第9話 シロアリ
学生時代の一時期、これを飼うのに熱中した時期があった。
『家を食い散らかす恐るべき害虫』というイメージがあるし、そう思っている人も多いだろうが、木を食ってタンパク質に変えると考えるなら、素晴らしく有用な昆虫だ。
そう考えたからだ。
たしかに直接シロアリを食え、と言われたら、俺も辞退するが、シロアリで育てられる生き物の中には、美味なものも含まれるかも知れない。
鳥類、魚類、両生類など、人類が食している生き物の中で、昆虫食傾向の強い生物は結構いるものだ。
食用でなくとも、カエルやサンショウウオの飼育には間違いなく使えるエサとなる。
その頃の俺はそう考えて、シロアリ飼育に挑戦していたのであった。
シロアリとかアリは、女王でないと卵を産まない、とされている。だが、当時俺が所属していた動物形態学研究室では、「どうやら、働きアリが産卵する場合もあるらしい」と、まことしやかに噂されていた。
その根拠としては、その研究室で、ある生物の餌用にストックしていたシロアリたちが、かなり長期間にわたって餌にしているのに一向に減らない、ということだった。
だが、その生物……ヤエヤマサソリが消費する数は、一日あたりに平均すると数十匹。これに対してシロアリをストックしているコンテナケースは、容量にして大型衣装ケースの倍近くあった。
もともとの数が何匹いるかも把握できていないし、そもそも中に女王アリがいるのやらいないのやら分からない状況である。
だが、それを最初に採ってきた先輩たちに言わせると、「女王アリなんか、絶対にいなかった」らしく、俺も一応その言葉を信じていた。
俺のいた大学は松林に囲まれていて、その林内をうろつくと、すぐにマツの倒木が見つかる。この中にシロアリはいた。当時は種類になど頓着していなかったのだが、その生態と分布域から見て、おそらくヤマトシロアリだったのであろうと思われる。
倒木の多くは適度に腐朽していて、手でも楽に掘れるが、山菜掘り用の小型スコップ「ホリホリ君」を使うのが効率的だった。
「ホリホリ君」はナイフとノコギリと小スコップを足して三で割ったようなものである。
商品名「ホリホリ君」は見かけなくなったが、今もホムセンで色々な商品名で売り出されているから、ああアレか、とお気づきの方もおられるだろう。俺は、野外活動では何かと掘ったり切ったりほじったりする。ナイフでは切れすぎ、小スコップでは弱すぎ、ノコギリでは大げさすぎな場合が多く、ホリホリ君はそんな局面で非常に便利に使えるシロモノなのだ。
このエッセイで紹介するような、気持ち悪い系を観察・採集・飼育対象とするマニアにとって、この「ホリホリ君」はフィールドワーク時に必携のアイテムであると宣言しておこう。
その「ホリホリ君」で倒木を掘っていくと、ムカデやゴミムシ幼虫、カミキリムシ幼虫、オオゴキブリ、アリの巣なども見つかるが、シロアリも何本かに一本の割合で見つかる。
これまでなら、どうせ女王がいなけりゃ殖えないから要らない、となっていたのだが、 先輩の言葉を信じ、躍起になって女王を捕らえなくとも殖えるだろう、と数百匹程度を捕獲し、中型プラケに小分けして収容した。
そのまましばらく飼ってみていたのだが、鳴くでなし、なつくでなし、芸をするでなし、それはまあダンゴムシも同じなのだが、ヤツらはまだ餌をやると姿を見せる。
姿すら全く見せないこのシロアリは、ハッキリ言って面白くも何ともないので、ちょっとイラッと来て、どうせならと餌にするモノをいろいろと試してみることにした。
それ以前に教授から、庭に放置していた子供の紙粘土細工にシロアリが巣くっていた、などと聞いていたので、大抵のモノは大丈夫だろう、という考えもあった。
だが、紙粘土はさすがに体に良くなさそうだ。
そんな考えから、まず試してみたのは使用済みの割り箸だった。
サークルの後でみんなで食事した後、全員から割り箸を貰って帰ること数回。
ごっそり溜まった使用済み割り箸を湿らせ、プラケの底に敷き詰めた。そしてその上から住んでいた朽ち木の破片ごとシロアリを入れる。
予定であれば、シロアリたちは割り箸を食って殖え、立派なタンパク源となるはずだったのだが、これはまったくうまくいかなかった。
割り箸の隙間に巣は作るのだが、食っている様子がまるでない。割り箸は生木に近い杉が多いので食べにくかったのか、薬剤かなにかで消毒でもされていたせいなのかは分からないが、次第に数も減り始めた。
少なくとも割り箸ではシロアリが飼えないことは分かった。
次に試したのが雑誌だ。
週刊少年サンデーの読み終えたヤツを、そのままプラケの底に敷き、水を掛けて湿らせたものの上に、また朽ち木ごとシロアリを放す。
無論、サンデーに拘りがあったわけではない。シロアリにとっては、ジャンプでもマガジンでも同じことなのだろうが、当時『うしおととら』にハマっていた俺は、サンデーしか買ってなかった。
まあ、これは半分やけくそみたいなもので、それと並行して朽ち木系の昆虫マットをぎっしり突き固めたプラケにも、シロアリを放してみた。つまりこちらが本命であった。
しかし、結論から言えば、昆虫マットの方はあまりうまくいかなかった。
水分の関係からか、観察のためにプラケを動かすだけですぐ崩れてしまうため、うまく巣を作れなかったのだ。底の方から見てみると、埋めておいた朽ち木の塊の周りに、多少巣を作ってはいるものの、それ以上は広がらない様子。全滅もしない代わりに、版図を広げる様子もない。そのうち、乾かせすぎて全滅させてしまった。
ところが、サンデーの方はどうかというと、結構すごいことになっていた。
プラケの下から透かしても何も見えないので全滅したかと思っていたのだが、掘り出したサンデーを開くと、そこに見事な巣があったのだ。
ページとページの間に通路を作っていて、紙も確実に食べている様子。紙は昆虫マットより水保ちが良いようで、表面は乾いても、内部は適度な湿り気があったのも良かったのだろう。
割り箸がダメで紙はOKという基準は、ヤツらの中でどこにあるのかは不明だったが、とにかく、シロアリは紙を餌にするのが、もっとも飼いやすいようであった。
しかし、それから数ヶ月でシロアリは全滅することになる。
べつに何をどうしたわけでもないのだが、少しずつ数を減らしていき、ある時を境に急速にいなくなった。もしかするとサンデーのインクなどが悪影響を与えた可能性もなくはないが、なんだか、寿命が来たのではないか、という感じの消え方だと思った。
つまり働きアリが産卵するというのは、ちょっと違うように俺は思ったものだ。
結局、現在の一般的見解では、女王がいなくなったりした場合、未成熟の働き蟻が副女王、つまり女王ではないものの産卵はする、という階級に成長する可能性を秘めている、ということらしい。
つまり、成熟しきった働きアリは、それ以上何かに変わったり、卵を産むようになったりはしないということだ。
数百匹もいれば、そういう未成熟な個体もかなりいたはずだが、うまく副女王に成長しなかったのだろう。輸送や採集時の環境変化に、小さな個体は耐えられなかったのかも知れないし、 最初にアレコレといじったせいで、へそを曲げてしまったのかも知れない。
その時は結局、そのまま挫折してしまったわけだが、もう一回チャレンジする気概があるか、と問われれば、なくはない、と答えておこう。
紙を食わせてシロアリを殖やし、なんらかの資源として利用する企み、というのは、なんとなく心が躍る。それに、うまく殖えたら、次はそのシロアリを餌にして、飼いたい生き物も何種類かいるのだ。
むろん、どれも可愛くない系の連中だが。
つまり、シロアリで育てた『何か』を食うつもりはない。タンパク源として…………と考えた場合は、やはり朽ち木を食わせた方が気分がいいしな。
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