第42話 ロボロフスキーハムスター


 前項で書いたように、俺はジャンガリアンには苦手意識を持ってしまった。

 だが、ハムスター自体は飼いたい、と思うようになっていた。

 そもそも俺はキモイ生き物が好きなのではない。生き物に分け隔てをしないだけなので、モフ系もそれなりにちゃんと好きだ。

 だが、モフ系の多くは手間と金が掛かる。犬猫は言うに及ばず、ウサギでもモルモットでもリスでも、世話に掛かる時間、手間、エサなどのコスト、臭い対策など両生爬虫類の比ではない。また、俺の主義は飼育するなら繁殖させたいわけであるが、繁殖させれば、必ずもてあますことになる。

 飼育してみて分かったが、ハムスターはわりと両生爬虫類的に飼育できるモフペットだ。

 まず第一に、スキンシップはしない方がいいところが似ている。

 蛇やイグアナを抱いたり首に巻いた画像を見かけることがあるが、言うまでもなくあれは彼等にとっては迷惑以外の何ものでもない。群れるわけでも馴れるわけでもない生き物を無理やり触ったところでストレスしか与えていないのだ。

 寒い時期なら体温を求めて寄ってくることがなきにしもあらずだが、普通は人間の体温は彼等には熱すぎる。

 ハムスターの場合は、体温がどうとかではないが、もともと生態系ピラミッドの底辺で捕食されまくっていた彼等は、警戒心が強い。巨大な人間など脅威以外の何ものでもないから、やはりストレスなのだ。

 世話を毎日しなくて良いところも似ている。エサと水さえたっぷり与えておけば、毎日のぞき込んだりしない方が調子がよい。

 むしろ、大食漢で水を汚すカメや、日光が必要なトカゲ類、霧吹きでないと水を飲まないヤモリやカメレオン、冬の温度要求が厳しい熱帯産のヘビなどよりも、ずっと手抜き飼育が出来るといえる。

 まあ、そうまでスキンシップせずにモフ系ペットを飼って、楽しいのかと聞かれればアレなのだが、まあ、爬虫類的に飼える生き物なのは間違いない。


 で、ジャンガリアンが寿命でいなくなった俺は、ちょっと別のハムスターを飼ってみようと思い立ち、またペットショップを訪れるようになっていた。

 前項でも書いたが、その頃はもう、ジャンガリアンは一般化して値段もぐっと安くなっていた。

 一般的なゴールデンハムスターはむしろ減っていたが、ジャンガリアンはアルビノや薄色の色彩変異など数品種出ていたし、大はプレーリードッグから小はピグミーマウスまで、それ以外の小型の齧歯類も、何種類も店頭に並ぶようになり、選択の幅が広がっていた。

 変わったところでは、トビネズミやモモンガ、ヨーロッパヤマネなんて動物園でしかお目に掛かったことのないようなのも、いい値段で売られていたのである。

 ネズミ系以外でも、キツネやスローロリス、ハリネズミ、フクロウなども置かれていて、店頭は動物園さながらの状態であった。

 これはべつに特殊な動物専門店の話ではない。その辺のホームセンターにあるようなペットコーナーの普通の姿であった。当時はそういうののブームだったのだ。

 今も無責任に、モフ系ペットの可愛らしさや両生爬虫類の物珍しさを煽る番組があるが、当時も状況はほぼ同じであった。ただ、現在は店頭に置かれているそうした小動物の種類は、ぐっと少なくなっているはずだ。

 何故なら、いわゆる齧歯類……ネズミ系の野生種の多くが腺ペストに感染しているものが多いことが分かって輸入禁止になったからである。そこへもってきて、特定外来生物法が施行され、ハリネズミやアライグマが飼育禁止となり、ハクビシンからもSARSという、死亡率の高い肺炎症状を引き起こすウイルスが発見されたことで、さらにショップの店頭は寂しくなっていったわけだ。

 これは実に馬鹿馬鹿しい話であって、多くの野生生物が感染症を持っていてその中に人間に伝染うつるものがあることも、後々どんなに面倒になろうと一度飼育した生き物を安易に放逐してはいけないことも、常識レベルであろう。

 つまりそれを注意喚起もしないで販売する方も、考えもしないで飼う方も、非常識人以外の何ものでもない。

 まあ、そんな非常識人でもなければ、テレビを見て可愛かったからといって衝動的に野生生物を飼育したりはしないのかも知れないが。

 俺はむろんペットの飼育自体を否定しないし、そんなえらそうなことを言える立場でもないが、覚悟も知識も勉強するつもりもなしに、野生生物を手元に置こうなどとしてはいけないと思っている。

 飼ってみたい、という気持ちはあっても決して手を出さない生物もいくらでもいる。

 野生生物ではコノハカメレオンやツノトカゲ、コビトカイマン、カイザーツエイモリ、コツメカワウソ、アフリカオオコノハズク、ハリスホーク。身近なところでは、ニワトリやヤギ、ミニブタなんかも飼育してみたいが、飼わない。手間やコストの問題だけでなく、飼いきれないものや飼育下で殖やせないもの、致命的な感染症を持つ可能性のあるもの、周囲に迷惑が掛かるものは決して飼わない。

 野生生物の飼育を始めたいなら、身近なところから、そう、まずはダンゴムシから始めることをオススメしたい。


 また何だか熱くなって前置きが長くなった。

 表題のロボロフスキーハムスターに話を戻そう。

 ロボロフスキーハムスターは、世界最小のハムスター、というふれ込みで店頭に飾られていた。

 店員の説明では、ジャンガリアンよりも穏和で喧嘩しないとのこと。ものの本を調べてみると、飼育下で累代飼育され始めてから比較的日が浅い、野生の色を濃く残したハムスターだということであった。

 当時の値段は一匹五千円近くしたと思う。すでにジャンガリアンが千円以下になっていた頃だから、破格の高値であったが、手の出せない値段ではない。

 それに、前にも書いたようにもし殖えすぎてしまった場合にも、そこそこ高価な生き物なら引き取り手が現れる可能性が高いから、むしろいい。

 ではこいつだ。

 こいつに決めた。

 俺は早速、ロボロフスキーハムスターを1ペア、購入して持ち帰ったのであった。

 ケージ、水のみ、餌入れもジャンガリアンのものがあるから大丈夫。種類が違うといっても一回り小さいくらいだし、たぶん問題なかろう、とケージに放り込んだ。

 それが大きな間違いであった。

 翌日。二匹いたはずのロボロフスキーハムス……ええい、いちいち長いな。もうロボでいい。

 ロボは一匹になっていた。

 ジャンガリアンなら幼体でも絶対に抜けそうもない、金網の間をすり抜けて逃げたとしか考えられない。

 逃げたのはオスかメスか? どっちか確認しようとしてケージに手を入れた俺は、このハムスターが異様に素早いことにようやく気付いた。っていうか、狭いケージの中でさえ捕まんねえし。

 こんな素早い生き物が部屋の中に逃げたというワケか。俺はさすがに青ざめた。

 幸いというか、当時は会社の社員寮にいたので六畳一間の一人暮らし。トイレも風呂も炊事場も共同だから、複雑な構造はない。

 むろん換気口や下水道もなく、逃げ出す道もないから他人に迷惑を掛けたりすることもなさそうなので、とにかくその日は会社へGO。帰宅後じっくりと腰を据えて捕まえることにした。

 さて。メリットはデメリットでもある。

 六畳一間はたしかにそこから逃げられる心配は少ないが、所狭しと置かれた水槽やコミック類、衣類や布団、家具類を一時移動させる場所もない。

 現状のままで小さなハムスター一匹を見つけ出さなくてはならない。

 それには罠がベストだ。そういう結論に至った。だがネズミ罠は危険だし、そもそもネズミの餌でロボが捕まるかどうか分からない。せっかく購入したロボを、殺すような罠は問題外。安全でかつ最低のコストで作成できるもの……勤務中、ろくに仕事も手につかず考えていたのだ。すぐにありあわせのもので作り上げた。

 そう難しい仕掛けではない。

 まず、やつらは壁や家具に沿って歩く習性がある。そうしないと安心しないからだ。そこにバケツを置く。もちろん、それだけではダメだ。

 わざわざ中に入るロボはいない、っていうか入れない。

 だから薄いベニヤ板で斜路を作ってやるのだ。斜路は壁に沿わせて設置。そして、斜路に点々と餌を蒔く。

 そして放りっぱなしだったロボの餌袋はもちろん、熱帯魚用の餌や人間用のスナックなども回収して冷蔵庫へ。

 これでロボは飢えるはず。小動物は代謝が高い上に脂肪が少ない……つまり断食に弱いのだ。ドブやクマなどのネズミどもなら、観葉植物や畳を囓ってでも生き延びようとするが、ロボはそこまでタフではないだろう。

 飢えたロボが壁沿いに歩いていると、道の上に餌がある。喜んで食べながら歩いていくと、いつの間にかバケツの上で、ぽとんと落ちる。これがネズミならバケツくらい軽く飛び出してしまうが、ハムのジャンプ力は無いに等しい。一度落ちれば逃げられはしない。

 そういう仕掛けだ。

 この罠は、みごとに機能した。翌朝バケツの中には逃げたロボがちゃんと捕まっていたのである。俺はホッとした。

 だが、ホッとすると同時にケージを買い直さねばならない、ということを受け入れなくてはならなかった。


 ロボはたしかに店員の言ったように、ジャンどもと比べて喧嘩しなかった。

 最近の飼育書やサイトには、ジャンよりもロボの方が気が荒く、複数飼育に向かない、などと書いてあるのを見かけるが、どこでそうなったのかは分からないが逆だと思う。

俺の飼育していたロボ達は、少なくとも喧嘩はほとんどしなかった。

 飼育はいたって順調。だが、こいつらの懐かないのには閉口した。とにかく、いつまで経っても寄ってくるような様子はないし、ジャンのように動きが鈍くないからケージの外になど出せない。モフって楽しむ趣味はないつもりだったが、やはり長年ジャンを飼ってきた者からすると、なんだか物足りない。

 それに殖えない。

 雌雄入れてあるはずなのだから、いくらでも殖えて困るかと思っていたのに、一年経っても、まるでその気配がないのであった。

 そのうち俺は子猫を拾った。

 それも、目やにで目の塞がった病気でブルーグレーの子猫である。この猫のことで、怪奇現象が起きたりするのだが、それはまた別の話。

 死にかけだった子猫は、なんだかんだで元気になった。そして元気になってくると、当然ロボ達に襲いかかろうとする。俺は置き場所に困った挙げ句、ケージを押し入れに収納してしまうことにした。

 さて。子猫は三ヶ月ほどでもらわれていったが、ロボの位置は変わらなかった。

 ロボには特に日光など必要なさそうだったし、そもそも万年床だから他に押し入れに収納するものはない。

 しかも押し入れの中は、温度も湿度も一定でじつに管理しやすいのだ。

 それからしばらくして、狭い部屋の中で友人二人と飲んでいた時。


『キューキューキューキュー!!』


 そう表現するしかないような、甲高い叫びが押し入れの中から聞こえてきた。

 ジャンの時、こういう声が聞こえたら大喧嘩であったことを思い出し、俺は慌てて確認してみた。だが、雌雄どちらにもケガの様子はない。二匹ともいつもと大して変わらない様子でケージ内をうろついているだけだ。

 負傷の有無を確認したいが、素早い彼等を取り逃がしてはいけない。その上、その時は酔ってもいた。俺はそっと押し入れの扉を閉めた。

 その時は『へえ、ロボも鳴くんだなあ』程度にしか思わなかったのであった。

そして翌日。俺はケージをもう一つ買い込んできた。喧嘩している可能性もなくはないから、二匹を分けた方が良いと思ったからだ。

 押し入れの中のケージから、一匹を捕まえて新しいケージに移す。いつもは手を嫌がって大騒ぎになるが、もう一匹が何故か巣箱の外へ出てこないので意外に楽だった。

 しかしその夜。またもあの声が響き渡った。


『キューキューキューキューキュー!!』


 一匹ずつに分けたのに、まだ騒ぐってのか。喧嘩でないのは間違いなさそうだが、一体何があったというのか。

 と、少しは気にもなったのだが、対策は充分にしたはずだし、臆病なヤツらのこと、そんなにしょっちゅう覗き込んでは、ストレスにもなろう。

 そんなわけで俺は、こいつらはしばらく放置、と決めたのであった。

それから数日間は押し入れの中から『キューキュー』聞こえ続けていたのだが、そのうち鳴き声は止んだ。

 その間、特に気にもせず餌と水だけやっていたのだが、ぽかっと空いた日曜の昼。さすがに敷いてあるおが屑も取り替えてやらねばとケージを取り出してみて、俺は絶句した。

 …………増えてる。いや……殖えてる。

 最初のケージの中には、大きくなった親一匹と、それより一回り小さい感じのロボが三匹いた。その時になって、俺はようやく気付いた。

 あの『キューキュー』は、生まれた子供の声であったのだ。

 繁殖したのかそれはよかった。しかし待て。三匹いるが、本当に最初から三匹だったのか????

 新しいケージは金網の隙間は狭いが、それはあくまで親用である。見た目この子ロボどもは、金網の隙間よりも……小さい。

 あわてて押し入れの中のものを取り出してみると……いた。

 小さなロボ一匹うろちょろと逃げ惑っている。やはり逃げ出していたのだ。

 だが待て。まだ安心してはいけない。

 この押し入れ、べつに閉めっぱなしだったわけではない……そして、猫のいなくなったこの部屋には、ゴキブリが出るようになり、ホイホイを仕掛けてあるがまさか……いた。

 ホイホイの中の暗がりに、こんもりとした影。

 残念なことに、こっちの子ロボはすでに星になっている。しかも相当前に引っ掛かったらしく、乾燥しかかっていた。

 これで確認できた子ロボは五匹。だが、まだいる可能性はある……ってんで、再び以前の罠を仕掛けたのであった。

 結論から言えば、さらに二匹の子ロボが捕らえられた。

 いつの間にか押し入れから出てきて、部屋の中をうろちょろしていたのだろうが、俺はサッパリ気付かなかったわけだ。

 まあ一匹死なせたのは痛いが、殖えてくれてよかったってんで、とりあえず子ロボ達は網目のないプラスチックの衣装ケースに引っ越してもらい、勤務先でボチボチともらい手を探した。またこれ以上殖えても大変なので、オスメスは分けたまま飼育。これで話は終わるはずだった。

 だが二週間ほど経ったある日。


「キューキューキューキューキューキュー!!」


 聞き覚えのある声が押し入れから響き渡り、俺は青くなった。

 奇しくもまた同じ連中が飲みに来ている時であった。押し入れを開けてケージを覗き込むと、隅っこに横たわったメスに群がる赤裸のチビども。小さなソーセージにも似たそれは、まぎれもなく子ロボ達であった。

 何故、オスと隔離しているはずのメスが再び妊娠してしまったのか、これはもう推測でしかないが、出産後、俺がオスメスを分けた僅かな間に、子種を仕込んだのであろう。

 授乳期間中に発情、排卵するなどという、常識外れの現象があるならば、だが。

 そうでなければ、前回産まれた子ロボ達の中に、さっさと成熟したマザーファッカーがいたという可能性もなきにしもあらず。

 どちらにせよ、母ロボはまたも八匹もの子を産んだのであった。

 どうして急に繁殖を始めたのかといえば、押し入れという環境が彼等にぴったりだったからだと思われる。

 人間の姿が見え、声が聞こえ、足音で地響きが響く部屋よりも、よほど落ち着ける環境だったのであろう。しかも外敵の姿もなく、寒からず暑からず。

 子ロボ達は専用ケージで分けて飼うのは大変だったので、引き出し式の五段衣装ケースを購入。そこで飼育した。

 地元に帰ってからもそういう飼い方をしていて、近所の人に見られ『ヤツはヘビの餌としてネズミを引き出しで飼っている』という噂が立ったのはそれから五年ほど後のことだ。


 父ロボは二年ほどで死んだが、母ロボはなんだかんだで定期的に子を産みつつ五年ほど生きた。

 しかし、ある時うっかり逃げられてしまい、当時の飼い犬だった中型雑種犬・茶々丸に食い殺されてしまった。ロボの寿命は普通二年半ほどだそうだから、破格に長生きだったのか、俺の勘違いでいつの間にか世代交代していたのか、今となっては検証のしようがない。

 生まれた子達は、幸いショップからも知り合いからも喜んで引き取られたので、状況が破綻することもなかった。母ロボの死の後、平和的に俺はロボの飼育から手を引いた。

 ロボは今でも千円を切ることはないようで、ハムの中でも高価なままである。

 たぶん、押し入れの中に入れっぱなしの方が殖えるなどという事に気づく飼育者が少ないせいであろう。

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