第4話 蛎殻《カキガラ》に付いていたモノたち

 俺が高校生くらいだったか、親父が殻付きのカキを買って帰ってきたことがあった。

 それもハンパな量ではなく、一斗缶に三つだから百個以上はあったのだろう。結局数えはしなかったが、家族みんなでカキパーティ。

 俺は、生牡蛎は苦手なのだが、蒸したり焼いたりしたもの、カキフライなど火を通したものは大好物だったから、カキだけで腹一杯になるほど食った。

 母も姉も父も祖父母も、結構な量を平らげた。

 それでも少し残ったように思うが、それは翌日に人にあげたりもした。どうやら、海辺で仕事があって、養殖直売所を見つけたらしい。かなり安かったと言っていて、それからしばらくすると、親父はまた同じように買ってきてカキパーティをやった。

 三度目か四度目くらいのことだっただろうか。

 家族全員、腹を下した。

 それもかなりひどい症状で、イヤな臭いのゲップが治まらず、汚い話だが出てくるのはほぼ水。置き薬程度ではどうにもならず、当時、一カ所しかなかった自宅のトイレは、夜の三時頃まで家族が行列を作る羽目となったのだ。

 とはいえ、元々胃腸の強い一族なのだろう。

 夜明け頃に順次下痢が治まると、そのまま休むどころか誰も病院にも行かず、朝食こそ食べなかったが、昼食からは何事もなかったかのように普通食をとったのであった。

 とはいえ、それから親父は二度とカキを買って帰ってくることはなかった。

 ちょっと極端な話だが、まあ気持ちは分かる。


 だが、今回の話はそのカキではない。カキガラがメインなのである。

腹下り明けの朝。

 俺は、初めてじっくりとカキガラを見てみた。

 改めて見てみると、汚い。ざっと洗いはしたはずだが、泥ともゴミとも海藻ともつかないものが結構付着していて、これをこじ開けて料理したのだから、食中毒を起こしても不思議はない気もした。

 だが、ふと見たその一斗缶の底。溜まった水と泥の中に、不思議な形のモノが触手を広げている。


「おお、コレ、イソギンチャクやんか」


 それは直径数ミリの、とても小さなイソギンチャクだった。

 一度はすべて真水で洗ったはずなのだが、カキ本体から浸み出す海水で生きていたのだろう。

 よく見ると、そんなのが数個、一斗缶の底の泥の中に落ちている。

 俺は早速、そいつらを拾い集め、泥やカキガラと一緒に水槽に入れた。海水は急遽人工海水を買いに行く。

 もちろん大抵の人はご存じだろうが、真水に塩を入れただけでは海水生物は飼育できない。何故かといえば、海水には塩、つまり塩化ナトリウム以外の成分もたくさん含まれているからだ。

 魚類はタフだから、比重をちゃんとすれば数日生きるヤツもあるが、それでも長くは保たない。

 全身粘膜のイソギンチャクなんかは、そんな塩水では瞬殺だろう。

 だが、人工海水というものはどんどん進化していて、今やほとんどの海水生物は人工海水だけで飼育できる。


「そんなもん、海で汲んできた方が安いし確実だろう」


 とかいうあなた。それがそうでもないのだ。

 まず、綺麗な海水を汲める場所は以外に少ない。そのへんの防波堤に行ってみても、すぐに行けるような海岸は、ゴミや油が浮いているし、茶色く濁っている場合もある。

 たとえ綺麗な海水を汲めるような場所に住んでいたとしても、水を汲むのは重労働。水面ギリギリまで車を着けられるような場所は少ないし、あっても危険だ。

 なにより、海水は溶けている塩分のぶんだけ少しだが水より重い。

 具体的に言えば、二十リットルのポリタンク満タンで、灯油なら十六キロしかないが、真水だと二十キロ。海水だと二十・四キロとなる。

 それを、六十センチの標準水槽分汲んでくるだけでも腰を痛める。

 海に行くためのガソリン代も必要だし、万一海水を車内でひっくり返したら大変なことになる。

 そんなアホな経験をした人はそうそういないだろう。だが、俺はある。

 しかもハイブリッド車。

 一瞬で車の電気系統がすべて飛び、ストップした。坂道だったので、惰性で走ってコンビニの駐車場に止めたが、県外に遠出していた時だったので途方に暮れたものだ。

 それでも、しばらく水を切って乾かしたら再スタートしたのは、さすがジャパンのテクノロジーだが、その後、なんとか帰り着いてからクリーニングしてもらったものの、やはり電気系統のトラブルが頻発して買い換えることとなった。

 だから、海水生物を飼育するなら、断固として人工海水が良い、と主張しておきたい。


 少し話が逸れたが、カキガラと一緒に入れたイソギンチャクは、すぐにふわふわと触手を伸ばし始め、元気になった。

 全長一センチ内外のものばかりだったが、水槽も小さかったのでちょうど良いくらいだった。濾過装置は投げ込み式。つまり、よく金魚の水槽に入っているあの、漏斗を逆さにしたようなプラスチックのヤツだ。エアポンプで空気を送ると、小さな水流が出来、少しずつ水を濾過していく。

 また話が逸れるが、最近は何か飼おうとすると、大げさなシステムを組まされることが多い。

 外部濾過装置とか上部濾過装置とか……要するに水をポンプで汲み出して濾過装置を通すタイプのヤツを薦められるが、きちんと水換えしてやるつもりがあれば、大抵の生き物はこの投げ込み式で充分。というのが俺の持論だ。

 大げさな装置はたしかに能力も高いが、それにかまけて放置しているような水槽においては、目詰まりや空回りで、往々にしてうまく働いていない。

 それくらいなら、低能力の濾過装置でも確実に働いていた方がマシなのだ。


 さて。イソギンチャクには、金魚の餌をやった。

 そんなものでも触手につけてやると、ゆっくりと中心部の口に運んでいく。そうやって育てていけば、そのうち大きくなるものと思っていたのだが、ある日、イソギンチャクの周りに、またふわふわした白いものが触手を伸ばしているのを発見して驚いた。

 いつの間にか殖えていたのだ。

 本で調べると、どうやら口から子イソギンチャクを吐き出すタイプもいるらしい。っていうか、こいつら一センチ内外のこの大きさで、どうやら成体ってことか。

 さらに一ヶ月ほど経ったある日、今度は水槽内に糸のように長い長い触手が蠢いているのを発見。どうも地面を長く這わせた触手で、餌を本体に運んでいくタイプの生物も潜んでいたらしい。

 カキガラの隙間にいるようだが、その姿は見えない。

 これも調べてみると、イトヒキゴカイというゴカイの仲間であることが分かった。

 その後も、ヨコエビやワラジムシに似た小さな生物、ガヤと呼ばれる小さなサンゴの仲間、巻き貝など、様々な生物がカキガラから現れた。

 ガヤは、小さなクラゲ状のプラヌラ幼生を発生させる。半透明の可愛いクラゲが水槽内を漂いだした時には、かなり驚いた。


 結局、この水槽は半年ほど状態を維持したが、あまりにイソギンチャクだらけになってきたので、カキ養殖場近くの海に捨てに行った。

 採ってきた場所だから問題は無かろうとは思うが、飼育下で育てた生き物を放すのは、あまり奨められた行為ではない。

 その理由は追々話すつもりだが、この時はまだそんなこともよく知らないアホな高校生だったのでお許しいただきたい。

 しかし、かようによく洗っていないカキガラには、様々な生き物が付着しているのだ。

 最近はライブロックとかいって、珊瑚礁から採ってきたサンゴの岩を売っている。そこからはもっと様々な生き物が出てくるらしく、多孔質のサンゴ岩自体も水質浄化能力があるらしいが、もちろんそんなモノを採ってくれば、珊瑚礁はどんどん破壊されていく。

 せっかく身近にカキガラという面白い素材があるのだから、特に初心者の方々はそっちを試してみることをお勧めしたい。

 中身も食えて、お得感もあるからだ。むろん、食あたりは自己責任で。


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