第三章 素直な気持ち

第1話

 ゴオオオ、というモーター音と共に、海上を疾走する船は順調にその航路を歩んでいた。広がる景色は青々とし、空も綺麗に澄み渡っている。今日は快晴だ。それでもどこか今までのようなジリジリとした暑さが和らいでいるのはやはり九月も中旬に差し掛かっているからであろう。


 俺はいつものように漁の手伝いをしているわけではない。船上にいるのも俺と望海、それに数人がちらほら。

 これは漁船ではなく、雄川島と雌川島を結ぶ定期船であった。二つの島はこの船によってのみ結ばれている。


 なぜ俺がわざわざ嫌っている雌川島へと向かっているのか。それは俺の隣にいる望海が原因だった。

 三日ほど前の夜、俺の家に電話がかかってきた。その電話の主は、望海の父親――牧瀬孝明まきせたかあきであった。


「出たのが俺でよかったですね……、じいちゃんだったら即切られてましたよ」


 たまたま電話に出た俺は、久々の電話に驚きつつもそのように言った。

 電話の向こう側で、弱々しく笑う声が聞こえる。


「そうだね……、特に何も考えずに電話してしまったのは失敗だったよ。まあそれでも結果オーライだね、拓海くん。……望海はいるかい?」


 あのじいちゃんの息子でありながら、比較的温厚で物腰柔らかな性格である望海の父親は、雌川島で暮らしている。母親は、望海が生まれてすぐに病気で亡くなった。


「まあ、いますけど……、何の用ですか?」

「そこは親子の話ってやつだよ。……すまないね」


 あまり納得はいかなかったが、家族でしか話せないこともあるのだろうと思い、仕方なく望海を呼んで、俺はその場を離れる。父親からの電話だと知った望海は、少し怪訝けげんそうな表情を浮かべながらも居間へと向かっていった。


「おい、拓海。誰からの電話だ」


 自分の部屋へと向かおうとした俺は、じいちゃんに呼び止められる。……マズイ。


「あ、あー、あの、あれだ。奈津から電話があってだな」

「そうか。ならいい」


 そう言ってじいちゃんは自分の作業へと戻っていく。俺はホッ、としながらもこの親子関係どうにかならねえのかな、と思っていた。


 それから、望海は特にその時の電話の話をしてこなかったので大した電話ではなかったのだろう、と思っていた。しかし、二日経った昨日、碧たちとの「雄川島わくわくツアー」の帰りに突然望海の口から出た言葉に俺は驚いた。


「たっくん、実はね、私明日雌川島に行くことになったんだ」

「ふーん、そうか…………、ってはあ!?」


 碧の語った七不思議の伝説の内容にただただ驚かされたばかりの一日だったというのに、さらに追い打ちがかかる。なんでまた急に……、と思い、俺は望海の顔をじっ、と見る。


「いや、あのさ、一昨日お父さんから電話あったでしょ? なんかね、久しぶりにこっちに来てみないかって言われてさ。私もさすがにずっと顔を会わせないってのも寂しいしさ、行ってこようかと思ってるんだ」


 望海が小学生や中学生の頃は、時々雌川島へ行って父親に会っていた。それも高校生になってからは色々と忙しかったこともあって、一度も行けていなかったはずだ。

 だから、まあこのタイミングで雌川島に行くというのもまあ問題はないし、うなずける話ではあるのだけれど……、


「ってことで、たっくん。いつものようについて来てくれない?」


 というわけだ。望海が向こうに行くときは、なぜか俺が保護者として一緒に行っていたのだ。同い年の俺がなぜ保護者なのかはよく分からない。


「何でだよ、さすがにお前高校生じゃねえか。もう一人で行けよ!」


 とそこまで行って、俺はどうして望海が俺について来てほしがっているのかを察した、というよりも思い出してしまう。


「ダメなの、たっくん?」


 半分涙目で、すがるように俺を見つめてくる望海を見ると、さすがに断ることはできなかった。


「……はあ、分かったよ。俺も行けばいいんだろ」


 ということで翌日、俺たちは船に乗って雌川島へと向かうこととなった。ちなみにじいちゃんには、いつものように友達と遊ぶとしか伝えていないが。


「大丈夫か、望海?」


 船の上で、俺は望海に聞く。これから、久しぶりに父親に会いに行くということもあって緊張しているのではないかと思ったのだ。

 だけど、望海なら大丈夫。きっと振り向いて、笑顔で――、


「……大丈夫じゃない」

「え?」


 返ってきたのは予想外の答えだった。だけどその意味を俺はすぐさま理解する。……もうダメなのか。


「……たっくん、気分悪い…………、吐きそう」


 そう言って振り向いた望海の顔は真っ青だった。

 そう、こいつは酔いやすい体質なのだ。だから昔から俺は、こいつの保護者役をわざわざ引き受けなければならなかったのだ。


「って、うわあああ! 望海、落ち着け! 落ち着いて深呼吸しろ! ほら、吸ってー、吐いてー。……な、すっきりしただろ!?」

「……しない」


 望海はほとんど涙目だった。予想はしてたけど、さすがに高校生になったし大丈夫だろう、と思っていた部分も少しあって俺は慌ててしまう。

「と、とりあえずトイレ行け、な!?」


 そう言って望海をトイレに連れて行く。何とか持ちこたえた望海は雌川島に着くころにはげっそりしていた。


「もう、やだ……。船なんて乗らない」

「それが、漁師の孫娘の言う言葉かよ……。っていうか、帰りも乗らないといけないんだぞ」

「ほんとだ……。たっくん、飛んで帰ることとかできないの?」

「できるか!」


 これは、これからもしばらくは俺がついてないといけないだろうな……。俺は天をあおぎつつ、そう考えるのであった。

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