第39話 ワスレナグモ
ワスレナグサではない。
たった一文字違いなのだが、なんだろうこの響きの違いは。
それにしてもまたクモ。
一部の方に……いや多くの方に批判を浴びそうだが、できるだけキモくないように書くから許して。ね?
俺にとって『嫌いな生き物』や『気持ち悪い生き物』はいないと書いたが、飼ってて面白くない生き物てのはある。
姿を見せないヤツらだ。
そりゃあウナギやナマズなども昼間は巣穴に隠れっぱなしだが、餌をやれば出てくる。慣れれば水面まで餌をねだりに来たりする個体もいる。
スッポンも底砂に潜りっぱなしの生き物だし、雑な飼い方をしているといつまで経っても馴れないから、面白くないといえば面白くないが、彼等は空気呼吸だ。
水深を深めにして細かい砂を敷いておくと、数十分に一回息をしに首を伸ばす。
一見、何もいない水槽の底砂がもぞもぞ動きだし、にゅうううっと首が出てくる様はなかなか面白い。もちろん、馴れてくれば餌をやるだけでも顔を出すようになる。
だが、頑として出てこない生き物も存在する。
水中生物でいえば二枚貝がそうだ。
アサリ、ハマグリなど海水の貝も、シジミやカラスガイ、ドブガイ、マツカサガイなど淡水の貝も、その点は同じで砂や泥の中に潜りっぱなし。
ある日気付いたら死んでいるパターンだ。
そのくせ手間だけは掛かる。淡水の二枚貝の場合、外に栄養たっぷりの水を置いておき、緑色になるまで放置する。その緑色の水こそが植物プランクトンのたっぷり湧いた彼等の餌なのだ。
貝の住む水槽の水を、温度合わせをした緑色の水と交換するのが餌やり。せっかくのプランクトンが濾されてしまうので、濾過装置は使わずエアレーションのみ。これを週に一、二度やれば、なんとか一年くらいは生きている。
だが、生きているのだなーと思って世話していても何ら様子は変わらない。
そのうち、本当に生きているのか不安になって掘り出して確認すると、いつの間にか死んですっかり中身は無くなっているという落ちだ。
どの時点で死んだのかサッパリだ。
さすがに面白くない上に、あまりに報われなさすぎるので飼うのを止めた。
他の項で紹介したヤエヤマサソリも、目の前で餌を食ったりはしない。
木の皮や朽ち木を入れておくと、その隙間に隠れたまま出てこないし、食事もその隙間でするから様子を見たければケースの中を探し回るしかない。それでも、それがサソリのストレスにはあまりならないようであるからいい。
子供を産んで体中に止まらせるという生態も、面白いと言えば面白いわけだ。
だが、タランチュラの項で書いたコバルトブルータランチュラのように、ケースを糸だらけにして巣を作るようなヤツらは、様子を見るために巣を壊さなくてはならない。
糸ってのはタンパク質で出来ていて、要するに出せば出すほどエネルギーと栄養分を使ってしまう。クモにとっては相当なダメージだから、おいそれとは確認できないのだ。
だが、餌を食う姿が面白く、かつ巣を壊さなくてもいいクモもいる。
ジグモやトタテグモの仲間である。
彼等は飼育していても全くと言っていいほど姿は見せない。
なにしろ、土の中にたて穴を掘って住んでいる上に、巣穴の入り口を通りがかった獲物を一瞬で引きずり込むのである。体をすべて外に出すことは、一生を通じて無いわけだ。
ただし、それではオスメスの出会いが無くて繁殖できないので、秋になるとオスはメスを探して地表をうろつくらしい。
とはいえ、その辺をうろつくオスなどなんの特徴もない。
ただ姿を見せないといっても、その一瞬で獲物を引きずり込むシーンはかなり見物で面白いといえる。
ジグモは袋状の巣を石や木、建造物の壁に沿わせて地表数センチにまで伸ばしていて、獲物はその袋の中から噛み付き引きずり込むので姿は一切見せないものの反応が面白い。
振動で獲物の存在を感知しているようだが、視力は無いに等しく袋越しに牙だけが突き出て来る。「ザキッ!!」という音が響き渡るようなのだ。
トタテグモはそうした袋状の巣は作らないが、その名の通り巣に「扉」がついていて、なんとそれを開け閉めして獲物を襲う。糸で作られた『扉』は、地表に擬装していてちょっとやそっとでは見分けが付かないのだ。トタテグモも何種類かいて、「キシノウエトタテグモ」のようにマンホールのフタを開けるように飛び出すヤツもいれば、「カネコトタテグモ」のように両開きの扉を作るヤツもいる。
扉の形状やその擬装だけでも楽しめるが、それを開いて獲物に襲いかかるシーンはなかなか興味深く、やはり飼っていて面白くないなどということはない。
だが表題のワスレナグモ、こいつだけはちょっと違うのだ。
最初にワスレナグモを見つけたのは、自分の庭で花壇を掘り起こしている時であった。
花壇といっても、植わっているのはノビルやニンニク、ツルナ、キャベツといった植物で、ほぼ食用ばかり。
それも数年植えっぱなしという状況だった。最初はそれでも結構収穫できていたのだが、次第に肥料分が無くなってきた為、生ゴミ処理物でも埋めてやろうと掘っていた時のことであった。
クワで耕していくと、収穫し忘れたニンニクやチューリップの球根に混じって、何か小さな白いものが地中から出てきた。一見、ティッシュペーパーの塊のようであったが、こんなところにティッシュを埋めた覚えはない。不思議に思ってそっと指で土をどけてやると、それはどうも人工物ではなさそうであった。
何かの糸には違いないが、特有の粘りと柔らかさを持っている。これはクモのものだ。
この形状でクモの巣といえば、庭にいる可能性のあるのはジグモだが、彼等は石や木などの壁沿いにしか巣を作らない。耕していたのは花壇のど真ん中だ。
しかしその袋状の巣の中には、たしかに何者かがいる。
しかもでかい。
小さく見積もっても全長一センチ以上。一センチは小さく感じられるかも知れないが、地中性のクモは皆、手足が極端に短いからそのボリュームはかなりなものになる。
そっと巣を破ってみると、出てきたのは相当迫力のあるクモであった。
牙がでかい。
最初の印象はそれだ。不釣り合いなくらい大きな牙をむき出しにしているのが、ジグモとの大きな相違点だ。
色も薄茶色で、焦げ茶色のジグモとは違う。
見たことのないクモではあったが、これはどうやらトタテグモの仲間であろうと当たりを付けた。我が家の庭にトタテグモがいるなどというのは、じつに楽しいことである。
おそらく他にも数匹いるだろうから、こいつは飼育して種類を調べてやろうと思った。
ノリの空き瓶に七分目くらいまで土を入れ、割り箸でソイツの体の直径と同じくらいのたて穴を掘ってやる。そっとそこに放してやると、そいつは自分で土の中に消えていった。
トタテグモなら、しばらくすれば戸が出来るだろう。
そう思って毎日眺めていたが、いつまで待っても戸は出来ない。穴は開けっ放しのまま変化無し。
採取時にダメージがあったのだろうか。
このままでは死んでしまう。いや既に死んでいるのかも知れない。そう思って一旦掘り出してみたが、ちゃんと生きていた。
しかも、すでに巣穴は糸で補強されている。
これは悪いことをした。問題ないなら、とまた同じように土に戻し、今度はいつ調子が戻っても食えるように、ダンゴムシとワラジムシを一匹ずつ入れておいた。
三日後。
ダンゴムシもワラジムシもいない。どうやら調子は戻ったようなのだが、相変わらず戸は作られず入り口は開きっぱなし。
ふたたびダンゴムシを投入するが、何の反応もない。巣穴の近くを通っても出てくる気配は無し。
しかし数日後に見るといなくなってはいるので、食ってはいる様子。そんな状況で一ヶ月ほど餌を供給し続けたが状況は変わらず。そのうち夏が終わり、秋になった頃には穴は閉じられてしまった。
それまで糸で補強した穴が見えていたのだが、それがある日、まったく地表から見えない状態になっていたわけだ。
とうとう死んだかと掘り出せば、まだちゃんと生きている。
休眠に入った、ということのようだが、まだまだ暑いくらいの時期になんで休眠するのかサッパリだ。そして、なんとそのまま冬を迎えてしまったのである。
こんなけったいなクモがいるのかと、図鑑を調べてみて驚いた。
そう、こいつこそが表題の「ワスレナグモ」=「忘れ勿蜘蛛」であった。
その名の由来も、最初の記載から数十年間再確認されることがなかったから「もう忘れないでおこう」ということだというから呆れる。
しかも環境省の「準絶滅危惧種」にまで指定されていながら知名度が低い。
その理由がまた『あまりに地味な生態なので見つかりにくいだけで、実はたくさんいるようだ』という微妙な立ち位置であるせいらしい。
たしかに、あのティッシュペーパーのような巣。俺のような変わり者でなかったら、そのまま耕してしまっていた可能性は高いだろう。
また、俺は花壇を掘っていたから見つけたが、これが掘られることのない草むらや山裾などに巣を作っていたとしてもまず見つかることはないに違いない。
バルーニングといって、子グモは糸で風に乗って遠くへ行く習性があるらしいし、雌雄が出会う確率から考えても、数が少なかったら絶滅してしまう。その後も、別の畑地を掘っている時に何度かコイツを発見しているから、やはりそう珍しいものではないように思う。
それにしても面白くない生き物だ。
常時姿を見せないだけでなく、食事風景も見せず、トタテグモのように巣が面白いわけでもない。しかも活動期間が短く、一年の半分以上を休眠している。さらにオスは見つけにくいから繁殖行動も楽しめない。
見た目はかなりカッコよくて好きなのだが、それを観察できないようでは飼い続ける理由がない……ということで、俺は結局コイツの飼育を諦め、庭に放したのであった。
まあしかし、珍しくないのに見つけにくいというこのクモの存在は、一方でロマンもかき立てる。
もしかすると、同じように地味で目立たないだけで、とんでもない生き物がこの世界にはまだいるのではないか、というロマンだ。
西表島の珊瑚礁の海を歩いている時ふと気付いたのは、珊瑚礁はスカスカの穴だらけだということだった。
膝下くらいの水深を歩いていると、時折直径数メートルから十数メートルの穴がある。これはすさまじく深い穴で、底が知れない上に、潜ってみると横穴で縦横につながっていたりもする。
友人と、この穴に住んでいて時折にゅっと現れ、水面近くの獲物を食う数十メートルのウツボがいても絶対分からないな、と冗談を言っているうちにマジに怖くなってしまった。
だが、そういう凶暴な生物なら、被害があるから発見される。地味な生態で臆病で、かつ珊瑚礁の穴だけを住みかとしているような巨大生物が絶対にいない、と断言も出来まい。
深海や高山、秘境の奥地だけではなく、そうした足元に未知の生物がいないといえるだろうか。
俺の愛読書に『ツチノコの正体―神秘の現世動物 手嶋 蜻蛉 著』という本があるが、この本では、ツチノコは以下のような特徴のある生物と推測されている。
・基本的に地中性である
・警戒心が強く、夜間か人気のない時しか姿を見せない
・非常に素早く、消えたかと思うほどの速さで移動する
こうした条件が重なった上に個体数が非常に少ない、となれば、これまで発見されなかったとしても不思議はない。もしかするとツチノコって本当にいるんじゃないか、と、思ってしまう。
そういうロマンをかき立てられる素晴らしい著書であるので、ご興味のある方は是非ご一読願いたい。
今や地球上は、ほとんど衛星カメラで常時監視され、ジャングルの奥地も砂漠の果ても極北の海の底さえも、人間が行けない場所はない。それをもってすべて知った気になってしまっている我々だが、じつは足元の土の中さえ分かっていないのだ。
こんな立派なカッコいいクモが、目立たず、地味に生活し続けていることを長年知らなかったのだから。
であるならば、地球はまだまだ未知の世界。UMAもまたまだまだロマンであり続けてくれるに違いない。
それを教えてくれる、ワスレナグモはロマンに満ちた素晴らしい存在なのである。
飼うとつまんないけどな。
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