第37話 ジャイアントミールワーム


 昔、ミールワームといえば全長三センチ程度で、体の堅い茶色の虫を指した。

 コイツはコメノチャイロゴミムシダマシという昆虫の幼虫で、鳥類の食欲増進のための活き餌としてペットショップでよく売られていたのだ。

 いや、今でも売っているところは見かけるか。

 透明なプラ容器に餌のフスマごと詰められ、ウゾウゾ蠢いているのを見たことのある方も多いのではないか。

 生きているから、もちろん両生・爬虫類にも使える便利な餌だった。タフだから気を使わなくても生きている。もともと穀物の害虫だから、飼育条件をきちんとセットすれば放置しておいても勝手にどんどん殖えてくれる。

 セットとは、通気性の良い平たい容器にフスマや鳥の餌といった穀物系のものを薄く敷き、そこに布を二枚重ねて置いておくだけ。

 乾燥系の虫なので水やりとかは必要ないし共食いもほとんど無い。二枚の布の間で交尾、産卵、蛹化するので、殖えた幼虫が大きくなったら餌としてつまんで与えるだけ、という手軽さだ。

 餌の穀物もたまに足してやる程度でよく、糞の割合が増えてきたらザルでふるって取り替えるが、それも二ヶ月に一回くらいで充分。ちなみにフスマっていうのは小麦の「ぬか」であり、穀類を扱っている問屋で入手できる。値段は安いが、三十キロ単位でしか売って貰えないのが玉に瑕。

 まあ、与えるのはフスマでなくてもニワトリの餌でもクズ米でも小麦粉そのものでも何でも良かった。

 さて。そういうわけで、ミールワームは便利な生き物だった。

 飼育面積を取るのが難ではあったが、それも引き出し型の透明ボックスを使えば立体的に収納できる。ただ、これだと隙間が多くて脱走する。もともと穀類の害虫としてやって来た連中らしいので、そうしたものの貯蔵が荒らされる可能性もあって、専用飼育部屋のある人でないと大量養殖の実現は難しいわけだ。

 だが、俺は当時専用の飼育部屋を持っていて、そこでいろんなモノを飼っていた。鉄扉とサッシで密閉されてもいたから、逃げ出したところで大した問題はない。

 そんな感じでずいぶん便利にミールワームを使っていたのだが、ある時、両生爬虫類飼育専門雑誌を読んでいたら、とんでもないことが書かれていた。


『ミールワームばかり与えていると、リン過多、カルシウム不足で爬虫類は死ぬ』


 何ぃいい!? 

 それによるとなんと、ミールワームという昆虫の体内の「カルシウム:リン比率」は「1:14」。リンを摂りすぎると、血中カルシウム濃度が下がり、これを補うために骨が溶け出してしまう、というようなことが書かれている。

 とんでもねえ。こんなもんをメインで与えてしまっていたとは……一生の不覚。

 そう思った俺は、虫食いの爬虫類両生類連中にミールワームを与えるのをスッパリ止め、コオロギやハニーワームその他に変更したのであった。

 ここで「おや?」と思われた方もおられるのではないだろうか。そう。じゃあそのコオロギやハニーワームってのは、カルシウム:リン比率はどのくらいなんでしょうね?ってことである。

 答えは…………コオロギで1:7.7 ハニーワームは1:12.5

 ミールワームと大して変わらねえ。

 まあたしかにミールワームという虫はカルシウム:リン比率以外にも、皮が固くて消化が悪いとか、含有している脂質やタンパク質が少ないとかいう問題のある餌らしい。

 とはいえ、そもそも昆虫ってヤツはカルシウムが少なく、リンを多く含んだ生き物であるようだ。ならば両生類・爬虫類は何故そんなものばかり食べていて死なないのか。

 それはこういうことだ。

 まず、野生状態だと餌の昆虫も様々な物を食べている。だから内臓や体表に色んな栄養素を持っているわけだ。たしかにフスマしか食っていないミールワームはフスマの栄養しか持っていなくて当たり前。

 それに、野生下ではカルシウムなどが不足するようなら、彼等は自分で土を舐めてミネラルを補給したり、ワラジムシのような甲殻類も食べたりしてバランスを取れる。

 飼育下で養殖された一種類の昆虫しか与えていない、という状況こそが異常なのだと言える。

 であるから、巷で言われているほどミールワームを毛嫌いする理由はないように思う。

 それよりも、コオロギをやっているからと安心せず、カルシウム剤をまぶしたり餌にカルシウムを始め栄養豊富なものを使ってそれを食べて栄養価の高まったコオロギを与えたりすべきで、実際、現在の飼育マニアはみなそうしているわけだ。

 現にそうやって、ミールワームだけでヨロイトカゲを長年飼育しているという人にも出会ったことがある。

 だが、当時の俺はバカだった。

 買ってきたコオロギだけで充分と考え、小さなトカゲを死なせてしまったり、脂質の豊富なハニーワームばかり与えてトカゲモドキを太らせてしまったりした。

 そんな状況であったから『どうも今の餌では物足りない』などと思っていたのだ。そんな頃「ジャイアントミールワーム」なるものがショップで売られ始めた。

 ショップのおっちゃんいわく「小さいミールワームとは違って栄養価が高く、これだけで虫食いの生き物は飼える」とのこと。

 俺は一も二もなく飛びついた。

 だが、一パック二百円のミールワームとは違って、ジャイアントミールワームは高かった。当時は売り出しの頃だったからか、一匹八十円とかしていた。今は一匹十円前後だからいかにぼったく……いや高価だったかお分かりだろう。

 だが、それだけで飼えるほどの素晴らしい栄養価の餌なら……となけなしの小遣いをはたいて購入したのであった。

 たしかに食いは良かった。

 ヒョウモントカゲモドキなどは、動きが気に入ったのか味が好きなのかとにかくよく食べる。十匹なんてあっという間になくなる。

 しかし十匹で八百円。百匹だと八千円だ。たまったもんではない。

 しかもコイツがどうしても殖えない。俺の思惑としては、ミールワーム同様こいつも殖やしてしまえばいいと考えていたのだが、いつまで経っても蛹化しないのだ。そればかりかミールワームと同じようにキープしていたら、次第に幼虫のままで干涸らびて死ぬ連中が出始めた。

 カラカラのプラケの底に黒いマッチ棒のようになって死んでいる一匹一匹が八十円。

 悪夢のような光景だ。

 俺はついにこのジャイアントミールワーム……通称ジャイミルを買うのをやめてしまったのであった。

 そんな頃、数少ない飼育マニアの友人から「ジャイミルは乾燥させちゃダメらしい」という情報が飛び込んできた。

 なるほど、それなら乾いて死ぬのも道理。

 その友人は「自分流ジャイミルの殖やし方」というものも丁寧に教えてくれた。

 まず、水分をとらせるためにはバナナの皮がベストなんだそうな。他のものはダメなのか聞いたが、とにかくバナナの皮がいいらしい。

 飼育ケースに敷くのは半生タイプのドッグフード。

 なかなか蛹化しないのはサナギになって動けなくなると他の幼虫に食われちゃうからだそうで、どうやら肉食傾向が強いらしい。そんな感じで、なんか色々教えてくれたのだが、半生タイプのドッグフードなんてわざわざ飼うのはめんどいし、そもそもこいつらが野生状態で半生タイプのドッグフードの中に住んでいるとは考えにくい。

 それに毎日バナナの皮を与えるためには毎日バナナを食わねばならず、金も掛かるし何より飽きる。

 いちいち一匹ずつ小分けして蛹化させるってのも面倒だ。

 そう思って、残っていた数匹のジャイミルを野生状態でヤツらが住んでいそうな条件と似た場所……つまりクワガタを育て終わったプラケの中に放り込んでしまった。

 ジャイミルと同じゴミムシダマシの仲間は、日本では木のうろとか朽ち木の中に住む。まあ、飼育環境は当たらずとも遠からずだろうと思ったわけだ。

 古い昆虫マットはそこそこ湿り気があるから、乾燥死するようなことはない。

 それにドッグフードと違ってカビたり腐ったりしない。さらにバナナの皮を食うなら昆虫ゼリーも食べるだろうってんで、クワガタの成虫が食べ残したゼリーの捨て場にもしてしまった。

 アバウトきわまりない飼い方だが、俺の思惑通りジャイミルは死ななかった。

 そればかりかしばらくすると、いつの間にか成虫になってその辺を歩いているではないか。驚いてケースをひっくり返してみると、クワガタに使用した朽ち木のカスを食い進んでそこに蛹室を作り、他の幼虫に邪魔されない状態で蛹化していたのである。

 そいつらは勝手に産卵して殖え始めた。

 偶然ではあったが、ほったらかし状態で殖え続けるジャイミル容器の完成であった。

 この発見で昆虫ゼリーのカスを処分できるようになったのもありがたかった。

 当時の俺はヒラタクワガタを中心に百匹以上のクワガタを飼育していたから、毎日出るゼリーのゴミに難儀していた。ゼリーの小さい容器には残りカスが付いていて、これを下手な捨て方すればショウジョウバエが湧く。

 実際、飼育室はショウジョウバエだらけであり、しばしばキッチンへも侵入を許して妻から執拗に怒られていたのである。

 コレをやるようになってからショウジョウバエの数は大幅に減った。

 基本肉食というならと、死体の処理にも使った。寿命や不慮の死を遂げた昆虫や魚、トカゲなどを置いておくと、数日で骨とか殻だけになっている。

 カメが死んだ時に入れておいたら、数週間かかって綺麗に甲羅だけにしてくれた。

 しばらくは、甲羅の隙間や頭骨の目の部分とかからジャイミルがうにうに出入りして、かなりホラーな光景ではあったが。

 死んだヤツらに思い入れはないのか、墓を作らないのかと怒られそうだが、数が多すぎる。いちいち墓など作っていたら、庭中墓だらけだ。ヤツらは俺の心の中に生きているからいいのだ。それか悪霊になって取り憑いていてくれてても構わない。

 その方が寂しくなくていい。

 むしろ祟れ。

 ジャイミルは順調に殖え、餌としても活用していたのだが、飼育部屋を娘のピアノ部屋として明け渡さねばならなくなった時に飼育容器ごと友人に譲った。

 ただそうなると、わずかに残ったクワガタたちのゼリーや死体はうまく処理できなくなってしまった。

 ジャイミルを買い直そうかと何度も考えてはいるが、殖えたところでそれを食ってくれるヒョウモントカゲモドキやカメがもういないからなあ……いや、そろそろもう一度……いやいや……でもなあ…………

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