第40話 トマト

 植物。しかも野菜。

キモい生き物のグロい飼育録を期待しておられた方は、今度は肩すかしだ。そんな読者がいれば、だが。

 コレを書いている今は三月。

 とてつもなく忙しい。勤務先は三月決算で、税金対策だ計画会議だとおおわらわ、自分の確定申告やら子供の進学、塾の心配などあって、本来なら執筆などしている場合ではない。

 しかし、書かずにおれない事態となってしまったのである。

 ヤツがどうやら死んだらしい。そして、三月だというのにトマトが真っ赤に実ったのだ。

 ヤツとは何者か。

 そして、何で今時トマトなのか。

 その二者にどのような関係があるのか。

 順を追ってお話ししていこう。


 まず、ここは南国ではない。

 明日の予報は曇り時々雪である。むろん、屋外ではトマトなぞ育つわけもない。

 トマトのある場所は、勤務先の三階倉庫。俺が勝手に、生物関係の研究室として使っている部屋である。

 もともとは、俺がビオトープ管理士に合格した際に事務所として整備した部屋であった。

 実際、合格率十パーセントの難関を突破した時は、これでようやく生物関係でメシが食えると、色めき立ったものだった。

 ずっと物置として使ってきた三階に仕切りを作り、様々な機材や書籍を買いそろえて、新事業展開に備えたのだ。

 だが、俺の住む県はど田舎の過疎県だ。

 つまり自然がいっぱい。生き物もいっぱいだ。

 ビオトープなどといっても、一般にはカエルやメダカの住む池としか認識されていないから、誰もそんなものにお金を掛けるつもりがない。

 なにしろ中心市街地から徒歩で行ける範囲に、カブトムシの捕れる場所や、メダカの住む川があるくらいだ。

 わざわざ作らなくてもいいよ。となるその気持ちも、まあ分からなくはない。

 だが、むろん決して楽観できる状況ではないのだ。保護意識が希薄なだけに、ろくに調べもしないで簡単に生息地を潰すし、開発してみてからやっぱダメだったとか、産廃で勝手にため池を埋めちゃったとか、そんな話はしょっちゅう。

 ちょっと自然に興味のある地元団体もいるが、ホタルは毎年養殖して放すとか、休耕田には取り敢えずコスモス植えとけとか、堤防は菜の花だとかそんなステレオタイプな活動ばかり。

 だから、どんな生き物においても、まとまった生息地というのは年々減少しているのは他県と同じか、それ以上だ。

 つまり、俺の立場としては儲からないからといって、手をこまねいてもおれないわけだ。

 公民館や小学校の観察会を中心にお手伝いしつつ、気がついたことを行政に働きかけ、儲からないまでも小さく仕事をいただいていく、というのが今のスタンス。

 本業がある上に、職場も家族もまったく理解してはくれない。いつまで続けられるかは分からないし、続けたところで成果もないかも知れないが、俺の出来る範囲、というとそんなところなのだ。

 で、そうなると立派な事務所などいらないわけで、当初は置いていたパソコンやプリンタ、実体顕微鏡、参考図書、撮影機材などは処分したり置きっぱなしになったりしている。

 そんな部屋で、今はビオトープに放流する生物を一時的にキープしたり、ビオトープで捕獲したザリガニやらタイリクバラタナゴを餌として、オオウナギやナマズの飼育実験を繰り返したりしている。

 ビオトープの案内看板を作ったり、観察用の道具も作ったりするし、我が家を追い出された巨大餌金や巨大アカミミガメなどを飼育しているのも、なんとか生物関係の儲かる仕事が出来ないかと、新商品開発?をしているのもこの場所。

 特に熱帯作物や新しい観葉植物、薬草栽培もやってみているが、当然のようにどれも儲かりそうにはない。

 そんな状況だから、趣味に走って余計なものも育てたりする。

 表題のトマトは、パッションフルーツのプランターに勝手に生えてきたものを、なんとなく引っこ抜かずに育てたものなのだ。

 

 生ゴミ処理機の項でも書いたが、生ゴミの中からは様々な野菜や果物の芽が出てくる。

 中でもトマトは確率が高い方で、よく生えてくるのだ。今回も、生ゴミ処理機の処理物を肥料としてプランターに用いたため出てきた。

 本来の対象であるパッションフルーツは、芽こそたくさん出たものの、ちょっと伸びるとネズミに囓られ、大きくならないまま一冬越してしまいそうな勢い。だが、トマトはなんだかぐいぐい伸びて、いつの間にか青い実をつけていたのだ。

 それが、ようやく紅く実ったのが今週に入ってから。

 パッションフルーツは養分も水分も吸いまくる植物であるし、ツル植物でもあるから、コイツが伸びていたらトマトは実らなかったと思われる。

 本当のところ、育てたかったのはパッションフルーツなのだが、それをトマト主体のプランターにしてしまったのは一匹のネズミであったのだ。

 つまり、このネズミこそがトマトを育てたとも言えよう。

 そいつはドブネズミではない。

 この部屋を荒らしまくり、結果的にとはいえトマトを育て上げたのは、一匹のクマネズミであった。

 そう、冒頭の『ヤツ』とは彼のことだ。

 手を変え品を変え、罠を仕掛けてはいたのだが、どうしても捕まらなかったクマネズミ。

 ヤツの頭の良いことといったら、罠から誘いの餌だけ奪い取り、肝心の餌には食いつかない。どうやら、筒状の金属製の罠のどこを踏むと出られなくなるのか、分かっているらしいのだ。

 こいつのおかげで、パッションフルーツだけでなく、スパティフィラムやドラセナ、パイナップル、サツマイモ、クウシンサイ、アボカドなど、様々な植物が食い荒らされた。

 それにしても、だ。

 こうして被害に遭った植物を並べてみると、いかに脈絡無くいろんなモノを育てているか分かる。ついでに被害にあわなかったものも並べてみよう。

ガジュマル、ジャガイモ、ベンジャミン、ゴールドクレスト、バーバンク、チェリモヤ、シークァーサー、そしてトマトである。更に脈絡無く、ワケが分からない。

 こういうラインナップを室内で、しかも真冬に育てているバカは、世界広しといえども俺くらいではないか。

 話が逸れた。

 クマネズミの件である。

 こいつが滅法頭がいいのは間違いなかったが、毒餌だの粘着テープを使用していれば、もっと早く片は付いたに違いない。

 なにしろそいつの住みかはエアコンの中。

 エアコンの端っこを囓って穴を開け、素人では手を出せない奥の方に住み着いていたのだから、出入り口となっている柱に粘着テープを設置すれば、即日逮捕であっただろう。

 また、餌が植物しかないから腹も減っていたはずだ。

 魚やカメの餌などは、全て冷凍庫に保存していたし、この作業ルームではお茶したりもしないから菓子も何もない。毒餌を置けばヤツは一発で死んでいたはず。

 なんでそれをしなかったかと言えば……哀れみ? ちょっと違うな。愛情? なワケはない。そう、たぶん俺の中で勝手に『勝負』になっていたのが、もっとも大きな理由だろう。たとえるならば、


『これほどの武士もののふ、弓で仕留めるなど不粋……ぜひとも、手合わせ願いたい』


 というわけだ。

 罠の餌は、カメ餌として利用している九官鳥の餌から始まって、ピーナッツ、ビスケット、トウモロコシ、サツマイモ、サラミ、パン、リンゴ、ニンジン、二十日大根、小松菜、ミールワームまで使ったが、どの場合も結果は同じ。

 罠に仕掛けてあると見向きもしないクセに、罠からほんの少しでも出ていれば一晩で無くなる。

 そして、書類、書籍、プラスチック製の道具、カメラ、文具、接着剤、液体肥料など、様々な物が囓られ、破壊され、あちこちに糞をされた。

 どうしても捕まらない。

 何度やっても捕まらない。

 十一月頃から被害があり、クリスマスも過ぎ、正月をも越えて延々と罠を仕掛け続け、ついには春の声を聞こうというこの三月に突入。

 そして……一週間ほど前から、パタリとヤツの気配が消えた。餌が一切減らなくなり、植物の被害が無くなり、パッションフルーツの新芽が急激に伸び出した。

 新しいネズミが来ないように、抜け穴になりそうな場所は金属で目張りをしている。出入りは出来ないはずだから、逃げ出すこともないはず……

 どうやら、閉め切られたこの空間で、ヤツの寿命が尽きたらしいのだ。

 いや、寿命ではないかも知れない。接着剤や液体肥料、紙粘土など、妙なものも囓っていた事を考えると、そのどれかに中毒して死んだ可能性もある。

 思えば、昨年十一月に侵入を許してから、観察を繰り返して一匹しかいないようなのを確認し、繁殖を防ぐために他のネズミの侵入経路を断った。

 その後、子ネズミを産まなかったところを見ると、十中八九オスだったのだろう。

 彼の孤独な戦いはそこから始まったのだ。

 何度か姿も見た。慌ててエアコン内部に逃げ込む後ろ姿くらいだが。

 何度も出し抜かれ、悔しい思いをしたが、やはり生きたまま捕らえたかった。それでも結局、最後まで人間に捕まることをよしとせず死んでいくなど、敵ながら天晴れなネズミだ。

 まさか割腹して果てたとは思えないが、その魂はまさしく武士もののふ

 当然ながら、死体はどこにあるのか今も分からない。たぶん、住みかであるエアコンの中であろうと思うのだが、一向に腐った臭いがしてこないところをみると、違うのかも知れない。

 社内では、書棚の裏とかで何度かミイラ化したネズミの死体を見つけているから、いずれ彼の死体もそういうところから発見されるだろうが、そうしたら手厚く葬ってやろうと思っている。

 彼のおかげで大きく育ったトマトは、いくつも花を咲かせたが、虫のいない環境なのであまり実を付けない。結局五個の実を付け、そのうち二つが赤く熟した。

 ミディトマトである。

 彼を偲びつつ、じっくり味わっていただくつもりだ。

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