第2話

 雌川島に着いたのち、俺たちは少し休憩を取ろうと休める場所を探す。ちょうど手頃な石段を見つけたので、そこに腰掛けた。


「顔色はだいぶ良くなったけど……、大丈夫か?」


 望海は弱々しい笑みを浮かべながらも、はっきりと頷いた。


「うん、大丈夫だよ、心配かけてごめんね」

「まあ、これが俺の役目だからな。気にすんな」


 そう言って背中をさすってやる。高校生にもなったのに華奢きゃしゃで小さな背中だったが、もろさは感じない。むしろ、何か強い意志のようなものすら感じる。


「……たっくん、そういうこと平気でするからなっちゃんにも誤解されるんだよ?」

「そういうことって……、あっ」


 俺は慌てて手を離す。ちょっと生活感を出しすぎていた。


「私だって女の子なんだよ」

「そういう言い方されると余計に意識しちまうじゃねえかよ……、他の奴らはいないんだしいいじゃんか」

「まあ、それはそうだけど……」


 俺たちは昔からそういう感じなんだから、今さら変える必要もないだろう。まあ、確かに本物の兄妹じゃないし、近すぎるのも変っちゃ変なんだけど。


「それにしても来ちまったな。雌川島」


 雄川島から海を隔てて約二、三十キロメートル。今乗った、安い小型客船のような物が定期的にこの二島を結んでいる。だが、二島は対立関係にあるため、ほとんど物資の交換などは行われておらず、観光客の乗せるのが主な目的となっている、らしい。この前浩美ちゃんが説明していた。なんで国語教師がそんな話をすることになったのかは覚えてないけど。


 だから、俺にとっても久しぶりの雌川島だ。望海が家族に会いに行くときに同伴して来たことしかないので、望海の家までの道のりとその周辺しか知らない。

 また最近雰囲気変わったな。何と言うか、活発になったというか……。見知らぬ施設も建っていたり、工事中のものもあった。


「なんだか変わったねー」望海がしみじみと呟く。

「まあ、ここんとこ来てなかったからな……。なーんか、やけにうるせえんだよな」


 綺麗に舗装された道路も、騒がしい工事の音も、この島には似合わない。俺はやっぱりそう思ってしまう。


「あっちはホント静かだもんね」

「ああ、そうだな。俺はそっちの方がよっぽどいいんだけど」

「本当にたっくんは雄川島が好きなんだね」

「それもあるけど、こっちが嫌いだってのもある」

「またそんなこと言ってる。……私はみんなでこっちにも来たいと思うけどな」


 みんな、か。碧がこっちに来たらどんな感想を持つのだろうか。そもそも碧は、こういう雰囲気に慣れているのだろうか。碧は昔どういう所に住んでいたのだろうか。

 昨日浩美ちゃんと話したこともあって、碧の過去や、その素性みたいなものに興味を抱くことになった。それに昨日、またあいつに驚かされることになったのもある。


「みんな……か。昨日、驚いたよな」

「あー、アレか。碧ちゃんって物知りだよねー」


 まあ、確かに物知りという話で済ませられるかもしれないけれど、普通あんな文字読める奴はそうそういないと思う。

 そもそも俺たちにとっては、俺や奈津はともかく学業優秀の峻や望海がまったくお手上げという時点で、これを解読するのをほとんど諦めていたのだ。


 だけど……、やっぱり引っかかってしまう。昔のことをあまり覚えていないのだとしたら、親のこととか、あの文字のこととかについて覚えているのは不自然じゃないか? あいつが忘れている、というかそんな風に見えるのは学校についての記憶だけってことなのだろうか。


 今考えても仕方ないか、と俺は肩を落とす。


「まっ、あれが本当かどうかは行ってみないと分からないよな」

「あれ、たっくん。ずいぶんとやる気になったねー」

「いや、仕方ないだろ。あんだけみんなが真剣なんだから、俺一人だけヘラヘラしてるわけにもいかねーし」


 そう言うとクスッ、と小さく笑った望海だったが、すぐに表情を戻して言った。


「でも私たちのせいで今日じゃなくて明日になっちゃったのは申し訳ないけどね」

「私たち、って俺はただの付き添いじゃねえか」

「それもそっか。ごめんねたっくん」


 そんな望海の様子を見て、そろそろ大丈夫かと思った俺は、「そろそろ行くか」と促す。


「うん、そだね。時間的にもちょうどだし」


 いや、こうなることを予想して早めに来ておいてよかったと思う。休憩する時間が取れたのは幸いだった。


「ところでどこで待ち合わせてるんだ?」

「今日は職場の方なんだ。仕事があるけどその時間は空けてくれるって」

「仕事あるんだったらあまり話せないんじゃないのか?」

「そうだね。だから、昼休みじゃないかな。でもすぐ着くから大丈夫だよ」


 そう言って歩くこと数分。たどり着いたのはある仮設の事務所だった。そこにはこう書かれてある。『雌川島観光促進委員会臨時事務所』。望海の父親の務める島の役場における立ち位置は、観光促進委員会だった。


 すなわち、俺が嫌っている雌川島の一大プロジェクトの中心となっているのが望海の父親なのである。

 これが、望海の親父さんとじいちゃんが対立した原因でもある。八年前、このプロジェクトを立ち上げた親父さんは当初、雄川島も巻き込んだ計画を練っていた。


 これに猛反対したのは雄川島の人々。そして、雄川島の人々は自然と海二郎じいちゃんを頼った。それだけ人望の厚い人なのである。

 実質的な親子対立。自分のプロジェクトを阻んでいるのが自分の父親だという何とも都合の悪いハプニングに、親父さんはじいちゃんを島外に追い出そうと画策するが、それもじいちゃんが断固拒否したことで決裂。それから、決定的に親子の関係は悪くなってしまった。


 というのが、望海に聞いた話である。これだけ聞けば、ひどい話である。これだから、雌川島の人間は……、と思った覚えがある。


 しかし何より驚いたのはその時の望海の行動だ。

 偶然、二人の会話を聞いてしまった望海は、子どもながらに思う所があったのだろう。祖父を可哀想だと思ったのか、そのまま出て行ってしまうと思ったのか。それからお小遣いを貯めに貯めて、そのお金で雌川島へと行ってしまったのだ。


 もちろん、親父さんは望海を連れ戻しに行ったらしい。普通の子なら、そこで親元から離れた寂しさから、泣きわめいて戻っていくのだろう、だが、望海は雄川島に住むと決めてしまった。親父さんがどれだけ説得しても、望海は断固として譲らなかった。


「たぶん、そうしないとおじいちゃんが追い出されるって思ったんだろうねー」


 などとその時のことを思い出しながら語ってくれたことがある。というか、どれだけ頑固なんだよ。


 望海の母親が亡くなってから、仕事に没頭するようになった親父さんは家に帰ることも少なくなった。そのことに対する寂しさみたいなのも家出の一因にあったのかもしれない。

 だから、今ではこうやってお互いに島を越えて会いにいくことしかできない。しかも最近は、親父さんや望海の忙しさも手伝って、ほとんど会うことはなかった。

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