第4話

 午前四時。俺たちを乗せた船は、目的地へと向かって出航した

 俺は重いまぶたを閉じないように必死にこらえながら、船に揺られていた。辺りは真っ暗闇の海。灯りによって船上は明るくなっているものの、海は黒一色だ。


「まったく、よくやるよな、拓海も」


 声を掛けてきた青年は、奈津の兄・大和だ。この人が例の七不思議の噂を俺たちに流した張本人である。


「んー、まあじいちゃんの言うことだしな……。それにこうやって船にいるとさいっこうの日の出が見られるからこれはこれでアリだと思ってるんだぜ」


 まだ辺りは真っ暗だが、この季節だと五時過ぎにもなると日が昇り、明るくなり始める。人の住む町も山も何もないこの海の上からなら、水平線上に浮かぶ綺麗な太陽を拝むことができるのだ。


「はー、意外とロマンチックだねえ。俺なんかもう飽きてるっつうの」


 やーにぃは、見た目こそかなり今時の青年だ。髪も長いし、帽子なんか逆さにかぶっておしゃれな感じにしちゃっている。漁業に関してもあまり継ぐ気はなかったなどと言っているのだが、その反面仕事への取組み方は真摯だ。根は真面目なんだと思う。


 それに、俺はやーにぃはなんだかんだ言いつつも、この仕事のことが好きなんだと思っていた。多くの同級生が、本州に出て仕事に就いているのに対して、やーにぃは高校を卒業してからずっとこの島に残り、高齢者の多い漁業に関わってきた。もう二十六歳になるというのに、文句を言いつつも毎日うちのじいちゃんと一緒に船に乗って漁業に勤しんでいる。

 そのことを知っているからこそ、俺はやーにぃの本心を言い当てられる。


「とか言って、実はまんざらでもないだろ?」

「おっと、見抜かれてたか。ただのバカじゃないってことだな」


 そう言って二ヒヒ、と悪戯いたずらっぽく笑う。俺は口を尖らせて反論した。


「だからどいつもこいつも俺のことバカバカ言いやがって……。そこまでひどくねえっつーの」

「よく言うよ。お前さ、学校の成績、下から五番を抜け出したことあんのか?」

「うぐ」

「この前奈津に話聞いたけど、学生時代の俺よりひどいんじゃねえか?」

「それはねーよ」

「即答かよ!」


 やーにぃも大概成績が悪かったと聞いている。当時と今では比較もしづらいが、多分いい勝負だと思う。俺は絶対に負けていないと思ってるけど。


「ていうか、やーにぃ。昨日の噂、なんだよ。八雲のばあさんですらその詳しい内容は知らなかったんだぜ。やっぱ誰かが流したデマだろ」


 やーにぃは頭を掻きながら、「んー」とうなる。


「でもなー、やっぱりなんか気になるんだよねー。だってこんな噂今まで聞いたことなかったってのに、突然流れ始めたんだしよ」


 言われてみれば確かにそうかもしれない。峻も昨日、帰り際に同じようなことを疑問に思っていた。それに、八雲がいつものようにあのおとぎ話をした意味は本当にあったのか、結局分からずじまいだったのだ。俺も、峻がそのことを言うまで忘れていた。


「そう言えば、その情報って誰が流したんだよ」


 情報源、この噂の出所がどこなのか。俺はそこが純粋に気になった。その情報を流した人なら、もう少し詳しいことも知っているのではないかと思ったからだ。


「残念。俺は昨日の朝に漁港で聞いただけだからな。誰が流し始めたなんてことは分からん」


 しかし、あっさりとそのアテは外れてしまった。


「なーんだ、やっぱ噂は噂ってわけか……。ま、なんか新しいこと分かったら教えてくれよ」

「おいおい、随分と上から目線じゃねえか。昨日はあんだけ否定してたってのによ」


 確かに昨日は俺と峻、そして奈津の三人で完全にやーにぃの言ったことを否定した。それは確かなのだが……、


「だってよ、望海のやつがその話を信じるから」

「ははーん、……なーるほどね」

「何がなるほどだよ」

「だって、拓海は望海のことになると途端に甘くなっちゃうからなー」

「そうか?」


 俺はむすっ、として答える。やーにぃの表情がどうにも俺をからかっているようにしか思えなかったからだ。


「そうだろどう考えても。やっぱ長年一緒に住んでると、甘くなっちゃうのかねえ」

「ま、妹みたいなもんだからな」

「妹、ね。彼女にしたいとかじゃないの?」


 俺はやーにぃの言葉に思いきり肩をすくめて、しかめっ面をして見せる。


「やーにぃ……、さすがにそれはねえぞ」

「おいおい、冗談で言ったのにそのガチなリアクションは求めてないって。……じゃあ、ウチの奈津はどうだ!? まあ、奈津が誰かの彼氏になるなんて俺は認めたくない! 認めたくはないのだが! それでも、拓海ならギリ……、ギリギリオッケーだ!」


 やーにぃは歯を食いしばりながらうめくように言う。まさに必死の形相ぎょうそうだった。その目を見ながら俺は冷静に言い放ってやった。


「断る」

「ぐはぁっ! 俺が愛する妹を嫁に出してやろうと悲壮な決意で言ったというのに、そこまで無下むげに断るなんてヒドクない!? ねえ!?」


 ったくどうしてみんなこんな風に恋愛だのなんだの言ってくるのだろうか。ていうか二十代の男なんてみんなこんなもんなのだろうか。やーにぃ彼女いないし。


 確かに、俺たちももう高校生だ。周りでそういう浮いた話が全く無いかと言ったらそんなことはない。昔からほとんど変わらないメンバーで過ごしてきたということもあって、同級生のみんなは友達以上の何かをお互いに感じている。だが、それでもある一線は越えることができないと感じている部分もあった。


 たぶん、それはこれからも変わらない。いや、変われないと言った方がいいのかもしれない。それでも、こんな穏やかな関係がいつまでも続けばいい、と俺は少なくともそう思っていたのだった。

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