第5話 サワガニ
少しはキモくないものも並べていこう。
というか、生き物差別をしないのが俺の主義だ。そのうちモフ系も書くかも知れん。
さてサワガニ、というものを初めて飼育したのは幼稚園の頃。捕まえてきたわけではなく、買ってきたものだった。
当時、スーパーの魚屋では生きたサワガニが量り売りされていたのだ。
母の買い物によくくっついて行っていたから、金属のボウルの中で蠢く赤いカニたちを、俺は興味深く観察した。
とにかく不思議だったのだ。海水浴で捕獲してきたカニはすぐに死んでしまうのに、大きさも見た目も似たようなこのカニは、何故かいつまでも生きている。
しかも、海水も必要ないらしいのだ。
丸ごと唐揚げにすると美味、という話だったが、我が家ではサワガニを食べる習慣はなかった。たぶん、ご近所にもあまりそういうご家庭はなかったのだろう。
今にして思えば、魚屋さんの客寄せのため、店先に置いてあったのではなかろうか。
放っておくと、俺がいつまでもそこに張り付いて動かないため、母は結局、数匹買って帰る羽目になった。
最初の頃はよく死なせた。
いきなり水温も合わせず放り込んだりしたし、それを何とか生き延びても、とにかく興味があるものだからよくいじり回したのが悪かった。
だいたい数日。長くても数週間で死なせてしまい、何故死んだのか分からないまま、また魚屋の店先でサワガニをねだる、というようなコトをやっていた。
なにしろ、遊ぶたびに容器の外に出して歩かせたりするのだから、カニとしてみればたまったものではない。
そのくせ、水替えはしないしエアレーションもしていない。餌は塩分過多で調味料まみれのサキイカ。死んで当然、というところだ。
だが、俺もいつまでも幼稚園児ではない。そのうち小学生になると、さすがにこんなにさわりまくっていたらダメだ。ということに気がついた。出回っていた子供向けのペット飼育本も読みかじり、生かしておける日数も、数週間から数ヶ月へと伸びていった。
そんな折り、サワガニが本来は大変水の綺麗な場所にいる生き物だと知った。
その時は十匹ほどが数ヶ月生き延びてくれていたが、残り餌と排泄物まみれでも、実にタフに生きてくれていた。だが、それならば、出来る限り水替えをしてやろう、と思ったのだ。
入れていた大きな漬け物樽を丁寧に洗い、岩も山っぽいいいものに取り替えた。
透き通った井戸水を入れてやると、赤いサワガニはいかにも気持ちよさそうに動き出した。
このままでも充分だが、置き場所も少し考えようと思った。明るい場所なら、この岩の色彩もサワガニの赤ももっと映えるに違いあるまい。
そう思った俺は、サワガニのケースを軒下に出してみた。思った通り、日差しの下のサワガニは美しかった。
これからもっと大事にしてやるぞ、そう思い、満足して家の中に入った。
それから一時間も経っていなかったと思う。母が俺を呼ぶ声がした。
「なにこれ!! カニ、全部死んでるよ!!」
ウソだと思った。
水を換えたばかりなのだ。さっきまで、あれほど気持ちよさそうにしていたのに、なんでそうなる。きっと、じっとしているのを死んだのと母が勘違いしているだけだ、そう思った。
だが、軒下に走った俺が見たのは、水底に仰向けで転がるカニたちの姿だった。
良かれと思ってしてやっただけに、ショックはでかかった。
重く責任を感じ、動かなくなったサワガニを氷で冷やしたりもしてみたが死んだものが生き返るはずもない。昔は生き物が死ぬとしょっちゅう泣いていたが、その時は特にひどく声を上げて泣いたものだ。
そんな俺を見て、姉も泣きながら慰めてくれたのを覚えている。
「あんたがあんまり悲しんでいると、死んだものは安心してあの世に行けないんだよ? だから、そんなに悲しんじゃダメ」
その言葉も胸に響いたが、俺が悲しむことで姉を悲しませたことが痛かった。
そうか。悲しんでいても、一歩も先に進めない。
悪いのは俺。やってしまったことは変えられないけど、俺自身は変わらなくちゃダメだ。
そう思った。
死んだカニたちのためにも、もっともっと知識と技術を身につけて、二度と同じ悲しみを誰にも味あわせないように。
それから、真剣に飼育本や生物本を読んだ。
漠然と水槽に放り込むような飼育の仕方をやめ、飼いきれない生き物は飼わないことを徹底し始めた。
今にして思えば、このことが、俺が生物飼育の修羅の道にはまり込むきっかけだったのかも知れない。っていうか、大抵の子供が成長していくに従って、忘れたり興味を失っていったりするこうしたことを、ずっと思い続けることになった、契機であったように思う。
で、高校時代は生物部、大学までも生物学専攻に進み、社会人になってからはビオトープ管理士資格だの建設技術士(環境部門)だのまで取得することになったのだから、人間の将来なんて分からないものだ。
そんな思い出の生き物なのだが、今、サワガニを飼ってはいない。
何故なら、ただ生かしておくだけでなく、ちゃんと飼育し、さらに世代交代までさせるには、相応の手間が掛かることを学んだからだ。
だが、タフで物静かで優しく、飼いやすいサワガニは、非常に魅力的な生き物である。
しかも、日本産で唯一の完全に淡水だけで生活するカニなのだ。アカテガニやクロベンケイガニなども淡水で飼育は出来るが、幼生は海に行かないと成長できない。
サワガニは、里山の開発が進んだせいか、アライグマやイノシシの台頭によるものか、おそらくはその両方なのだろうが、年々数を減らしているようだ。
俺は少しでも彼等の助けになればと、山沿いのビオトープを依頼された時には、サワガニの住みやすい環境整備を心がけているし、いつかはちゃんと飼育してみたいと思っている。
サワガニには、赤だけでなく、青や紫、白い色もいて、それが地域や流れによっても変わるので、コレクションとしても楽しめる。
もちろん、そうやって地域ごとの違いがあるということは、あっちに生息しているから、こっちの流れは潰してもいい、ってことにはならないし、買ってきたり、他所から捕ってきてその辺に放す、などということは絶対にしてはいけない生き物の一つだ。
飼育にチャレンジしようという方は、ぜひ、それなりの覚悟を持って設備を整え、挑んでいただきたい。
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