第22話 アメリカザリガニ

 子供の頃は、真剣にアメリカザリガニを飼っていた。

 だが、真剣に飼えば飼うほど、何故か死ぬ。

 何故か、といえば子供は気にすればするほど触るからだ。先日も、とある小学校に招かれ、自然観察会をやったわけだが、せっかく捕れた魚を


「おさかなさん、かわいい~」


 と、触りまくってあっさり死なせてしまう。ネコやイヌをなでる感覚だから、子供たちには、何故死んだのかサッパリなわけだ。

 だが、ふれあいこそが目的なので、もちろん叱ったりはせず、取り敢えず放置。

 そんで、ボロボロのヘロヘロになったころ、魚を透明容器に入れて見せ、こう言う。


「どうしてこんなふうに弱っちゃうか分かるかな? おさかなさんの体はヌルヌルしてるよね? みんなの体で同じようにヌルヌルしてるところがあるの、分かるかな?」


「お目々~」


「お口~」


「そうだね。じつは、水の中に住むおさかなさんの体は、全身がお目々やお口の中みたいなものなんだ」


「ええッ!?」


「みんなは、お目々やお口の中を手で触られたら、痛かったり、イヤだったりしない?」


「いたい」


「さわられたくない」


「だよね。だから、おさかなさんの体は、なるべく触らないようにしてあげよう。それが、おさかなさんと仲良くなるために大事なことなんだよ」


 こう言うと、大半の子供たちは無茶な触り方を諦める。

 アメリカザリガニは体表が粘膜というわけではないが、それでも巨人に触り倒される恐怖を実感するのか、あまり触らなくなるものだ。

 触りさえしなければ、大抵の生き物について、飼育の第一歩を歩み始められたといっていい。

 よくある子供向けの「生き物の飼いかた」的な本は、この点を強調して書いていないことが、ひとつの大きな欠点だと思う。


 で、話は戻るが俺は子供の頃、アメリカザリガニは、かなりひ弱な生き物だと思いこんでいた。

 ちゃんと水を入れているのに、何故か死ぬ。

 ちゃんと餌をやっているのに、何故か死ぬ。

 毎日様子を見ているのに、何故か死ぬ。

 考えるまでもなく、毎日さわりまくり、時にはザリガニ同士戦わせていたのが原因なのだが。しかも、濾過装置どころかエアレーションすらしておらず、餌はスルメとか煮干しとかパン。死なない方がどうかしている。

 そのくせ、死なせるたびにわんわん泣いて、家族を困らせたものだった。

 小学校も高学年くらいになると、さすがにその辺も多少分かってきて、ザリガニは長生きするようになってきた。すると今度は別の問題が生じてくる。

 これまでは弱り切っていて、死ぬ寸前だったせいか、他の生き物と一緒くたにしていても被害はなかった。ところが、ちゃんと飼えるようになった途端に、彼等の本領が発揮され始めてしまったのだ。

 金魚、モツゴ、フナはもちろん、水草。ついには大事に飼っていた、クサガメの子供まで殺されたのは効いた。

 言うまでもなく、そんなものと一緒に飼育している方が悪いのだが、子供の怒りは理不尽だ。それまでその死に涙していたとは思えないほど憎んだ。

 いや、だからこそ裏切られた気になったのかも知れない。可愛さあまって、というやつだ。野外で捕らえたものまでも、生かさずにその場で殺してしまうようになったのだ。

 それもかなり残酷に、石壁に叩き付けたり、踏みつぶしたり……今にして思えば、なんであんなことをしたのか分からないが。

 だが、さすがにその行為の矛盾というか、理不尽さにもそのうち気付いた。

 それまでは、周囲のザリガニを殲滅する、くらいの思いで殺していたのだが、そもそも、生きているだけで罪な生き物などあるはずがない。

 そして、高校の生物部では、ふたたび彼等を、今度は高校生レベルの技術で、きちんと飼育してみることにしたのだ。

 飼育した場所は生物室の流し。排水口に雑巾を詰めて水を溜め、ホテイアオイを浮かべてザリガニを十数匹放した。

 ザリガニは、高校の脇を流れる排水路で採集。大型個体がイヤというほどいたので、昼休みの終わりかけ、ほんの十数分でそれだけの数が集まったのを覚えている。


 ザリガニたちは元気よく生きていた。

 ホテイアオイはあっという間に根が食い尽くされ、本体も一ヶ月ほどでバラバラに食われた。成体クラスばかりだったので、すぐに交尾が観察され、抱卵も確認された。


 ザリガニの雌雄判別法をご存じだろうか?

 実に簡単で、裏返して尾部と胸部の間の腹脚に、特に目立つ、白っぽい四本のマッチ棒のようなモノが出ていれば、ソイツが雄。要するにそれが生殖器なのだ。

 交尾の体勢は正常位。雄が雌のハサミをしっかり握って組み伏せている。微妙に腰も動かしているので、けっこう、やらしい。

 卵はお腹にくっついたままで母親に守られ、水温にもよるが、数週間で孵化。子供たちは、しばらくは母親と共に過ごす。

 だが、それから更にしばらくして放出された時は圧巻である。

 無数の稚ザリが流しの底一面にぴょいぴょいと動き回り、可愛いやら困るやら。

 親と一緒では食われてしまう可能性が高いので、結局その時は、稚ザリたちを別の水槽に隔離したのだったと思う。

 ザリガニを繁殖させたのは、その時が初めてだったのだが、それにしても困った。

 なにしろ数百匹の稚ザリを成体まで飼育する設備もないし、成体になったらなったで困る。しかも、生物部顧問の先生から、外来種でもあり農業にも害を与える可能性があることから、野外に放逐することは厳に慎むよう指導されていた。

 

 結局、これまた矛盾しているが、大半を当時飼育していたアホロートル、いわゆる「ウーパールーパ-」などの餌にすることにした。

 そうして数を減らした次世代を、また飼育していくという、家畜飼育のような家庭菜園のような利用スタイル。これは非常にうまくいったと思った。

 だが、アメリカザリガニの子供は大変可愛い。餌として与えることに、俺はすぐ慣れたが、後輩女子には可哀想なことをする、とずいぶんと睨まれたものだ。

 といっても、他にどうしようもないのだから仕方がない。っていうか、そもそもそんなもの、飼育しなければ良いだけの話なのだが。


 あれからずいぶん色んな経験もしたし、色んな生き物を飼育もしたが、ザリガニに対するスタンスはあまり変わっていない。

 ただ、大事に飼育して繁殖させるようなことはなくなった、何しろ、各地のビオトープで駆除されたものを集めてくるだけで、常に数十匹単位でキープしなくてはならない状態なのだ。これを食べてくれる生き物は、現在のところ巨大ミドリガメが三頭、オオウナギが一匹、ナミゲンゴロウが二匹。たまに自分でも食べる。

 っていうか、自分でも食べないと彼等だけでは食いきれないのだ。

 こうしているのも、生態系に対してザリガニがどれだけインパクトを与えているかを知ってしまったせいだ。だが、俺の中で命の重さが変わったわけではない。

 なにしろ、俺が持ち帰らなければビオトープの持ち主……つまり学校の先生方や公民館の館長さんなどだが……は、そのまま土に埋めたり、路上放置してカラスに与えたりする。近くの川に捨てに行くってのはマシな方だが、それでは何の解決にもなっていないだろう。

 そんなことになるくらいならば、俺がすべてきちんと利用するべき、と思っているから持ち帰るのだ。

 今のところ、だが、少なくとも無駄に死なせているザリガニはいない、と言っておきたい。

 生かしてやることは出来ずとも、ザリガニの死に涙し、下手くそながらも一匹一匹を大事に育てようとしていた、子供の頃の気持ちは、できるだけ忘れないようにしていきたい。

 なんだか、そのへんが自分の根っこであるような気がするから。


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