第5話

「ささっ、みんな早く行こうよー!」


 午後の授業が終わり、ホームルームも終わると待ちきれないように碧が言う。


「待ちなよ、碧。あんた掃除あるでしょ」


 奈津が右手に箒を持ち、呆れたように言う。碧はハッ、と口を手で押さえた。


「忘れてた……、仕方ないなー。みんな先に帰ってどこかで待ち合わせる?」


 碧の提案に対し俺たちは顔を見合わせるが、やがて俺が首を振って否定する。


「いや、待ってるよ。……俺、ちょっと用事あるし」

「あれ? たっくん用事あるの?」


 望海が俺の顔を覗き込む。碧がやって来てからは、碧の美人っぷりばかりに目を取られてしまっていたが、こうやって改めて幼馴染おさななじみの顔を見ると、綺麗とはほど遠いが可愛らしさは負けていない。

 ……って俺、何考えてるんだよ。


「どうせ、浩美ちゃんにでも呼ばれたんじゃないの? 今日も授業寝てたし」


 奈津の言葉に俺はうっ、と言葉を詰まらせる。


「ひ、浩美ちゃんに呼ばれたのは確かだけれど、俺を叱るためかどうかは分からんだろ……、たぶん」


 俺は擁護を求めて周りを見るが、峻が首を振って俺の希望を打ち砕く。


「拓海、自分が悪い。間違いなく、怒られるパターンだ」

「デスヨネー……」


 俺は観念して肩を落とし、弱々しく手を振ってみんなの元から離れる。

 教室を出た後、廊下を歩きながら俺は考える。……なんとか誤魔化せたかな、と。

 ホームルームが終わってすぐ、浩美ちゃんに声を掛けられた俺は「あー、これやっちまったな」と思った。まあ実際浩美ちゃんの授業寝てたし仕方ねえかな、と感じながら浩美ちゃんの言葉を待っていたが、意外な一言が飛び出した。


「拓海、あんた碧と仲いいよね」

「……へっ? は、はあ……」

「だったらちょっとこの後職員室に来て。あの子のことでちょっと話があるからさ。……あ、あんまり他の子には言わないでね。まあそのうち知ることにはなると思うんだけど」


 何やら意味深な感じだったがそう言われたのでは望海たちに話すこともできない。それでさっきみたいな会話の流れになったわけだが。

 職員室のドアを開き、「失礼しまーす」と中に入った。もうこの部屋に来るのも慣れっこなので、俺は迷わず浩美ちゃんの席へと直行する。主に説教を食らうためにこの部屋に入っているっていうのが悲しいんだけど。


「拓海、ノックくらいしなさい」


 俺が近づくと、早速小言をかましてくる。そういやそんなこといっつも言ってくるんだよね……。この部屋、職員室って割には人少ないし、自分の教室かのように入ってしまう癖があった。


「あー、すいません……。で、話って何ですか?」

「うん、さっきも言ったけど碧のこと。あの子の経歴がちょっと妙なのよ」

「妙?」

「そうなの。個人情報になるからあんまり詳しくは言えないし、あんたにも話すかどうか迷ったのだけれど、誰かが知っておいたほうがいいかと思って。あの子が自分から言わない限りは黙っておくように」


 妙に念を押すな。そんなに深刻なことなのだろうか?


「……ええ、それは大丈夫です」

「よし、じゃあ言うわよ。さっきも言ったけどあの子の経歴なんだけどさ、所々おかしい点があるの。というか、あの子の過去が曖昧あいまいっていうか」

「過去が曖昧?」


 言っている意味が微妙に掴めない。


「そ。この学校に通うにあたってあの子にも経歴とかあれやこれやを書いて提出してもらってるんだけど、その経歴の中に学校の名前がないわけ」

「でもそれは急いでたとか書き忘れたとかって可能性もあるんじゃ……」

「うん、もちろん私もそう思ってた。だけどそれだけじゃなくて、あの子経歴通りだとこの四月から今まで高校に行ってなかったことになってるのよ」

「えっ……?」


 俺はキョトンとして浩美ちゃんの顔を見る。浩美ちゃんも複雑そうに顔をしかめて話を続けた。


「本当に学校に行ってなかったのか、それとも書き忘れてたのか。もちろん呼び出して聞いたわよ。だけど、あの子なんか昔のこと、すごく言いたくなさそうな雰囲気だったのよねぇ……」

「…………」


 俺は押し黙る。碧の昔のことを断片的にでも聞いてしまっていると、なんとも言い難い気持ちになる。浩美ちゃんの立場からは聞いておかないといけないことなのだろうけど、碧からしたら言いづらいこともあるのだろう。


「あの子の昔のことは一応八雲ちゃんから聞いてる。だから話しづらいってのも分かる。だけど、私から見たら言いたくないっていうわけじゃなさそうなのよ」

「それってどういう……?」


 っていうか今この人八雲に「ちゃん」付けしたぞ。いいのか、アレ多分ばあさんだぞ。


「これはあくまで私の勘なんだけど、あの子もしかすると昔の記憶がないんじゃないかと思って……。あの子の口ぶりとか見てるとどうしてもそういう風に思えちゃうのよ」


 確かに、普段の碧の様子を見ていると昔の嫌な記憶を思い出すから自ら語ろうとしない、というよりも昔のことについてあまり多くを覚えていないから語ることができないと言った方が俺にもしっくりきた。


「浩美ちゃ……、じゃなくて先生の言ったこと、俺にも分かる気がします。……だからそんな目で見ないでくださいって、ちょっと言い間違えそうになっただけじゃないですか!」


 心の中で浩美ちゃんと言いすぎたな……、これは反省。


「ったく、私とあんたは教師と生徒なんだからね。まあ、それはそうとあんたもそう思うっていうことでいいの?」

「まあ、一応は」

「ふーん。どちらにしても本人が言わない限りは分からないことなんだけれどね。ちょっと碧のこと、注意して見ててくれない?」


 初めから多分それをお願いしたかったんだろうな、と思いつつも俺は少し首を傾げる。


「いいですけど……、なんで俺なんですか? そういうの、峻とかの方がうまくやれそうだけれど」

「まあ賢いっていう点で選ぶなら間違いなくあんたは選ばないね、間違いなく」

「二度も間違いなくなんて言わないでくださいよ……」

「ハハハ。まあ、そこに関してはアレ。適材適所ってやつよ」

「へ? 何て?」


 どうにもことわざと四字熟語には弱い俺だ。いや、全部に対して弱いってのは確かなんだけれども。


「適材適所。ったく、そんな言葉大分前に習ってるでしょうに。要するに、峻には峻にしかできないことをやってもらうし、あんたにはあんたにしかやれないことをやってもらうってわけ。……さ、話は終わり。帰っていいわよ」


 適材適所、適材適所と呟いてその意味を頭の中で繰り返す。よし、覚えた。これでもう間違えない、はず。

 みんなを待たせているのもあったので早く行こうと考え、俺は浩美ちゃんに背を向ける。しかし、その背中にすぐさま声が掛かった。


「それはそうとあんた、今日も寝てたわね。……あんただけ特別に宿題、やってもらおうか」


 どうしてそのことを思い出してしまったのだろうか、と俺は浩美ちゃんの記憶力の良さをうらむことしかできなかった。

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