第1話


  ▽


「だーかーら! その話は聞き飽きたんだって!」


 俺は、淡々といつもの通りに例のおとぎ話を語り始めた目の前のばあさん……、いや、幼女――高原八雲たかはらやくもの話を途中でさえぎって、不満をぶつけた。


 この幼女……、いや、ばあさんの家に来るといつもそうだ。耳にタコができるくらい今の話を聞かされているというのにこの期に及んでまだ話を聞かせようとするのか。


「仕方ないじゃろう。ワシはこの話の語り部じゃからの。この話を語り継ぐもんもこの島には少なくなってしもうた。だから、せめてワシぐらいは語り続けんといかんくてな」


 八雲の口ぶりは明らかにジジくさいのだが、見た目や声質であったりはどう考えても幼女だ。おかっぱ頭のちんちくりんな感じで、いつの時代のガキだよ、と思わせる。


「十分すぎるくらい語ってるっつうの。こんだけ話されたらもう一言一句覚えちまうほどだぜ」

「そうかの? ワシはお前の記憶力を疑ってるのじゃが」

「あんたひでえな!」


 俺がしかめっ面をするのとほぼ同時にクスクスという笑い声が周りで沸き起こる。

 ここでこの話を聞いていたのは、俺一人じゃない。


「ま、拓海たくみの成績じゃあそんな風に思われても仕方ないわよね」

「おい、お前も人のことは言えねえぞ」

「失礼ね。あんたほどじゃないわよ」


 ニヤニヤ笑いを浮かべながら俺をいびるのは、篠田奈津しのだなつ。ガサツで、男の俺をもビビらせるくらいの迫力をたまに見せるところあたりはまるで女の子らしくはないのだが、長い髪をポニーテールにすることによって見え隠れするうなじだとか、薄着によって強調される二つのお山(めちゃくちゃ大きいというわけでもない)から、たまーにこいつが女の子だということを思い出させられてしまう。悔しいけど、基本的には美少女なんだと思う。多分。


 しかも、コイツの場合無意識にそれをやっているというのが性質たちの悪いところだ。ちなみに俺が言うようにコイツも成績はあまりよくない。……まあ、確かに俺ほどではないんだけど。


「それで、いつものおとぎ話をした意味は何かあるんですか? 八雲さん」


 冷静に話を繋げたのは、楠見峻くすみしゅん。落ち着いていて頭が良い。俺とか奈津のようなタイプとは真逆で、その冷静さに俺たちはいつも助けられてきた。一言で言うと空気の読めるイケメン。もうちょい表情豊かだといいんだけど。愛想が悪いというわけではないのだが、自然な笑顔の作り方を知らないのだと思う。


「ふむ、まあお前たちが聞きたいことがあるのは承知しておったのじゃが、とりあえずワシとしてはこの話をせんと締まりがなくてのお」

「って意味ねえのかよ!」

「いや、意味がないというわけではないのじゃが、ともかくまあ落ち着かんかい、拓海」


 八雲は何かもったいぶっているかのように喋り出す。俺はしぶしぶと口を閉じて八雲の言葉を待つことにした。

 島に伝わるおとぎ話だなんて言うが、所詮はただの伝説。俺たちは小さい頃からここに来るたびにその話を聞かされてきたのでもう完璧に覚えてしまっているものの、この島の人間以外にとってはこんな話、聞いたことすらないだろう。


 今日、夏休みの最後の日にわざわざ来たくもない八雲の家を訪ねたのは、こんな話を聞くためではなく、奈津の兄貴である大和やまとから聞いた「ある噂」についてその真偽を確かめるためだった。


「でじゃ、聞きたいのは最近噂になっとる『アレ』のことか」

「そーだよ。この島に存在するっていう『七不思議の伝説』のことだよ」


 俺たちがやーにぃ(奈津の兄貴の大和のこと。俺は昔からそう呼んでいる)から聞いた噂。それは、この島、いや島々には『七不思議』があるということだった。

 俺が初めにそれを聞いたときは、よくある学校の七不思議みたいなもんでどうせガセだろ、と感じたのであり、峻や奈津もおおむね同様の意見だった。


 しかし、その話に食いついた子が俺たちの中に一人だけいた。


「八雲さん、本当のところはどうなんですか? 本当にそんな伝説があるんですか?」


 控えめながらも声を上げたのが、七不思議のことを聞くために八雲の所に行こうと提案した張本人、牧瀬望海まきせのぞみだ。

 望海の言葉に反応して、八雲が嬉しそうに言う。


「ふむふむ、望海ちゃんは知りたいようじゃの。そうか、望海ちゃんが言うなら教えてあげてもよいのじゃがのお……」


 どうして望海が言ったらそんなに態度が変わる。っていうか、さっきから体をクネクネさせんな、気持ち悪い。


「たっくん、教えてくれるって!」


 望海は期待のこもった目つきで俺の名を呼ぶ。望海は昔から、俺のことを拓海という名前からたっくんと呼んでいた。


「うーん、でもこのばあさんの話、信用できないからな……」

「たっくん、そんなこと言っちゃダメだよ。八雲さんはずっとおとぎ話を絶やさないようにって必死に頑張ってきたんだから。八雲さんの言うことなら、私は信用できるよ」


 その言葉に、八雲は泣きマネをしながら望海にズイッ、と近づく。


「おぉ、さすが望海ちゃんじゃ。ワシの苦労をよく分かっておる。本当にいい子じゃ。ところでもう少し近くに寄ってもいいかの?」

「ちょっと黙っとけ!」


 最後の言葉を聞いて、俺は八雲の頭をひっぱたく。っていうかアンタ女だろ。はたから見たらちょっと異様な光景だぞ。

 それに……、と俺は息をつく。


 全く、誰にでも優しくするんだから、こいつは。


 俺は、少し呆れながら望海の顔を見る。自分に近づいてきた八雲への戸惑いと、それをひっぱたいた俺を微妙にとがめるような複雑な顔をしていた。

 俺は、ずっとこいつを一番近い所で見てきた。高校一年生になってもうすぐ半年になるというのにまだまだ幼げな顔も、浜風に揺られてさらさらとなびく綺麗なセミロングの黒髪も、引っ込み思案だけれど接するもの全てに向けられる優しさも、含むところなどない満面の笑顔も、時折見せる意志の強さも、全部。


 だからだろうか、俺はどこか危なっかしいこいつのことを守ってやらないといけない気がしてしまうのだ。昔からずっと一緒だったけれど、いつからだろう、そう思うようになっていた。


「全く、拓海には冗談が通じん」


 八雲は口をとがらせながらそう言って、元の位置に戻る。


「あんまりシャレにならない冗談は言わねえことだな」


 俺も負けじと応戦する。そんな二人の様子を交互に見た奈津がこのままではらちがあかないと判断したのか、はあ、とため息をつきながらも話を繋げてくれた。


「で、ともかくそろそろ話を進めてほしいんだけど」

「おお、そうじゃったそうじゃった。……で、あの『七不思議の伝説』のことじゃが……、詳しいことはワシらも知らんのじゃ。ただ、昔からそのような類の伝説が残っとったことは事実じゃのお」

「……何だよ、昔のことなら大体知ってるんじゃなかったのか」


 八雲は少しムスッ、とした顔で腕を組む。いや、ねてる幼稚園児にしか見えねえから。


「確かに大体は知っとるが、そんなことまではワシらの知る余地がないんじゃ。なにしろ伝え聞いただけで、実際にそれが文著として残っとるわけではないからの」

「つまり代々口伝されてきただけだってわけですか? それ、信憑性しんぴょうせいはあるのでしょうか?」


 峻がすぐに問う。あくまでこいつは冷静だ。峻がいると話がスムーズに進んでくれる気がする。……いや、間違いなくそうだろう。


「信憑性は正直薄いと言わざるを得んな。信じられるのはそれを伝えてきたこの島の者たちだけじゃ」


 それはつまり、八雲みたいな語り部が伝えてきたってことか……。俺は改めて目の前に座っているちんちくりん幼女をまじまじと見つめる。


「……なんじゃ拓海、その目は」

「いや、別に」


 やっぱこのばあさん、じゃなくて幼女の話じゃどうにも信用できねえんだよな……。胡散うさん臭すぎるだろ。


「私は本当だと思うんだけどなあ。たっくんは嘘だと思うの?」


 望海がひょこっと俺の顔をのぞく。その好奇心旺盛おうせいなキラキラとする瞳を見てしまえば、さすがに困ってしまう。


「うーん……、いや、だってなんかすごく嘘臭いっていうか、本当だと思える証拠がないっていうか」

「なーに、頭良さそうなこと言ってんのよ」


 奈津が横から口を挟む。「うっせえ」と言いながら俺は言葉を続ける。


「逆にどうして望海は本当だと思うんだよ?」


 俺の問いに望海はうーん、と小首をかしげる。


「…………なんとなく、かな?」

「はあ?」

「なんとなく、だよ。……ごめん、それ以外理由が思いつかなくて」


 そう言ってバツが悪そうに笑うのを見て、俺はこりゃどうしようもないな、と感じる。


「ったく、仕方ないやつだよな……。んで、八雲。その内容とやら、詳しくなくてもいいから教えてくれよ」

「なぜ急に偉そうになっとるんじゃ。……しかし、お前さんたちに教えても意味はない気がするがの」

「どうして?」奈津が尋ねる。

「そりゃあ、ヒントが少なすぎるからじゃ。ワシが知っているのはその伝説のほんの断片でしかないのだからな」

「それでもいいんだよ。とりあえず教えてくれ」

「仕方ないのお……、では教えてやるが、ワシが教えられることは一つ。七不思議の一つ目は、『神隠し』ということじゃ」


 その言葉に俺たちは静まりかえる。しかしその言葉で口を閉ざしてしまった八雲に対し、やがて俺が口を開いた。


「……え? それだけ?」

「だから一つと言ってるじゃろうが。あとは自分たちで考えることじゃの」


 それだけ言ってお茶をすする八雲に、俺たちは唖然とするしかなかったのだった。

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