確かにあれは現実だった。否定しようのない現実。実際に経験してしまうと、信じられない出来事でも、もしかするとあるのかもしれないと思ってしまう。


「ていうか、本当に警察に届けなくてよかったのか?」

「それは昨日も話したじゃねーか。峻の言うことが一番正しいと思う。さすがにあんな話、取り合ってもらえねーだろ」


 一回あの地帯を警察に調べてもらおうという話が出た。だが、この島にある交番のお巡りさん程度じゃ解決できそうな問題でもなさそうだし、本州の大きい警察を動かすほどの信憑性しんぴょうせいもない、というのが峻の結論だった。


「ま、結局真相は闇の中ってわけか……」


 しみじみとやーにぃが言う。

 でも、たぶん真相なんて明らかにならない方がいいこともある。だからこそ、七不思議なのだろうし、触れてはいけないナントカの箱ってやつなんだろうな。

 あれ、何だっけ。確か、パンケーキの箱だっけ? 何それ、おいしそう。


「おーい、拓海。寝るなよ」

「……はっ! また意識が飛びかけてた」


 こんなんで大丈夫かと思いつつも、俺はいつも通りに作業に行う。

 だが、望海のことや眠気のせいで集中力が持たず、ぼーっとしてしまったり、ミスをしたりと散々だった。


「……おい、拓海。引っ込んでろ」


 見かねたじいちゃんが、俺をどかして作業に向かう。俺は唇を噛みながらも、言うことに従った。今日はどうにも、調子が出ない。


「なんだ、やけに素直だな」

「今日は、ちょっと調子が悪い」

「そのようだな。いつもの減らず口も出てこないしな。……拓海」

「なんだ?」


 じいちゃんは俺に背中を向けたまま、それでも近寄りがたい漁師としてのオーラを出しつつ、静かに語った。


「海をめるな」

「…………」


 その言葉は、何十年も海と向き合ってきた男だからこそ、重みが出るものだった。


「そんな調子で出てきてどうにかなるほど、海は甘くねえ。調子が悪い時はおとなしくしておけ」

「……ああ、ごめん」


 俺は、自分の都合で漁に出られなくなるのを嫌った。だけど、じいちゃんからしてみれば、そんな状態で船に乗ってこられる方が迷惑なのだろう。


「……今日の海はえらくいどるな」


 俺には、じいちゃんの言っている意味が最初よく分からなかった。何気なく呟いただけの一言のようにも思える。しかし、その言葉の意味の重さを知ったのは、陸に戻ってからだった。


「お、親父! どういうことだよ!」

「俺が、そう判断したから決めたんだ。文句を言うな」


 俺が学校に行こうと身支度みじたくを整えていると、どこからかそんな声が聞こえた。俺は、声の出所へと向かう。そこには、頭を抱えているやーにぃの姿があった。


「どーしたんだ、やーにぃ?」

「おお、拓海か。実はな、親父が明日の漁を中止するって言うんだ」

「え? どうして?」

「いや、なんか海がやけに静かだから、明日は嵐になるって言うんだけど……。明日は天気予報によると快晴なんだよ。あー、他のおっちゃんたちにどう説明しろって言うんだよ……」


 じいちゃんの言ったことは漁に関しては絶対だ。じいちゃんがやらないと言ったら、もう絶対やるつもりはないのだろう。


「やーにぃ、諦めなって。じいちゃんがそう決めたなら、曲げることはあり得ない」

「ま、俺もそれは分かってるんだけどね。まじでどうしよっかなー」

「にしてもおかしな話だよな。じいちゃんが天気予報を見ていないはずがないし、どうしてそんな判断をしたんだろ?」

「ま、あの人は天気予報よりも、海が語ることを信じる人だからな。今日の海を見て、何か思ったのかもしれないぜ」


 じいちゃんは迷信だとかそういうものを信じない人だった。だから、この判断は実際にじいちゃんが海を見て、海を語ることを聞いた結果によるものなのだと思う。


 普通じゃ考えられないことだけど、じいちゃんなら本当にやりかねないと思ってしまう。

 それがあの人だった。頑固で素直じゃなくて、それでいて芯の通った、俺の憧れの男だった。


 ……今の俺はどうだ? 自分を貫き通せているか? いや、そもそも自分の芯になるようなものを持っているか?


 みんなと本音でぶつかり合えてるか? 本当の言葉を引き出せているか?

 どこまでもブレない、じいちゃんの姿から俺は、何かを感じ取ったような気がした。

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