第4話

「望海、どうしても親父と仲直りしてほしいって言うのだったら、一つ条件がある」

「え?」

「こっちに戻ってきなさい、望海。もういいじゃないか。そろそろ家族が一つになってもいい頃だと思うんだ」


 その言葉に、俺の萎えかけていた心が再び燃え上がる。


「ちょっと待て! そんな都合のいい話、あるはずねーだろ!」


 今まで気にしていた言葉遣いも、一辺に吹き飛んでしまう。冗談じゃない。


「どうしてそうなるんだい? 僕はあくまで条件としてそれを提示したまでだよ。大体、望海がこっちに戻ってきさえすれば、僕としては親父の言うこともある程度受け入れるつもりなんだけどな。……それに、望海と一緒に親父や拓海くんにもこちらに住んでもらうということも考えている」

「そんなのじいちゃんが認めるわけないさ。じいちゃんとあんたの意見は真っ向から対立してるんだ。そんなにうまく受け入れられるはずない。もちろん俺だって認めるもんか」

「それはどうかな? あの頃は僕も頭が固かったからね。今なら、向こうの意見をある程度取り入れつつ、こちらの意見も尊重してもらう形をとることもできると思っている」

「みんな仲良くってことか? そんなにうまくいくはずないと思うけど」

「そこまでぬるいことは言ってないつもりだよ。でもね、いつまでもにらみあいの冷戦を続けていても意味がないだろう? そろそろ、雪解けをしないといけないと思っていた頃合いなんだ。ちょうどいいじゃないか、望海が先頭を切ってこの二つの島の架け橋になる」

「おい、勝手にあんたらの都合に振り回される望海の気持ちにもなってみろ!」


 俺は怒りのあまり、立ちがって親父さんを睨みつける。だが、完全にヤケになっていた俺を止めたのは望海の一言だった。


「やめて! たっくん!」

「望海……」

「ありがとう、たっくん。私のこと、考えてくれてるの、すっごく分かるよ。でも、でもね、……ちょっとだけ考えさせて」

「そうか。まあ、今この場で返事が欲しかったわけじゃないからな。また、電話ででもいいから聞かせてくれよ。……いい返事、期待しているよ」


 そう言って、親父さんは席を立った。「じゃ、仕事に戻るね」と言い残し、俺たちの元から去っていく。

 しばらく俺たちは、座ったまま動くことができなかった。


   ▽


 夜、俺の家の食卓はひどく静かだった。

 じいちゃんが喋らないのは常なのだが、俺たちの間に会話がないのは珍しい。時々話し過ぎてじいちゃんに怒られるくらいだというのに。


 もちろん原因は、昼の出来事にある。

 あの後、どのようにして帰ってきたのかあまり覚えていない。まあ、案の定帰りも望海は船の上で気分悪そうにしていたのだが、俺に助けを求めることはなかった。


 俺はその様子を見て、一種の寂しさを感じていた。

 まるで、俺の助けがなくても大丈夫なように無理をしているように見えた。俺の元から離れて、親父さんの所に行っても大丈夫なように――、


 俺はそこまで考えてしまい、唇を噛む。ダメだダメだ、そんなことを考えてしまってはいけない。まだそうとは決まったわけじゃないし、そんなの俺は絶対嫌だ。

 嫌だけど、だけど、本当にそれでいいのか? 俺はいつも望海にとっての一番を考えてきた。望海にとって、何がいいのか。本人がそれを望むのなら、俺にそれを止める権利はあるのか?


 分からない。今の俺にはまったく分からなかった。


「ごちそうさま。……食器、食べ終わったら台所に置いといてね」


 望海はそうとだけ言うとさっさと立ち上がって行ってしまった。


「――お前、望海と何かあったのか?」


 望海が台所から居間を通り、自分の部屋へと戻っていってから、俺の顔も見ずにじいちゃんは呟く。


「何かってほどのもんでもないって。別に大したことはねーよ」

「……そうか」

「じいちゃんもおかしいよな。今日はじいちゃんの大好物のぶり大根だっていうのにおかわりもしないなんてよ」


 帰り道に俺は晩ご飯は何がいいかと問われたが、特に希望を出さなかった結果、じいちゃんの好物となった。じいちゃんは特に表情を変えずに「おう」とだけ言ったが、俺はその口元が少し緩んだのを見逃さなかった。


「別に特別好きだというわけじゃない」

「うわー、まじで素直じゃねえ」


 望海は、じいちゃんの好きなものを完全に把握してるんだよな。つまり、自分ではそのつもりがなくても、顔にはっきりと出てしまっているということなんだろう。


「それは、お前も一緒だ」

「は?」

「お前も素直じゃねえってことだ。そういう所だけ俺に似やがって……。望海なんか俺に似てる所なんてありゃしねえ」


 俺も素直じゃねえってどういうことだよ。その言葉が喉元のどもとまで出かかったが、何となくそれを飲みこんでしまう。


「……ま、望海がじいちゃんに似なくてよかったよ」

「どういう意味だ」


 じいちゃんはむすっとする。なんだかんだで、この人結構自分が相当の頑固親父だと気付いてないからな。


「まあとりあえず何もないから。俺は行くよ」


 そう言って立ち上がる俺の背中に、じいちゃんの声が掛けられる。


「……孝明からの電話だったのか」


 居間を出ようとしていた俺は、思わず立ち止まる。


「気づいてたのかよ」俺は振り向いてじいちゃんの方を見る。

「声が少し漏れていたからな。……今日、向こうへ行ったんだろう?」

「あぁ、そうだ」


 気づいていながら黙っていたのかよ。よく分からないじいさんだ。

 俺はじいちゃんに今日の出来事を伝えようかと迷うが、望海の口から言うべきことかとも思い、口をつぐむ。


「……まあ、俺には関係のない話だ。それに、俺の方からあいつに会いに行くことは一切ない」

「何で関係ないって言い切るんだよ」


 思いっきり関係があると分かっているから言えることでもあった。


「望海が何を言ってきたとしても、俺はここから離れる気はない。……望海が出ていきたいというのなら、何も言わんがな。本来、それが正しいことだ」


 そう言うじいちゃんではあったが、その表情はどこか重苦しい。

 それを見て思う。ああ、やっぱり素直じゃないな、と。


 もしかすると、俺も素直じゃない、というじいちゃんの言葉もあながち間違ってはいないんじゃないかと思った。

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