第34話 スッポン
山野を歩いていると呼ばれることがある。
呼ぶのはたいてい人ではないモノだ。
といっても明確に声が聞こえるとか、ハッキリ場所が分かるとか、そういうことではない。なんとなくあっちから呼んでいるような気がする、といった感覚があり、そちらへ行くと、呼んでいたらしきモノに出会う、ということだ。
それは、水が無くなって死にかけているオタマジャクシの群であったり、巣から落ちて鳴き喚いている鳥の雛であったりする。下水溝にはまり込んだ子猫を拾ったこともあるし、水路に落ちて死にかけのモグラだったこともある。
そういうモノばかりではなく、食べ頃の木の実や山菜、樹液に群がるカブトムシの時もあるし、隠れるようにひっそりと咲くキキョウやミズオオバコ、モウセンゴケといった絶滅危惧植物のこともある。
要するに行った先に何かあれば『コイツが呼んだんだろうな』と思うようにしているだけのことなので、本当に呼んだのかは正直分からない。
だから、もちろん何にも出会えずに帰路につく時もあるし、イノシシの白骨死体とか、苔むした古い塚とか、石仏とか、巨石とか、見つけたからってどうしようもないものに出会ってしまうことも多い。
その日。俺は自分の管理している河川敷ビオトープに見回りに行った。
「ヘンだな」
その『声』を感じた時、俺はそう思った。
呼ぶ声はいつもより割とハッキリしているのだが、そこは出来て年数の浅いビオトープ。範囲は広いが植物もまだ育っておらず、すぐに全貌を見渡せる。こんな場所で俺を呼ぶようなモノはいない、そう思っていたからだ。
だが呼ぶ声は深刻そうで、なんか大ピンチという感じがビンビン伝わってくる。それも築山の上から。
その築山は高さ三~五メートル程度なのだが、幅十メートル、長さ五十メートルほどに渡ってせせらぎ沿いにそびえていてかなり大きい。なぜそんなものを作ったかというと、朝夕吹き付ける川風と、街灯や車両からの光を遮り、ホタルの成虫が飛翔行動をしやすいように設置されたものなのだ。つまりそのビオトープは、元々ゲンジボタルを発生させることを目的として作られたのである。
よって、ホタル以外の生物に対しては、管理者もさほど注目していない。せせらぎ自体は魚道で本流からの取水路とつながっていて、様々な魚類やモクズガニが遡上してきてはいるし、下流部には小さな田畑も作られていてカエルやメダカといった農村の生物もいる。
だが、この築山は周辺の山野から採取してきた木々の苗が植わっているのみで、さほど生物は豊富ではない。
俺は訝しく思いながら、炎天下の人工的築山を登っていった。
まだ作られて三年ほどのビオトープだから、木々も小さいし砂混じりの土壌には落ち葉も堆積してはいない。そんな場所に魚やカエルが干涸らびかけているはずもないし、鳥の巣もない。見渡しても犬猫がいる様子もない。
いったいそんなところで何が呼んでいるのか。
ふらふらと築山を横切り、観察施設に面した中腹あたりにたどり着く。生き物の隠れ家として、わざと転がしておいた倒木の周りにさしかかった時、なにか白いものが散乱しているのに気がついた。
最初は人工物に見えた。瀬戸物の破片か、プラスチックではないかと思ったのだ。だが、どうも様子が違う。
ピンポン球のように丸いがずっと小さい。そして、それよりもずっと透明感のある白。
コレを見るのは初めてではない。そう、スッポンの卵である。
この地域には、イシガメ、クサガメ、アカミミガメもいるのだが、彼等の卵は細長い楕円球で形がまるで違うし、こういう風に割れたりしない。その殻はゴム状に柔らかいのだ。
それにしても酷い有様であった。
二十個以上はあったろうスッポンの卵は全て掘り返され、炎天下に晒されている。
ほとんどが割れ、中身が何者かに食われているものも多数ある。この犯人は今もって不明だが、状況から判断するにアライグマではないかと思われた。
アライグマは最近この地方に侵出してきた北米原産の小型哺乳類で、こうした卵や鳥の巣、サワガニなどを襲って食べてしまう厄介な連中だ。
おそらくスッポンの卵を掘り出して食べ始めたはいいが、すぐ下を通る遊歩道に人間がやって来て放棄したのではないか。
それで掘りかけ、食べかけの卵もある、というわけだろう。
せせらぎにスッポンが入り込んできているのは知っていたが、まさかこんな築山の上に産卵しにきているとは思いもしなかった。
完全な形を保っている卵はほとんど無く、大丈夫そうなものにもうっすらとヒビが入っている。一見して望み薄、と見えたが俺はたしかに「呼ばれた」のだから、この卵の中に「呼んだ」ヤツがいるはずだ。つまり、中に生きている卵があるに違いない、そう思って形の残っている卵を掻き集めてみた。すると、どうやら六個だけ形を保ったものが見つかった。
割れていない、とはいえ初夏の炎天下に放置されていたわけだが、とにかくそっと持ち帰り、孵化させてみることにした。
爬虫類の卵の孵化方法は、どんなものでもおおむね似たようなものだ。
上下をひっくり返さないよう、震動を与えないようにしながら湿度と温度をある一定の範囲に保ちさえすればいい。
とはいえ、その温度の幅が問題であり種類によって違いがある。さらにその孵化温度で雌雄を決定してしまったりする種類も多いのだ。一般に、温度による性決定(TSD)には3つのパターンがある。
1.比較的低温域でオス、高温域でメスとなる。
2.比較的低温域でメス、高温域でオスとなる。
3.低温域と高温域でメス、その中間でオスとなる。
爬虫類ってなんてアバウトなヤツらなんだろうと思われるだろう。つまり、酷暑の年と冷夏の年で、生まれてくる男女比に大きな差があるようなもんなのだ。
俺は『地球温暖化』そのものはトンデモ学説と思っているが、周期的に年平均気温の変化があるのは事実である。そんなに簡単に雌雄比が変わっては、うまく生きていけないような気がするのだが、ヤツら大丈夫なのだろうか。
まあたしかに爬虫類のメス親を飼っていると、卵を産む場所を選びに選ぶ。その挙げ句気に入った場所がないと体内に溜め込んだままにしてしまったり、水中に産み落として死なせたりする。それほどに卵の時の温度は大事というわけだろう。
だが、帰ってよく調べてみるとスッポンは「性染色体」を持っているらしい。
つまり人間とかと同じで、卵の段階で既に雌雄は決まっているらしいのだ。どんな温度で孵化させようとその辺の心配はないわけだ。
たしかに、そうでなくては食用に大量養殖したりするには都合が悪いかも知れない。
俺は六つの卵を湿らせたバーミキュライトを厚く敷いたプラケの上にそっと置き、この付近の爬虫類の安全温度……三十度前後に保つことにした。
約二ヶ月後。
六つの卵のうち四つが孵化した。生まれた直後の幼体は、爬虫類だろうがなんだろうがきわめて可愛い。哺乳類の場合はちんまりした手足と丸い顔が『守ってオーラ』を出すので、親がより可愛く思って世話をするということらしいが、爬虫類だって捨てたモンではないのだ。
元いた場所に放流してやろうと思っていたが、もう少し、もう少し、と伸ばしているうちに数ヶ月。そういえば終生スッポンをきちんと飼育したことがないなと思いだし、飼い続けてしまった。
そのうち、中学生の息子が興味を示しだしたので世話を任せたのだが、相次いで三匹死亡。原因は……底に砂を敷いていなかったことだと思われる。
生まれたばかりの幼体のうちはいいのだが、ある程度成長すると彼等は砂や泥に潜っていないと落ち着かず、そのストレスが原因としか思えない症状で突然死するのだ。
これはドジョウやカマツカなどの淡水魚でもある現象なのだが、それを彼にレクチャーしていなかった俺が悪い。
霊的な啓示を受けて保護したスッポンだけに、すぐに放流してやらなかったことをとても後悔した。そのことは残念だったが、そう思ったのは息子も同じらしい。
彼の飼育技術のアップにはつながったようで、その後明らかに観察力が向上し、どんな生き物もあまり死なせなくなった。
一匹になってしまったスッポンは二年目を迎え、少し大きくなって今でも元気に生きている。
同じように卵から育てたイシガメも四匹いて、こいつらはオス二匹メス二匹。息子の目標は彼等を手元で繁殖させることのようだ。
泥に潜りっぱなしのスッポンの雌雄はいまだ不明だが、繁殖可能となる頃にはもう一匹捕まえてこなくてはならないと思っている。
最低でも六匹以上にしてあの場所に返してやるのが、『呼ばれた』者としての責任のような気がするからだ。
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