第35話 ヤスデ
ライギョの項で書いた池干し作業。その時、県の職員が持ってきていたボートだが、あの後、疲れたので置いて帰って、翌々日に取りに行ったら無くなっていたらしい。
水の無くなったため池の底から泥だらけの小舟を引き摺り上げて盗む、などというのは、相当な情熱の持ち主だと思われる。
FRP製の小さい舟とはいえ、一人で持ち上げるのはまず無理だし、運ぶにも乗用車ではキツイ。しかも目立つし。
公民館の担当の女性からその話を聞いた時、俺は探偵気取りで推理を始めた。
「まず、地元の人間ではないでしょう」
「どうしてですか?」
「地元の人間がそんなものを保持していれば、ご近所にすぐバレますからね。しかし盗まれた時点で、池干し作業をやったことはまだ報道されていなかった。仮に知っていても小舟を使ったことまで知っている者は少ない……当日の参加者の中にいるかも知れません」
「なるほど」
「そいつは、こうしたフィールド作業、あるいは釣りなどの趣味を持っています。しかも複数犯、それも組織的な犯行の可能性がある……」
「そうですね。一人じゃ難しそう」
「共犯者は騙された可能性もありますね。会社などで部下を使ってトラックのような運搬車を簡単に借りられる立場の人間。しかも大きな倉庫などがあって、小舟を隠せなくてはいけない……この条件に当てはまる人間を絞り込んでいくと……俺やん」
上記条件にすべて当てはまるのは俺だけであった。
いや犯人じゃないよ。ウソやない。
前置きは全く関係ないが、今回はゲジに次ぐ嫌われ者、ヤスデである。
まあ、コレを好きな人はそうはいない。
俺の知り合いも大概変人だらけだが、その中でもヤスデが好きと公言してはばからない人間には、三人しか出会ったことがない。あれ、三人って割と多いか。
彼等はアフリカや熱帯アジア産の巨大なヤスデを嬉しげに飼育していた。中の一人はオオムカデなんてものも飼っていたが、大変なイケメンで結局後輩の美人と結婚した。
だが他の二人はまあ普通のルックスであって、いまだに結婚したとは聞かないので、どんな趣味を持っていてもイケメンなら許されるってことらしい。
外国産は大きさや色が変わっていてそれなりの魅力を感じる人もいる。だからマニアもけっこうおられるようだが、そんなマニアの方がこれを読まれて「そんな飼い方違う」とか「俺はブサメンだが美女と結婚した」とか「あたしは女ようっきー」とか思われる場合もあるかも知れない。
そういう場合はぜひご一報下さい。
だが本来ヤスデはダンゴムシと比べてペット向きではない。と俺は思う。その理由の一つに臭いがある。
警戒臭とでもいうのか、多くの種が苛めるとそういう臭いを出すのだが、当然ながら良い匂いではない。顔を顰めるほどの悪臭ではないのだが、なんというか臭い消しに樟脳などが使われていた時代の大昔の便所の臭いに似ている。
フィールドでその臭いを嗅ぐとなんとなく郷愁を誘うものの、あまり積極的に嗅ぎたい臭いではない。
それと数が多い。
種類によって生息場所は様々で、落ち葉の下、石の下、倒木の隙間、樹上にも見つかるが、これがまた多くの場合高密度で住んでいる。つまり、石の下にびっしり、あるいは木の幹にびっしり。フナムシ、イラガ幼虫と並んで「びっしり」という言葉が極めて似合う生き物のひとつなのだ。
飼育は楽なような難しいような……基本はダンゴムシと同じで良いはずなのだが、ダンゴムシと違って非常に種類が多いため、一概には言えないのだ。
同じ土壌性で腐食性でも、ほとんど生葉のようなものを好むヤツから、土そのものみたいのを食うヤツまでいる。住むところも違うから、湿度や土の状態も種類に応じて変える必要もあるだろう。
イケメンの飼っていたような大型の熱帯性ヤスデはペットとして販売もされていて、割と飼育法は確立されてもいる。
全長も二十センチオーバーの巨大さ。こうした原色の巨大ヤスデは、まさに好きな人にも嫌いな人にもたまらない、思わず声を上げたくなる逸品である。国産のヤスデはいいとこ数センチだが、それでも大きめの種類のヤスデはいて、やはり視覚的インパクトが強い。
だが、国産小型ヤスデの嫌がられる最大の原因は、大量に発生し、群れることに尽きるだろう。
キシャヤスデの仲間は、八年に一度大発生することが知られていて、その数で汽車まで止めてしまうということでその名が付いている。
薄茶色の地味な小型種だし、彼等にしてみれば、単に集団交尾しているだけなのだが、あの姿で地表を埋め尽くされるとさすがに誰でも顔色を失うだろう。
その上キシャヤスデは、刺激すると青酸ガスを出す、というのだから実害もなくはない。
まあ、わざわざ刺激しに行かなければ良いだけのことだが。
前述したように、その他の小型ヤスデも結構群れる。
種類によるが、定番の石の下はもちろん、建物の壁や樹皮、雨上がりの道路などに大量に蠢いていることがあってこれもビジュアル的にキツイ。
管理しているビオトープ内の屋外トイレ外壁にも、ヤスデがびっしりとへばりついていたことがある。俺的にはどうということもないが、一般の人にとっては恐怖かも知れない。
といっても、コイツも噛むわけでなし、刺すわけでなし、鳴くわけでなし、刺激さえ与えなければ臭うわけでもない。農作物にも家畜にもむろん人体にも害がなく、一切周囲に迷惑など掛けない生物だからペット向きと言えないことはない。
ただもちろん懐いたりはしないし、餌を食いに出てくるようなこともほとんどないから飼っていて面白くはない。
先程から申し上げている通り、基本的飼育法はダンゴムシに準ずる。
というか、ダンゴムシと一緒に数匹入れておくとけっこういつまでも生きていて、単調なダンゴムシケージにアクセントを与えてくれるので、そういう飼い方も悪くない。
ただ、たまにダンゴムシに食われたとしか思えない死に方をする場合もあるので、気になる人はヤスデだけで飼育されるがよろしかろう。
そういうゆるい生き物なのだが、非常に飼育の難しいものもある。
以前「メガボール」なる熱帯産のタマヤスデというものがどっと輸入されたことがあった。これは体長が短く、その名の通りボール状に丸まるので一見してでかいダンゴムシ。
直径数センチのダンゴムシは、なんというか実に可愛い。
初めて見れば誰でも「おおおおお!!」となること請け合いだ。値段も大して高くなく、俺も思わず買ってしまった。
しかし見た目はダンゴムシでも実はヤスデ。非常にデリケートな生き物であって、当時は飼育法も確立されていなかった。その為ほとんどの人があっさり死なせてしまったようであり、俺もご多分に漏れずさっさと死なせてしまったのであった。
一、二ヶ月は保っただろうか。ほとんど餌を食わないままだった。当時のセットはでかい衣装ケースに昆虫マットを厚く入れ、腐葉土を敷き詰めたものだったが、おそらく温度と蒸れ、あとは腐葉土の質が問題となったと思われる。
まず『温度』だが、けっこうシビアな種が多いようだ。何度が適正だったかは不明だが、ジャングルの地面なんて場所は太陽もほぼ届かず温度は年中一定だろう。その枠を外れるとダメなのではないか。
『蒸れ』は衣装ケースが問題。ジャングルの中は高湿度といえど一定の通気はあるはずなのだ。フタ裏に水滴が付くほど閉めっぱなしという高湿度は、たぶんダメなのだ。あとは『腐葉土』。使ったのは購入してきた腐葉土だったが、葉の種類と腐り具合にうるさいらしいとは後で聞いた話。今にして思えば、敷いた昆虫マットの発酵が不完全だったのもまずかったに違いない。
再チャレンジしたかったしそれが不可能な値段ではなかったが、消費物のように生き物を買う趣味はないのでそれっきりとなった。
だが、この文を書くにあたって検索してみたら、今でもぼちぼちと入ってきているらしい上に繁殖まで成功させている「神」がおられた。
そのブログを読めば……おお、なるほどそうやって飼うのか。トラブルを防ぐためにキモの情報を隠しておられるらしいのは賢明だが、経験者なら丁寧に読んでいけば推測できる内容である。
しかしすげえ。この情熱、大したモンだ。
無限に広がる『生物飼育マニア界』その更に深奥にあるという伝説の『土壌生物飼育界』。
俺などその入り口をウロウロしている小物に過ぎないことを、ここで申し上げておきたい。
これ以上踏み込む気もないが。
今のところはな。
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