第36話 タランチュラ
ゲジ、ヤスデときてこれでは、心臓の弱い方には「読むな」っつってるようなモンだが、そうはいっても、ここで人気回復のためにハムスターやウサギなど出しては『ダンゴムシ魂』が廃るってもの。
ああ、むろん飼ってたことはあるんですよ。そういうのも。
でも、今回はタランチュラ。
といっても、実は俺自身の話ではない。俺は小さなクモなら何度も飼育したことがあるが、じつはタランチュラは飼育したことがないのだ。
もちろん、キモイからとか好きじゃないからなんて理由ではない。毒生物ってものは扱いを一つ間違うと厄介なことになるからなのだ。
食うとヤバイ系の生き物なら食わなければ済む。
噛むと痛い系の生き物なら万一噛まれても痛いだけ。
だが、毒牙や毒トゲを持つ系のやつらは命に関わる。
自分だけなら覚悟すれば良いだけだが、周囲の人間に被害が出たりすればどうなるか。
単なる自分の趣味であるだけに、事故では済まない。社会的制裁はもちろん受けねばならないが、自分自身を何があっても許せないだろう。そう思うから飼わないのだ。
「ヤエヤマサソリ」なんてのを紹介したが、あいつは大人の皮膚に刺さらない程度の毒針。アシナガバチの方が余程危険だ。
しかしタランチュラというものは一種ではない。それどころかいくつかの分類群にまたがっている「総称」だから、グループによっても種類によっても毒の強さに差がある。
そして人間側も個人個人で毒に対する反応に違いがあり、場合によっては命に関わる。
気が荒く、積極的に噛んでくる種類もいる。興奮すると毒のある毛を飛ばしてくる厄介なグループもある。しかも大きくて長生きなのはメスだけなので、メスしか売られていないことも多く、その場合は累代飼育できず単なる消費にしかならないわけで、俺の『飼育』の概念から遠くなる。
などの理由で、どうしてもタランチュラには手が出なかったのである。
この話は大学時代、サークルの後輩の話である。
そいつは俺に輪を掛けて変わった生き物が好きな男だった。
俺と違うのは、その辺の生き物や安く売られている一般種にはあまり興味を示さないことだった。むろん、そういうのが『嫌い』というわけではない。
学生だから金がない。色んな生き物に手を出しているとすぐに財布が底をつく。しかも、サークルだの実習だのと忙しいから世話する時間もとれない。
そうなると飼う生き物を絞り込むしかないから、どうしても欲しいってヤツだけ飼う。
これがそいつの考え方であった。
その結果、サバクツノトカゲだのジャクソンカメレオンだの比較的高価で手間も掛かるものを少数飼育していた。
だが、どれも飼育の手間と困難さは俺の飼っていた生物どもの比ではない。
ツノトカゲは「アリ専食」という厄介な性質を持っていて、基本生きたアリでないと食わない。小さなコオロギの黒いヤツでも食うには食うが、栄養価に問題があるのか長生きしないらしい。
そいつは学校から帰るとアリを探して寮の周辺をうろつき回っていたようだが、アリが捕れる季節など限られている。生きたままキープしておけるような生き物でもない。
ツノトカゲは数ヶ月で死んでしまったようだ。
ジャクソンカメレオンという生き物も気難しい。
トリケラトプスのように三つの角を持つ、カメレオン界でも屈指のカッコイイやつではあるが、温度、湿度管理がシビアなのだ。どうも日中と夜間では温度湿度とも変えてやらないと調子を崩す、らしい。「らしい」というのは俺は飼ったことがないからで、知らないことはハッキリ言えない。
ただ当時は飼育法がちゃんと確立しているカメレオン種は少なく、いわゆるWC《ワイルドコート》、つまり野生採集個体ばかりで養殖個体はほとんど出回っていなかった。そいつの言っていたことも飼育書の受け売りだったのかも知れないが、その飼育書すら詳しく書かれたものはなかったのである。
その上温度、湿度管理がシビアだというのに、そいつの住んでいた学生寮にはエアコンがない。園芸店でガラス製の簡易温室を買い込んで室内に置いていたから、冬は何とかなりそうだったが、夏が越せるとは思えない状況。
そう。大抵の生き物飼育の場合、冬の寒さよりも夏の暑さを凌ぐ方が難しいのだ。
結局、ジャクソンカメレオンも半年ほどで死んだようだ。
こう書くとそいつが生き物の命を無駄に消費する、とんでもない悪党のように思うかも知れないが、そいつはそいつで必死で飼育していた。命懸けと言ってもいい。
そうでなくては、たった数ヶ月とはいえ毎日アリを捕りに地べたを這い蹲る生活を続けられるはずはない。ただ、まだまだ俺達には知識も経験もなかった。
俺だってメガボールを始めとしてアカメアマガエル、カーペットカメレオンなど出来ると信じて手を出し、短期間で死なせてしまった生き物は多数いる。
手に負える生き物と、そうでない生き物の区別がつけられなかったのだ。
そういう意味で、俺とそいつとの違いは「チャレンジャー」かどうかだけだったと思う。
そんなそいつがある時、浮き浮きしながらサークルへやって来た。
「お? いい顔してんな。何かいいことあったのか?」
「へっへっへー。じつはね。念願のブルーが手に入ったんスよ!!」
「ぶ……ブルーってまさか!?」
「ええ。コバルトブルータランチュラです!!」
コバルトブルータランチュラとは、その名の通り金属光沢の鮮やかなブルーの体毛を持つ、世界でもっとも美しいクモの一つとされているタランチュラである。
俺も読んでいた爬虫類系の専門雑誌で、衝撃的な新着レビューがされたのがその数年前。
どんな生き物かも分からないまま、仲間のほとんどがその美しさに魅了されていたのだ。
コバルトブルータランチュラは今でこそ一匹一万円程度で取引されているが、その当時はその数倍していた。むろん普通の学生にはおいそれと手が出せない。
そいつの「欲しいものだけを買う」主義であればこそ買えたわけだ。
「すごい。素晴らしい。ぜひ見せてくれ」
「いいッスよ。サークル終わったらみんなで見に来てください!!」
寮にたどり着くまで、そいつのテンションは上がりっぱなし。
念願中の念願、コバルトブルーのクモがやって来たのだ。しかもそれを理解のある仲間達が大挙して見物に来るというのだ。その気持ちは分かる。
そりゃもう天にも昇ろうかという心持ちだったに違いない。
しかしまあ、タランチュラそのものに理解があったのは俺ともうあと二人くらいで、他のメンバー十数人は怖いモノ見たさの方が強かったようだ。
まあ、どんなに美しかろうとクモはクモ。
しかも巨大な毒蜘蛛とあっては、恐怖心が湧くのも無理はない。
「ここなんスよ」
冬だったのでヒーター掛けっぱなしのそいつの寮部屋。
熱帯の至宝・コバルトブルータランチュラは前述のジャクソンカメレオンと同じ簡易温室に、プラスチックの飼育ケース、いわゆるプラケに入って……いなかった。
「どこだよ」
「あれ? あれれ!? あれええええ!?」
プラケのフタはきちんと閉まっていなかった。
温室の窓にも若干ながら隙間が。これならタランチュラ程度はわけなく通れる。
「動くなあ!!」
同行していたハクレン後輩(拙作『きゃっち☆あんど☆いーと』参照)が叫ぶ。
「噛まれたらヤバイ。全員速やかに部屋の外へ!!」
「はい」
「いやお前らは逃げるな!! 探せ!!」
狼狽えて自分も外へ出ようとした部屋主、俺、農業系ワイルド後輩、キノコ男など、そういうのに精神的耐性がある連中は部屋に残らされ、クモを探した。
寒空の下、外で待つサークルの仲間達。女子も多数いたのだが、パニックにならなかったのはハクレン後輩のおかげ。
しかし部屋中の荷物を外へ出しながらその下や隙間、ゴミ箱の中までも探すがどうしても見つからない。
「いないぞおい。もし、他の部屋にでも行っていたら……」
「ブルーちゃんが死んじゃう」
「バカ。人が噛まれたらどうするんだ!!」
「こういう時は原点に戻るんだ。プラケの蓋が開いてたんだな? 温室の窓も」
「はい」
「だが、温室の外に出たとは限らない。まさかとは思うが……」
いた。
彼は温室の中の別枠、ジャクソンカメレオンの住んでいるエリアの床材と観葉植物の植木鉢の間に隠れていたのであった。
全員が胸をなで下ろす。
人間もクモもカメレオンも無事で良かった。もし、見つからなければ大学当局に通報せざるを得ず、そうなれば寮内いや学内はパニック。警察沙汰になるかも知れず、寮内での生き物飼育は厳重に禁止されていたことだろう。
見事なリーダーシップでパニックを防いだハクレン後輩はしかし、もっとも心的ダメージを受けていたらしく、その後、自分の部屋でタランチュラが卵を産んでしまい、部屋の真ん中で卵塊が割れて無数のタランチュラが部屋中に散る、という悪夢を見たそうだ。
さて。コバルトブルータランチュラはやはり数ヶ月も経たず死んだ。
原因は不明だったがどうやらこのタランチュラ、野生採集個体の流通が多くて流通過程でもショップでの管理もいい加減なため、買った時にはすでに脱水状態という個体が多いらしい。すぐに水を大量に飲ませないと、回復しないまま死ぬことも多いとか。
だからこの後輩の飼育術が下手くそだったとか、気を使わなかったとかいうことではないようだ。
後輩はしばらく文字どおりブルーになって、「ブルーでブルーッス」とワケの分からない決めゼリフを言っていたが、少しは反省したのか無茶な生き物を飼わなくなっていった。
このコバルトブルータランチュラ。
ちゃんと立ち上げることが出来れば、丈夫で長生き。しかし凶暴で素早くすぐ噛み付き、飼育ケースを糸だらけにしてしまって何を飼っているか分からなくなるらしいので、初心者にはオススメできないクモだということだ。
もしかすると、画像を検索すればその美しさに魅了される方もおられるかも知れないが、相応の覚悟を持って飼育を始めるよう、ご忠告しておく。
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