第8話

 俺たちは、再び進み始める。

 今度は右の道を選ぼうとするが、それを奈津が止めて言った。


「待って、一回元の道に戻ろう。どんどん枝分かれして行ってるんだから、隈なく見ていったほうがいいような気がする」


 それもそうか、と思い奈津の指示にし従って俺は元来た道を戻る。

 また視界が開ける。先ほどの、1の印が残った空間に俺たちは戻ってきた――、


「……ない?」


 のだったが、真ん中に俺が作ったはずの1の字が綺麗さっぱり無くなっていた。


「本当に作ったのよね?」

「いや、確かに作ったさ、ど真ん中に。風も吹いてないし、飛ばされたってことはない。何か動物とかが持ってったのか……?」


 俺はその時ハッ、としてまたもや振り向いて真ん中の道に向かって駆け出す。


「ちょ、ちょっとどうしたの?」

「いや、まさかと思って……」


 2の字が作られているはずの空間に戻ってきて俺は自分の勘が正しかったことを知る。そこにあったはずの2の字は完全に無くなっていた。


「あれ……、どうして……?」


 俺は、自分なりの推測を奈津に語る。


「なあ、確か碧がこの『神隠し』の伝説を話してくれたとき、こう言ってたよな。『男の人は引き返してみたりもしたけれど、あるべき場所にその出口はなく、結局同じ所をぐるぐると回っているだけだった』って。だとしたら、ここも同じなんじゃないか? 一つ一つ、違う空間が出てくるとしたら、同じ所を回ってしまったってのも理解できる」


 我ながらこういう時は知恵と勘が働く。それに、記憶力もこういう時のためには働いてくれる。だけど、得意気になるとかではなく、むしろ間違いであってほしいと思う気持ちの方がよっぽど強かった。


「……それ、本当かもしれない。辻褄つじつまも合ってる。……じゃあ、あたしたちもここで閉じ込められたままってこと……?」


 俺は歯を食いしばる。それだけはあってはダメだ。でも、行き当たりばったりに歩き回っても、この伝説に書いてある通りになるだけだ。


 考えろ。こういう時だけでいい。働いてくれ、俺の頭。


「……クソ」


 だけど、思いつかない。とりあえず、歩き回ることしか考えられなかった。


「いいよ」

「え?」


 奈津が不意に発した言葉の意味が分からなかった。


「拓海の思った通りに動いてくれていいよ。あたしは何も言わないからさ」


 それは信頼と捉えるべきなのか、丸投げと捉えるべきなのか、少し判断に迷うところでもあったが俺はうん、と頷いて前に進む。

 伝説に書いてあったことの二の舞かもしれない。でも、それでも俺は進み続けるしかない。

 そう思って一歩を踏み出した。


  ▽


 どのくらい歩いただろうか。

 俺たちは当てもなく歩き続けていた。奈津を背負いながら歩いていた俺の足腰もそろそろ限界に達し始めており、汗ばかりが無常にもダラダラとしたたり落ちていくだけであった。


「拓海、休憩する? あたしのことはいいからさ」

「……いや、もう少しがんばる」


 俺は自分を奮い立たせてまた歩き始める。同じ風景を見るのももう何度目だろうか。それでも出口はあると信じて、俺は右の道を選んだ。

 道を抜けた先はまたいつもの空間。はずれか……、と思った時、


「あっ!」


 奈津が声を上げる。


「どうした?」

「あれ、1の字じゃない?」


 俺は言われて真ん中を見る。そこに落ちていたのは一本の木の枝。紛れもなく俺が最初に置いた木の枝であった。


「……てことは、やっぱり永遠に終わりが来ないわけじゃない。一回来たところに戻る可能性があるなら、出口に向かう可能性もあるってことだよな」

「そうね、希望は捨てちゃいけないってことか」


 それでも、大きな進歩には繋がらない。ただそれが分かっただけで、出口が分かったというわけではない。


「それにしても、なんで鳥居を入ってすぐは一本道だったのに、急にこんな枝分かれし始めたんだ……?」

「分からない。ここがどこなのかすら分からないんだもん」

「そうだよな……、いや、もしかして……、待てよ?」


 ここに来て俺の勘が再び働き始める。


「……そうか、その可能性は……、ある!」

「拓海?」

「奈津、俺を信じろ。出口、見つかったかもしれない」


 え? と尋ねる奈津に俺は返事をせず、迷わずまっすぐの道を選ぶ。


 もどかしい気持ちが俺の中を駆け巡る。間の道が随分と長く思えた。

 果たして視界は開ける。俺は真っ先に目の前に広がる空間の真ん中を見た。


 そして、確信した。俺の勘は間違ってなどいない。


「あ、あれって……」

「ああ、あれがあるってことは……、進むべき道はこっちだ!」


 俺は真ん中に置かれた2の字を越え、まっすぐの道を進む。

 その先も、そのまた先も同じ空間が広がっていた。だが、俺はお構いなくまっすぐの道を選び続けた。


「拓海、これって……」

「ああ、俺たちはありもしない別の道に惑わされたんだ。本当はそんなもん存在しねえ。あるのは一本道だけのはずなんだ。それを踏み外すから、迷ってしまうだけだった。だったら、迷わずにまっすぐ進むだけだ!」


 最初の起点となった1の空間から、ずっとまっすぐに進み続ける。俺たちが0と名付けた空間には戻り道はなかったため、出口は1の空間からまっすぐの所にあるはずだ。

 何度も同じ空間を越え、もう何度目か分からないくらいに真ん中の道を選び続け、そして同じ空間に来た。そして――、


「うわっ!?」

「きゃっっ!!」


 俺たちは同時に声を上げる。同じ空間に入ったかと思うと、俺たちは光に包まれる。まるで、海の上で光に包まれた、あの時のように。

 だが、すぐにその光は現実の風景へと形を戻していく。その現実の風景は今までとは違ったものだった。


「……鳥居がある。……ってことは」

「出口……なんだよね?」


 半ば信じられない気持ちだった。だけど、俺たちはたどり着いたのだ。帰って来れたのだ。

 でも、まだ安心はできなかった。


「みんなは!?」


 俺は、周りを見渡す。だけど、その瞬間に心の中がどっ、と安心感で満たされた。


「拓海ー! 奈津ー! よかった、無事!?」


 そこには見慣れた顔が並ぶ。真っ先に駆けてきたのは碧だった。


「おう。ちょっと奈津が怪我したけれど、大丈夫だぜ」

「……た、拓海。恥ずかしいから、降ろしてくれない?」


 気まずそうに奈津が俺の背中で言う。……忘れてた。


「す、すまん」そう言って俺は奈津を降ろした。

「ううん、ありがと」

「拓海、あのさ、こっちなんだけど……」

「どうした、碧?」


 俺は、振り返って碧たちの方を見る。峻も、やーにぃも、そして望海もいる。みんな無事な様子で俺はホッ、と胸をなで下ろしたのだったが――、


「望海の様子がおかしいんだ」

「え?」


 俺は、望海の方へ走っていく。様子がおかしいって何だよ、どういうことなんだ?


「拓海」峻が俺を呼ぶが、俺は望海の肩を掴み、話しかける。

「望海! 無事だったんだな! よかった」


 振り向いて俺を見た望海はいつも通りのとびっきりの笑顔で――、


 ――違った。望海は俺を見て、戸惑うような表情を浮かべる。


「……ええと、ごめんなさい。あなたは誰ですか?」

「…………えっ」


 信じられない。何の冗談だよ。


「いや、俺だよ、俺。ほら、一緒に家に住んでいるじゃん。ずっと、八年間も!」


 それを聞いてもなお、望海は困ったように首を傾げていた。


「……ごめんね。なんだかそのあたりのこと、覚えてないんだ。私、どうしてここにいるのかも分からないんだ」


 俺はその言葉を聞いて絶句する。


 俺たちは神隠しから逃れたと思っていた。だがそれは違った。


 俺たちは、大事なものを奪われた。大事な、大事な――、


「おい、拓海! どこに行くんだ!」


 気づけば俺は、再び鳥居の中へと入っていこうとしていた。


「……決まってんだろ。もう一度行くんだよ。それで望海の記憶を取り戻す」

「やめろ! 無茶なことは……」


 俺は峻の静止も聞かずに鳥居をくぐろうとした。だが、それをこばむかのように、激しい風が俺を襲う。


「うわっ!」


 今までにない突風で、俺は後ろの柵に思い切り叩きつけられる。


『だから、言ってるでしょ』


 また、あの声だ。俺の中に語りかけるようにその声は俺の頭に響き渡る。


『余計なことは、しないで』


 その言葉が終わると同時に、また激しい風が吹き付ける。


「くそ……! 引き返そう!」


 俺たちはやむなくその場から引き返した。立て看板がある場所くらいまで戻った頃には、さすがに突風も止んでいた。


 俺たちは信じられないといった面持ちで突っ立っていた。


 だけど、その中でただ一人不思議そうな表情を浮かべている望海の姿が、俺の目には痛々しいまでに映ったのだった。

 

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