第2話

 声にならなかったが、今の気持ちを表すのに十分だっただろう。碧の声はよく通って、教室中に響き渡っている。すなわち、今の「は?」は教室にいる誰もが同じことを思っていたはずだ。というか、声にならないだけで、今の沈黙がそれを表している。


 俺は恐る恐る周りを見渡す。望海は頭の上に明らかな「?」を浮かべながら俺たちのことを固まった表情のまま見ている。奈津は、その他大勢の人と同じような怪訝けげんそうな表情を浮かべている。峻は……、うん、特に変化なし。


「ねえ、拓海ってば」


 碧の声がして、俺はもう一度向き直る。そこには目をキラキラとさせながら俺に近づいている碧の姿があった。


「……な、なあ天野さん」

「やだなー、天野さんだなんて。碧でいいよ」

「じゃ、じゃあ碧。……近くないか?」


 そこでようやく碧は、俺の席の八割ほどを占拠していたことに気付いて、「あ」と言いながら少し照れた笑いを浮かべながら元の位置に戻る。


「……で、本当に会ったことあるの、拓海」


 奈津が問う。周りもそれに同調するように、そうだそうだと頷いていた。

 これはどう言うべきなのか……、碧がいつのことを言っているのかも分からない。碧が言っているのが今朝の話だったら、あの夢か幻覚か分からないような光景を碧も見ていたということになるのだけれど――、


「碧……、それ、いつの話だ?」


 とりあえず様子を見ておくことにした。クラスメイトの視線が今度は碧へと切り替わる。


「えっ、ボクは見たんだけどなー。ほら、今朝の話だよ。突然白い光に包まれたと思ったらその中で男の子に出会ったんだけど、それが拓海にそっくりで」


 ここまで言ってしまったのならば、もう間違いようがない。


「たっくん、そんなことあったの?」


 不思議そうに俺たちを見る望海。周りも少しざわつき始めていた。「白い光?」「ありえねえし」「夢でも見たんじゃないの?」などと聞こえる。


「……碧の言ってることは本当だよ。ほら、朝に変な風景を見たって言っただろ? その時に白い光に包まれて――、その中で確かに俺は碧に似た女の子を見た」


 俺の言葉に、ざわついていたクラスが今度は騒然とする。


「拓海、そんなこと言ってなかったじゃない!」驚愕の表情の奈津が言う。

「んなこと言ったって信じてもらえるわけないと思ったしよ。それに、やーにぃとかはそんなの見てなかったらしいから、夢でも見たんじゃないかと思って」


 だけど、それは夢ではなかった。実際に目の前にいるこの女の子もその光の中にいたわけで……、


「ていうか碧、お前あの時海の上にいたのか?」

「え? あ、あー、いや、あの時は海の近くにはいたけどさすがに海の上ってわけじゃなかったよ。ほら、散歩してたんだよ」


 あんな時間に散歩とは、なかなか珍しい。まあ、落ち着かなかったのかもしれないな。


「それにしても」峻が口を開く。

「ねえ」奈津も同調した。

「な、なんだよ」

「いや、今の話が本当ならさ」今度は望海だ。

「何だよ、三人揃って」

「まるで」「運命の出会い」「だよねー」


 峻、奈津、望海の順に言う。その言葉をきっかけに、騒然としていたクラスが爆発した。


「おい、拓海! どーなってんだよ! お前ばっかり!」いや、お前ばっかりとは何だ。

「そーだそーだ! とりあえず俺たちに一人よこせ!」誰をだよ。


 どうにもこうにも収集がつかなくなってしまっている。碧も驚いたように目を見開いていたが、やがて困ったように小さく笑う。


「ははは、ごめん、拓海。こんなことになるとは……、ってうわわ!」


 その言葉を最後に、碧は女子陣たちの輪へと取り込まれていった。

 俺だってまったくついていけない話だって言うのに、なんでこんなことになるんだよ。爆発してしまったクラスの雰囲気が収まるのには、時間がかかりそうだった。


  ▽


「で、どういうことなのかしっかりと説明してもらえるのよね?」

「分かってるって……。でも俺だって混乱してんだからちょっと待ってくれよ」


 場所は変わって奈津の家だ。学校からほど近いこの家は、俺たちの溜まり場になりやすい。また、奈津の両親は役場に勤めているので日中は家に誰もいない、というのも溜まり場となった要因の一つである。

 集まったのは俺と望海、峻にもちろん奈津、そして碧の五人だ。奈津の部屋はそこそこの広さがあるが、さすがにこれだけ入るとスペースも小さくなる。


 普段はやーにぃが乱入してきたりすることもあってなかなか面倒くさいのだが、今日は早く帰ってきたこともあって家にいるのは奈津の母親だけだ。漁業の仕事は早くに終わるが、さすがに昼過ぎまでは帰ってこないだろう。


 碧は初めて来る奈津の家に興味深々の様子だった。キョロキョロと落ち着かない様子で、目を輝かせている。


「碧、少し落ち着け」


 峻がそう言って碧をいさめる。教室では一言も会話を交わしていなかった二人だが、ここまでの道のりでようやく会話をするに至った。本当にヘタレなやつだよ、まったく。


「あ、ごめん。ボク、人の家にお邪魔するのなんて初めてだからちょっと緊張しちゃって」


 碧はペロリと舌を出す。妙にその言葉が引っかかった。


「意外ね。碧って毎日人の家とかに行って遊びまわってるイメージだったんだけど」


 奈津がそう言うのに対し、碧はうつむいて弱々しく笑う。


「いやー、お恥ずかしいことにボクはあんまりここに来る前は友達とかいなくてさ。もちろん人の家に行って遊ぶ、なんてこともほとんどしてなかったよ」


 奈津は、あっと口をおおう。


「ご、ごめん……。昔のことも知らずに」

「え、い、いや、いいんだよ! ほら、そんなことより今こうやって奈津の家に来れてるんだから、そっちの方がボクにとっては嬉しいことなんだから!」


 その言葉は強がっているようには見えない。本当に心底嬉しそうな表情だった。

 この子に昔何があったのか。こんな美少女でもうとまれることがあったのだろうか。少なくとも今は、知る由もない。

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