第8話

 俺が風呂に入っている間に碧と望海は話していたようだ。俺が風呂から上がると、望海の部屋からウキウキとした声の会話が聞こえてきた。お前ら本当に腹割って話してるのかよ。


 俺が風呂から上がったのを察知したのか、部屋に戻るとすぐにドアの外から声がする。


「拓海、いい?」


 碧の声に俺は「ああ」とだけ返事する。


「おっじゃましまーす」


 そう言って軽くステップを踏むように入ってくる碧を見て、初めて会った日にこいつのことを妖精みたいだと思ったことを思い出し、少し笑ってしまう。


「どうしたのさ……、あ、さてはさっきのお風呂でのこと思い出して笑ったな」

「ち、違うって! なんでそうなるんだよ!」

「ま、ボクは自分の体には自信あるからいくら見せても構わないんだけどねー」


 そんな言い方するなよ。マジでじっくり見たくなるから。って違う違う!


「はあ……、からかうのもほどほどにしとけよ。マジで心臓に悪かったんだから」

「まあ、あれはどちらかというとボクらが悪いしね。ごめん」


 謝られるといや、別に……、って感じになる。ま、見れてラッキー……ってだから違う!


「ゴホン……、まあこれからも気をつけるように。……んじゃ、話をするか」

「うん!」

「まあ、まずはあれだ。……望海のこと、ありがとな」

「え?」

「いや、お前のお陰で望海、ちょっと変わったんだ。前まで引っ込み思案であんまり表に出ることはなかったのに、すごく積極的になったというか、そんな感じなんだよ。ま、記憶が無くなる前の話なんだけどな」

「へー、そうなんだ」

「ああ、お前に憧れてるとまで言ってたぞ」

「そっか……、ボクに憧れるのだけはやめておいた方がいいと思うけど」


 そう語る碧の瞳にどこか陰りが見えるのを俺は見逃さなかった。


「……なあ碧」

「ん?」

「お前、昔何があったんだ? それとも、昔のこと……、あんまり覚えてないのか?」


 俺が碧に会ってから感じていた違和感。浩美ちゃんに言われたのもあったけれど、疑問に思ったこと。


 碧には過去の記憶があるのか、ということ。

 これが俺の最も聞きたいことだった。碧に関しては、知らないことが多すぎるのだ。


 碧は少しうつむきがちに、「それは……」と答えにくそうにしていた。


「変なこと聞いてるってのは分かる。だから、無理に答えろとは言わない。でもさ、お前のことも知りたいんだよ、もっと。他のみんなについてもまだ知らないことがたくさんあった。だけどそれも、ちょっとずつ分かっていけばいいって思い始めた。だから、できればでいいんだけど、お前のことも知りたい。ちょっとずつでいいから、知りたいんだ」


 天野碧とはどういう人間なのか。これまでどういう考えを持って、どういう環境の中で暮らしてきたのか。俺は、それが知りたい。


 碧はうつむいていた顔をやがて上げ、俺の目をしっかり捉えて言った。


「ねえ、拓海。ボクさ、この島に伝わるおとぎ話のこと、聞いたんだ」

「え? あ、あー、あれか」


 碧が突然言い出したことに俺は面食らう。ここであの話が何の関係があるって言うんだ?


「アレを聞いて、ボクは自分の境遇に重ね合わせた。あのおとぎ話の主人公はアオって名前だし、すごくボクに近いものを感じた。……それにさ、ボクの昔にすごく似てるんだ」

「昔……?」


 あのおとぎ話の中で、主人公のアオは周りからもてはやされる余り、反感を買ってしまった。そしてイタズラで人界に落とされてしまってからは、今度は人間たちの欲望に飲み込まれることになってしまった。


 現実的で、非情だとも言えるあの世界の中で、アオは何を感じたのだろうか。そして、それと同じような思いを、碧は抱いていたのだろうか。


「そ、昔だよ。……拓海の言う通り、ボクには昔の記憶が無い。なんでかって、それはボクがそれを望んだからだよ。ボクは過去の記憶を捨てて、新しい物語を始めたんだ。……でも、ここに来て、それが正しいことなのか分からなくなった。ボクは、昔自分が感じたことを全て忘れてしまった。もちろんその中には良いこともあったのに。結局ボクは、昔の自分に縛られたままだったんだ。望海を見てて、記憶を失うことの悲しさだとか、重大さに気づかされてしまった。それにさ……」

「ん?」

「それにさ、一番大事な友達のことってやっぱり忘れられないんだよ。ちゃんとは覚えてなくても、何かのきっかけで思い出してしまうことがある。だから、望海もたぶん、心のどこかではみんなのことを覚えているんだと思う」


 望海は言っていた。俺たちといる時間が大好きだ、と。それはやっぱり、心の中では俺たちのことを信頼し、安心できる場所だと感じていたからじゃないだろうか。


 記憶が無くなっても、変わらないものもある。それは、変わってしまったもの以上にかけがえのない、大切なものなのかもしれない。


「そっか……。でもさ、碧もたぶん昔と変わらないんだと思うぜ」

「え?」

「昔も今も、記憶があろうとなかろうと、碧は碧だから。その根っこは変わらないんだと思う」


 その無邪気な性格も、ちょっと食いしん坊な所も、たまに体育会系のノリが入る所も。

 全部含めて受け入れて、碧という人間なのだろう。


「俺は、そんな碧のことが好きなんだ」


 だから、声を大にして言える。俺は碧という人間が好きだと。たとえ記憶が戻ったとして、今までの碧と違う部分が見えたとしても、その根っこは変わることはない。だから、何があっても碧を好きでいれる自信はある。


 ……ん? 好きってさりげなく言っちゃったけど……。


「ってわーわーわー! 好きってそういう意味じゃないぞ! あれだ! 人間的な意味でってことだ! あれ、なんか俺意識しすぎか? あーもう、最近恋愛脳のやつの話ばっか聞いてるから俺まで変になっちまったじゃねえかよ!」


 慌てふためく俺の姿を見て、プッ、と碧は吹き出してしまった。


「そんなに慌てなくても変な勘違いなんてしないよー。ま、ちょっと残念なんだけどね」

「え、残念?」

「ううん、なんでもない。あー、なんだかスッキリしたよ。こんなこと話したの、拓海が初めてだからね!」

「……そか。でも、みんなにも話してやってほしいな。たぶん、お前ならできるだろ」


 碧は飛びっきりの笑顔で頷いた。


「うん!」

「あとさ、お前の大切な友達ってのは覚えてないのか?」


 そう言うと、少し悲しそうに首を振る。


「そうだね……、あんまり覚えてないんだ。探してはいるんだけど」

「そっか……、じゃ、俺たちも手伝うよ」

「ほんと!?」

「ああ。だって、友達の願いなんだからな」


 碧がそう願うなら、俺は碧のためにがんばれる。それは望海のためにがんばるのと同じような理屈でもあった。


 碧は少しはにかむと、「ありがと」と言う。

 明日、俺たちは雌川島へと再び乗り込む。たぶんみんな、その覚悟はできているはずだ。

 どうすればいいのか、どうするべきなのかはあまり分かっていない。だけど、やるだけのことはやる。最後まで全力でぶつかる。それは碧が教えてくれたことでもある。


 ありがとな、碧。

 碧が来てから何度目か分からない感謝の気持ちを俺は心の中で伝えた。



 ――そして翌朝、碧は家からいなくなっていた。

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