第41話 ジャンガリアンハムスター


 そろそろ結果が出てきた。

 何のって、自分自身への人体実験の結果だ。

 といっても、たいしたことじゃない。実はここ半年、俺はシャンプーしてないのだ。

 『汚え!!』などと思うなかれ。頭を洗ってないとは言ってない。頭はちゃんと毎日洗っている。それもほぼ朝晩二回。

 それでべつに臭くもならないし、ゴワゴワしたりすることもない。

 むしろ頭皮の状態、髪の毛の量ともに好調になった。そういうわけでご報告、というわけだ。

 きっかけは、『マンガで分かる肉体改造 湯シャン編 ゆうきゆう・原作 ソウ・作画 少年画報社』であった。

 すでにお読みになってご存じの方もおられるであろうが、この本ではシャンプーどころか石けんすら使用を否定。女性の化粧水もクリームも使わない方がよいと指導している極端な本である。

 その主張は大変シンプル。

 皮膚常在菌や皮脂は必要だからあるんであって、それを無理やり界面活性剤入りの薬品で洗い流す方が、よほど害がある、というもの。

 たしかにそれはその通りだ、と俺は思ったわけである。

 これまでそれなりに生物に触れ、学んできたつもりだったが、どうしても納得いかないというか、不思議に思うことがあった。

 それは、野生の生き物は風呂にも入っていないのに、艶やかでため息が出るほど美しいのに対して、人間は一日風呂に入らなかったくらいのことで、すぐ毛艶が悪くなることだ。

 それもこれも、シャンプーのせいだと考えれば納得がいく。

 そういえばかの故・開高健先生が書かれた釣り紀行文で、遊牧生活しているモンゴルの人は、基本風呂に入らないが、肌はきめ細かくとても美しいと書かれてもいた。

 おそらくだが、『風呂に入らない=体を洗わない』のではなく『湯に浸かったり、石けんやシャンプーを使ったりはしない』ということなのだろう。

 さらに『マンガで分かる肉体改造』には、俺にとってもっと説得力のある事例が書かれていた。

 犬猫専用のシャンプーがあるのは何故か? そしてハムスターやウサギなどの小動物にシャンプーしてはいけないのは何故か? という投げかけだ。

 答えはむろん、『刺激が強すぎるから』である。

 人間は刺激に耐えられるだけなのだ。そんな刺激は無いに越したことはないに決まっている。

 俺はもともと頭皮に吹き出物が出るタチで、年間を通じて常時一個や二個はニキビ状のものがあった。そこに加えて年齢相応に髪が薄くなりはじめ、数年前に悪あがきで某社の『科学的根拠のある育毛剤』を使用して吹き出物を悪化させ、頭皮全体を痛め付けてしまった経緯を持つ。


 今更髪を増やそうとも思っていなかったが、『科学的根拠のある育毛剤』よりはリスクは少ない方法なら試してみてもよい。頭皮の状態は改善されればそれでいい。少なくとも吹き出物はなくなるのでは? と考えた俺は、早速お湯だけの洗髪、すなわち『湯シャン』に挑戦したわけである。

 その結果は、みごとに吹き出物の解消。

 それどころか、頭髪もかなり復活してきた。

 詳しい洗髪法をお知りになりたい方は、ぜひ『マンガで分かる肉体改造(湯シャン編)』をお読みいただきたい。


 さて、また前置きが長くなった。

 上記のことを書きながら思い出したのが、表題のジャンガリアンハムスターのことである。

 ハムスターにシャンプーなどとアホなことは、普通の飼育者はしない。っていうか考えつきもしないが、ネット検索してみると、真面目にシャンプーしたがっていたり実際に洗ってしまったりしたという飼育者も散見される。

 たしかにハムスターも、飼育していれば汚れてくる場合もある。それで『洗いたい!!』と思うようなのだ。

 犬猫にもやるのだからと、シャンプーしようと考えるのだろうか。俺は本来、犬猫にもシャンプーはしない主義なので、その心境は全く理解できない。

 本来、というのは、妻や娘は犬へのシャンプーはひとつのコミュニケーション手段と考えていて、夏の昼下がりなどにヒマだと洗いたがる。ので、手伝わされることになる。

 犬たちには迷惑なことだと思うが。

 また、ウチのバカ犬二匹は、他の犬や鳥などの排泄物に体をこすりつけたり、大河川と見ると飛び込んだりする悪癖があって、そうなった時はさすがに汚いので洗うしかない。

 だが、犬を健康に飼育するにあたって、シャンプーは決して必要な儀式ではないのだ。

 そもそも、犬にせよ猫にせよハムスターにせよ自分の臭いが一番落ち着くのだ。それを無理やり剥がしてみても、ストレスになるだけである。

 ハムスターが汚れた時には、綺麗な砂を入れた衣装ケースなどで遊ばせて、砂浴びでもさせてやればいいのだ。そもそも、床材の交換をサボったり、ケチって新聞紙を裂いたのとかを使ったりしなければ、ハムスターは目立って汚れたりはしないものだ。

 このように偉そうなことを書いているが、俺も昔はハムスター初心者であった。

 さすがに洗おうなどとは思わなかったが、当時はかなりバカなことをやって死なせたり苦しませたりしたものである。

 なので、懺悔がてらにその思い出も書いておこうと思う。


 俺がジャンガリアンハムスターに出会ったのは、社会人になってしばらくたってからのことだった。いきつけのペットショップでのことだ。

 最初の印象は、なんてワイルドなハムスターなのだろう、というものだった。

 それまで主流だったゴールデンハムスターは、もっくらもっくらした動きで、いかにも飼い慣らされた雰囲気を漂わせていた。殖えすぎて困ったなどという話も聞くし、色もパステル調で人工臭かった。

 俺の中の勝手なイメージだが、使い捨ての玩具のように扱われる可哀想な生き物と思っていたし、そもそも飼う気は全くなかった。

 だが、このジャンガリアンハムスターは違った。

 もふもふしていて柔らかそうなのだが、その動きは鋭く野性味がある。しかも何よりも、小さい。

 ゴールデンの半分かそれ以下のハムスターは、実に可愛く目に映ったものだった。

 しかし、その当時ジャンガリアンハムスターは輸入され始めたばかり。

 驚くなかれ、その価格は二万円近くもしたのだ。値札を見て俺は飛び上がった。

 とはいえ、この可愛さは尋常ではない。可愛い仕草でケージ内をうろちょろするハムスターを見つめ、三十分は凝固していただろうか。

 葛藤の挙げ句、結局俺は大枚をはたいてそいつを飼うことにしたのであった。


 ところが。である。

 ジャンガリアンハムスターは一週間も保たずに死んだ。

 特に悪いことをしたつもりもないのに、どうして死んだのか、当時の俺にはサッパリ分からなかったものだ。

 餌はきちんとやっている。五月頃のことだったから寒かろうはずも、また暑かろうはずもない。

 ケージもちゃんとした物を買った。水だって毎日やっていたのだ。見た目からして病気だったとも思えない。

 購入金額もアレだったが、ほんの数日で死なせたこと自体に俺はがっくりきた。そして、俺よりもモフ系生物の飼育歴のある農業系ワイルド後輩(※きゃっち☆あんど☆いーと参照)に電話で相談したのであった。


「そりゃ水ですよ」

 

 農業系ワイルド後輩はこともなげに言った。

 俺が詳細に伝えた飼育用具の中でただ一点、普通ではないモノがあったのだ。

 それは……『水入れ』

 俺は、こんな体の小さなしかも乾燥地帯出身の動物なぞ、少ししか水を飲まないだろうと多寡を括っていた。そしてこともあろうに、ペットボトルのフタに水を入れて毎日やっていたのであった。

 感覚の違い、というものであろう。

 ペットボトルのフタ程度の水量では、全く足りなかったのだ。陸生の爬虫類や昆虫ならこれでいい。だが、いかに砂漠出身とはいえ代謝の高い小動物。要求する水量ははるかに多かったのである。

 しかも、ハムスターは爬虫類などと違ってアクティブだ。ペットボトルのフタなぞあっという間にひっくり返されてしまう。それで水不足に陥っていたのだ。

 なんとくだらない理由で死なせてしまったものか。

 俺は、それはもう深く深く反省した。

 が、懲りたりはしなかった。

 もう一回。今度は雌雄のペアでジャンガリアンを購入したのであった。無論、立派な水入れも。

 前にも書いたが、俺にとって『飼育』とは生き物の生活環を再現することであって、繁殖抜きには考えられない。それはジャンガリアンであっても例外ではなかった。

 問題となりそうだったのは、殖えすぎた時の対処であったが、二万円もするハムスターである。もらい手はいくらでもいるだろうと思っていた。

 今度はうまくいった。

 二匹のジャンガリアンは専用水入れから水を飲み、元気に餌を食べた。そして二匹仲良く……仲良く……あれっ!? 血ぃ出てるやん!?

 ジャンガリアンの夫婦は、大げんかをしていた。

 その頃はまだ、出回り始めたばかりの彼等の習性はよく知られていなかった。

 ていうより、業者が秘密にしていたのだろう。そりゃ二万円もする小動物を素人さんにガンガン殖やされた日にゃあ、商売あがったりだ。

 まあ結論から言えば、こいつら基本的に気が荒くて、多頭飼いしない方がいいものらしい。ショップなどでは何十匹も一つのケージに入れてあるので騙されるが、ああいう落ち着かない状態だと喧嘩する気力も起きなかったり、攻撃が一頭に集中しないから無事なだけ。

 つまり数は少ない方が、また環境は落ち着いた場所の方が、喧嘩は酷くなるようだ。

 それにしてもコイツらの喧嘩は激しかった。

 どうも、最近出回っている個体はそうでもないらしいが、当時のヤツらはとにかくよく喧嘩したのだ。より野生に近かったから、というわけでもあるまいが。

 なんかキーキー騒いでいるなと思ったら、ねずみ色のモフだるまがケージの中をゴロゴロ転がっている。二匹ががっぷり組み合っているのだ。

 そして、数日と経たないうちにオスの頬に大きな向こう傷が出来た。

 このままにはしておいたらどちらかが、あるいは両方が死ぬ。俺は急遽、空いていた中型プラケにケガをしたオスを避難させることにした。

 このプラケ、フタが壊れたので使っていなかったのだが、ハムスターのジャンプ力はないに等しい上に、プラケ自体も普通よりも深いので飛び出す心配はない。

 おが屑を敷き、えさ箱を置き、同じ失敗をしてはいかんと水入れは近くのホムセンで買い込んだ。

 オスの傷は深そうだが、命に別状は無さそうに見えたので、とりあえずその日はそのままにして寝ることにした。

 こんなことでは繁殖など夢のまた夢だなあ、などと肩を落としつつ部屋のカーテンを閉めたのであった。

 

 翌朝。

 俺はとんでもない失敗に気付いて膝から崩れ落ちた。

 最後に閉めた部屋のカーテン。いつものクセで無造作に閉めたのだが……それがなんとフタの開いたままのプラケの中に入っていたのだ。

 上れない壁に四苦八苦している囚人に、ロープを投げ入れてやったようなものだ。オスは当然のようにプラケから消え失せていた。

 当時一人暮らしだった俺の部屋は、かなり汚かった。

 普通に生活用品も多かったが、なにより生き物の飼育用具や植物の鉢、釣り具や網などの捕獲用具なども置かれていて、床が見えないほど。

 そんなところへ逃げ込んだ小さなハムスター一匹。

 見つかる可能性は極めて低かったが、とにかく俺は行動を開始した。山と積まれた様々なモノ。それをとなりのキッチン部屋に移動させ始めたのだ。そして、ゴミは整理して捨てに行く。植物はベランダへ。水槽は外の通路へ。

 日曜日をつぶして作業は行われ、昼過ぎになってようやく部屋はがらんとしてきた。

 だが……ここまでやってもハムスターは見つからなかった。

 その部屋には流しもトイレも押し入れもなく、隠れる場所など見当たらない。なのにいないということは……荷物にくっついて部屋の外に出たとしか考えられなかった。

 むろん、二万円も惜しくはあったが、それ以上に野外に生き物を逃がしてしまったことが残念で、俺はかなり落ち込んだのであった。

 さて。それから数週間が経過した。

 俺はその頃から、部屋の中が妙に臭いことに気付き始めていた。

 水槽や爬虫類ケージを所狭しと置いているのだから、そりゃあ普通に臭い部屋ではあったのだが、それにしても臭い。強烈に臭い。

そう、この臭いは屍臭……屍体の臭いだ。

 どこだ。

 思い当たるのはヤツ。ジャンガリアンハムスター・オスしかいない。やはりどこかで死んでいる。俺は確信した。

 だが、臭いはすれども場所は分からず。日を追うごとに臭いだけが酷くなっていく。

 そのうち。

 俺はふと、エアコンをつけた時に特に臭いが酷くなることに気付いた。エアコンをつけると臭う、消すとマシになる……そういえば久しくエアコンの掃除などしていないが、吐き出し口にえらくホコリが一杯溜まっているなあ……灰色のこの塊なんか、温泉まんじゅうくらいのサイズで……ぐちゃ。あれ? 中から茶色い汁が出てきた。

 あ、ごめん。

 グロ注意って書くの忘れてた。

 ジャンガリアンのオスは、そこで死んで腐っていた。

 具体的に書くとこうだ。

 命綱よろしく垂らされたカーテンを、コレ幸いとよじ登り始めたジャンオス。

 だが、途中で登りやめるような脳味噌はない。どんどんカーテンをよじ登る。どんどんどんどん登っていき……ついにはカーテンレールまでたどり着いたと思われる。

 もともと地上性のハムである。カーテンレールを上手く伝って歩くなど出来ない。彼はそこで立ち往生となった。そこでカーテンレールから落っこちればまだマシだった。

 だが、そこにはジャンにも歩ける場所が目の前に用意されていたのだ。それが、エアコンの吹き出し口であったというわけだ。

 おそらく、数日はそこで生きていて立ち往生していたのだろう。

 声を出す生き物なら、声で気付いたかも知れないし、イグアナやモモンガのように立体活動が当たり前の生き物なら、俺もそこを探したに違いない。

 だが、乾燥地帯出身の地上性の強い小動物が、まさかエアコンの中に逃げ込んでいるとは、俺は想像もしなかった。

 俺はそれはもう落ち込んだ。

 こんな結末を見るくらいなら、むしろ外に逃げていてくれた方がマシだった。

 結局、俺はジャンガリアンハムスターの繁殖を諦め、メスを大事に飼い続けたのであった。

 その後、メスが死んでからもう一度オスを一頭買ったが、その時にはもうジャンガリアンの値段は千円を切っていた。

 そうなると、繁殖させてももらい手がつくか分からないから、ペアにはせずに飼い続けた。そのオスは、ある時頬袋が飛び出してしまってえらいことになったので、獣医に連れて行ったら、手術が必要、ってことになって入院。

 手術と入院費用で、結局数万円かかったのであった。

 そのオスはその後も生き、二年半くらいの寿命を全うしたが、どうも俺は、ジャンガリアンハムスターに関わると散財するらしい。

 よって、それからはあまり彼等に関わらないようにしているのである。

 むろん、懺悔の気持ちを忘れないようにしつつ……

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