第21話 ニワトリ
高校時代。俺は学校の中庭でニワトリを飼っていた。
いやべつに、シルバースプーン的な農業高校だったわけではない。自慢ではないが、県下ではむしろ進学校?
なのにニワトリだけでなく、結構色んな生き物を学校で勝手に飼育していたのだ。
何故かといえば、先輩の一人もいない生物部に一人で入部して、何か研究するといってもどうしたらいいのか分からず、なんとなく様々な生き物を飼育してみることから始めた結果、という感じか。
ニワトリがそのメンバーに加わったのは、二年の春だったと思う。
たしか、最初の一羽は何かのイベントでもらったヒヨコが大きくなりすぎたので、と、後輩女子が持ってきたのではなかったか。正直、そのへんの記憶は曖昧だ。
そいつはメスの白色レグホンで、中庭に放し飼いだった。
中庭は外界から完全に隔離されているから、イヌネコに襲われる心配もなく、逃げ出すこともない。メスだからさしてうるさくもなく、一羽だけの頃は学校側も微笑ましく見守っていてくれたものだった。
一羽だけだとよく慣れるようだ。
これはまあ他の生き物でも同じで、ハムスターにせよカメにせよ、複数匹で飼うと、お互いの存在の方が重要になるが、一匹だとどうしても人間に注意が向くのでそうなる。
数十メートル向こう、中庭の隅っこで餌をついばんでいても、シャッターのところに俺が現れて「ニワトリー!!」と叫ぶと、一目散に飛んできたものだった。
しかも飛ぶ飛ぶ。端から端まで一度も地面につかずに来るし、十メートル近くある木の上に止まって寝ていたりもする。もはや野生化寸前。
さらにレグホンであるから、ほぼ毎日卵を産む。どうせ無精卵だし、ツツジの繁みの中を探しては、持ち帰って美味しくいただいたものだ。
その数ヶ月間は、俺とニワトリにとって、なんとも平和な時間であった。
だがある時、その平和な生物部に波乱を持ち込む者がいた。
体育教師である。その先生は、平たいボール箱にもみ殻を敷き詰め、卵を十数個持ってやって来たのだ。
この体育教師、「きゃっち☆あんど☆いーと」のモクズガニの項で、大人げなくも俺からモクズガニの捕れる場所を聞き出し、その川のモクズガニを壊滅状態になるまで食い尽くしたその人である。だから、なんというか限度を知らない。
もともと生き物が好きらしく、顧問でもないクセになんやかやと生物部室へやって来てはいたのだが、どこかで色んな品種のニワトリの卵を手に入れてきたらしく、それを孵化させてみろと、持ってきたのだ。
まあ、現にニワトリを飼っているのだから、卵くらいいいかとも思ったが、それにしても、その数が問題だった。十数個全部孵化したらどうするつもりか。
生物室には古い古い木製の孵卵器があって、興味があったのは確かだったが……いらない……というほどではないが、その先生のノリが少し迷惑だな、と思った覚えがある。
だがまあ、目の前にあるチャンスを棒に振る俺ではない。とにかく卵を預かり、それから二週間、一日に三、四回は孵卵器をのぞき込む日々が始まった。
ニワトリなど鳥類の卵の多くは、転卵という作業をしないと孵化しないのだ。
つまり卵を転がして、たびたび天地を逆にしてやらないと、発生が止まってしまうわけだ。これは本来であれば親がやるのである。
親鳥ってのは巣に座って温めているだけで、実にヒマそうに見えるが、なにもぼーっと座っているだけではないのだ。クチバシで一個一個、丁寧にひっくり返し、時には暑すぎないよう立ったり翼で扇いだりもして、湿度や温度をも調節している。
俺も親鳥に倣ってまめに転がしてやったつもりだが、本来は一日四回以上やらなくてはならないらしいし、なにより学校だから、夜間は無理だし日曜も部活は無し。それで孵るかどうかは正直不安だった。
しかし、二週間ほどたったある朝。いつも通り転卵しようと孵卵器の扉を開けた途端、中から黒、茶、白、薄茶色など様々な色のモコモコが溢れだした。
「うわー。きゃー。ひえー」
一人で騒ぎながらモコモコを拾い集める。
後ろで見ていた友人が呆れてモノも言えない、という表情で俺を見ていたのをリアルに覚えている。
このモコモコ、言うまでもなくヒヨコなのだが、色がどれも黄色ではない。あの体育教師、色んな品種とは言っていたし、確かに卵は色んな色だったが、ヒヨコまでもがこんなに多様な色合いになるとは思いもしなかった。
あとで聞いたところによれば、どうやらこれが和種ばかり。チャボ、東天紅、地鶏などのけっこう貴重な卵であったらしい。
小学生時代は夜店のヒヨコを何回か死なせていたので、たぶん殆ど死ぬんじゃないかなどと思っていたのだが、さすがに高校生ともなると、飼育技術も上がっていたらしい。それに節度もある。つまり触りまくったり寒くしたり餌や水を忘れたりしないから、ヒヨコたちはほとんどが健康に育ってしまった。
そしてむろん、彼等もまた中庭へと放されてレグホンの「ニワトリ」とともに中庭を闊歩する事となったのだった。
当初は、なりは大きくてもピイピイ鳴いて可愛かったのだが、多少残っていたうぶ毛も消え、トサカも生えそろってくると、目つきも鋭くなり、オスは蹴爪も発達し始めた。
蹴爪をご存じの方も多いと思うが、一応説明しておくと、歩行用の指以外に発達した、ケンカ専用の突起がオスのニワトリにはあるのだ。
これがまた剣呑で鋭く、実に凶暴な作りをしている。複数飼いしているところではカットしていたりもするが、高校生にそんな技術もないから放置していたら、そういうオスが数羽になってしまった。
昼休みの中庭は、女子たちが弁当を広げる憩いの場所であった。
ニワトリたちがデビューしたての頃は、女子たちも可愛がり、弁当の残りなどを食わせてくれていたりした。だが、次第に凶暴化したニワトリの群れは、その女子たちを襲うようになり、中には卵焼きを奪われたと苦情を言ってくる生徒までも現れた……ってこれ共食いと言っていいのか?
で、まあ、そのくらいは可愛いもんで、問題は鳴き声だった。
雄鳥は朝「時をつくる」という。
だから、なんだか朝だけ鳴くような印象があるかも知れないが、それは間違い。朝、「鳴き始める」のである。つまり、明るい間は一日中鳴いている。
しかも、オスの一番大きなヤツは「東天紅」。長鳴き鶏というやつで、つまり文字にすると
「コケコッコォォォオオオオオォォォォオオオオオオオォォォォォォ…………」
というふうに、息切れしそうになりながら十数秒から数十秒も後を引く声を出すのだ。
地鶏の声は短めだが、東天紅に負けない声量。
チャボは「グキャッッコー」という潰されたみたいな叫び声。
じゃあ雌鳥は静かかというととんでもなくて、雄叫びこそしないが、ちょうど女子がぺちゃくちゃくっちゃべる感じで鳴く。
文字にすると
「コッコッコッッコッコココココッコッコッコッッコッッコオッッコオオオッコッコッコオオオッコオオッコオッココココココ……」
とエンドレスなのがいやらしい。
しかも、一羽が鳴き出すと、もう一羽が合わせてハモり始め、それに更にまた一羽加わり、どんどん数が増えて、大合唱。そこへチャボが「うるさい!!」とでも言いたげに
「グキャッコー!!」
続けて東天紅が
「コケコッコォォォオオオオオォォォォオオオオオオオォォォォォォ…………」
何度も言うが、中庭は完全に校舎で囲まれていたから、逃げる心配はない。
逃げる心配はないのだが、建造物で声は反響し合い、群れ全体の合唱となると……。
悪いことに、中庭に面した建物は三年生の校舎だったから、すぐさま生物部に苦情が来た。まあ、たしかにあんな状況で模試とか授業とか受けていられないとは思う。
当時受験生だった先輩方、申し訳ないことをした。今更謝られてもしょうがないかも知れないが。
そんなこんなで、ニワトリたちは体育教師がまた見つけてきた引取先へ、引き取られていくことになってしまった。
結局、ニワトリたちと接したのは一年足らずだったと思うが、一緒に白色レグホンの「ニワトリ」まで引き取られていってしまったのは残念だった。
結局、最後まで俺に懐いてくれていたのは彼女だけだったのだから。
そうそう。
「巨獣黙示録G」に登場するガルスガルス。なんで翼手竜や猛禽でなく、白色レグホンの巨獣なのか、といえば、モデルがこの中庭で飼っていた白色レグホンの「ニワトリ」であるからだ。
そりゃあ野性味あふれる東天紅や地鶏は格好良かったし、作り込まれた印象のチャボは可愛かったが、成長した白色レグホンがとても美しく、また賢く、愛嬌があることを、俺は飼ってみて初めて知った。
その後もニワトリを飼いたくて、いろいろ頑張ったのだが、アパートではまず無理だし、結婚して一軒家を持つようになった頃には、「鳥インフルエンザ事件」のおかげでうかつに鳥を飼えなくなってしまった。
まあ、俺は良いのだが、家族やご近所の目がうるさいわけだ。おそらく、二度とニワトリは飼えないのだろうなあ……
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