第12話 ネコ
ネコは人気の高いモフ系ペットである。
ネコ画像はどこでも大人気だ。それに比べて人間の最も古い友と言われるイヌ画像は、ネコほど人気がない。おそらく、住宅事情もあって、散歩が必要でよく吠えるイヌは飼いにくい、ということもあるだろうが、なにより仕草、性格の人間っぽさが、ネコ人気の秘密なのではあるまいか。
俺もネコが大好きで、何度か飼育経験もある。
なにもキモイ生き物ばかり飼育していたわけではないのだ。どんな生き物も、区別も差別もしていないわけで、可愛いからといって飼わない、などということもない。
口ではキモイキモイと言っているが、ヘビだろうがナメクジだろうが俺自身はキモイなどとは欠片も思っていない。ネコと同じように可愛く思っている。
だが、ということはネコであろうと俺の経験談であるから、ただ可愛いだの面白いだのでは終わらない。
学生時代の話である。
アパートで一人暮らししていた俺は、実に怠惰な生活を送っていた。
ろくに学校も行かずに漫画を読み、ゲーム三昧。
当時は最上位機種がスーファミしかなかったが、友人二人と三日間完徹で『三国志』をやったり、『ロックマン3』の十何面だったかがクリアできずに、無限に挑み続けたりしていた。漫画も読みふけった。
金がないから同じ漫画を何度も読む。
長谷川裕二の「マップス」、寺沢大介の「ミスター味っ子」、高橋留美子の「うる星やつら」などは、コマ割りからセリフまで覚えてしまい、脳内再生が出来るくらい読んだ。
若いクセに恋愛もせず、なんとも無駄な時間を過ごしていたものだ。漫画の台詞回しは、今、小説に生きているとは思うが。
そんなある日。
コンビニでも行こうとドアを開けると、するっとネコが侵入してきた。
セリフを付けるとするなら
「ただいま~。何よ、やっと開けてくれたわね」
って感じだろうか。
白黒のホルスタイン柄。ちょびひげのように口元に黒がある。ヒットラーのような悪役顔だが、メスだった。
そいつはまるで、当たり前のごとくに部屋の中央に来ると、そのまま毛繕いを始めた。
あまりの図々しさに呆れもしたが、見れば相当痩せていて、今にも倒れそうなほどふらついている。
もし健康なネコなら追い出していたかも知れないが、こういう弱った生き物に俺は弱い。
自己分析すれば、俺がいなければ死ぬってことは、必要とされてるってことだから、それが嬉しいのだろう。
俺がいなくても元気に生きていけるヤツを、何も自分の物にする必要はない、そう思ってしまうのだ。
俺はその足で猫缶を買いに行き、そいつは俺の部屋に居座ることになった。
アパートはペット不可であった。今はペット可マンションも多いと聞くが、安普請の学生用アパートでペット可なんて物件は、今もそうはないだろう。
だが、ネコはいつも数匹、駐車場近辺にうろうろしていて、定期的に餌をやっている学生も何人かいたから、俺の行為は目立たなかった。
目立たないからやっていい、というわけではないし、一生面倒見切れないくせに手を出すのがいかに無責任か、ということは、今だから言えることで、当時の俺は、そんなこと深く考えもしなかった。
だが、少なくともネコを自由に外に出す飼い方はよくない、ということは分かっていた。糞尿や小鳥、金魚、総菜を盗むなどで周囲に迷惑を掛ける上に、病気や事故のリスクもある。なにより、野生のトカゲや小鳥に対する捕食圧がバカにならないことも、知っていた。
当時所属していた動物生態学研究室の先輩の研究論文が、キジバトに関するものだったのだが、詳しい割合は忘れたが、人家近くのキジバトの巣の多くは、カラスとネコにやられていると報告していたからだ。
だが、そんな心配せずとも、転がり込んできたそのネコはフラフラで、外出する様子は見せなかった。与えた餌はがっつくように食べたが、腰骨もあばらもさわらなくても確認できるほどに痩せている。
まともにネコを飼うのは初めてだったから、とりあえず、必要な物を揃えるついでに、動物病院に連れて行くことにした。
その動物病院は、なんとペットショップの二階にあった。
なんとも便利な立地であり、動物病院でアドバイスを受けて、一階でアイテムを購入すればいいわけだ。
優しげな獣医師は、弱った野良の成猫なんぞを保護したいかにも一人暮らしのむさい俺に、不思議そうな顔一つせず、必要な処置一式を、超格安で請け負ってくれた。
金額はよく覚えていないのだが、寄生虫検査、混合ワクチン、レントゲンまで撮ってくれて、数千円しか払わなかった覚えがある。
よく考えればそんなに安いはずがない。学生である俺に、少しでも負担がないようにしてくれたのに違いない。
レントゲンまで撮ったのは、ネコの痩せ方が異常だったからだ。獣医師は何度もお腹を触り、首を傾げていたのだが、画像が上がってきて俺も獣医師も息を呑んだ。
内臓がない。
シャレではない。
実際、お腹のあるべき部分に、あるべき内臓がまったく写っていなかったのだ。
代わりに胸の中。つまり、肋骨の間に胃や腸がごっそりと潜り込んでしまっている。おかげで肺が圧迫されてしまっていて、必要な機能の四分の一ほどしか働いていないだろう、とは、獣医師の見立てだった。
どうりでいつも肩で息をするような、妙な息のつきかたをするネコだとは思っていた。
「先天的なものとは考えにくいです。おそらく、一度交通事故か何かにあって、内臓の位置がずれてしまったのでしょう。寿命もさほど長くない、と思われます」
「手術とかで治すことは……?」
「こういう場合、癒着がひどくて位置を直すのはまず無理です」
惨い話である。
よくも手当もされずに生き延びたものだ。人間への懐き具合からしても、元々飼われネコだったのだろう。
外飼いされていて事故に遭った。飼い主は帰ってこなくなったネコは家出したか、どこかで野垂れ死んだかと、探しもしなかったに違いない。
俺はそいつが妙に愛おしくなって、今後ずっと面倒を見てやろうと誓ったのだった。
ひいき目に見ても、そいつは可愛い部類のネコではなかった。
いくら食わせても骨の浮いた体は変わらなかったし、事故のせいか右後足が地面にちゃんと付けられず、いつも引きずっていた。
時々調子が悪くなって、瞬膜(ネコの目のところにある膜)が戻らなくなると、目つきも悪くなってしまったが、俺はソイツを可愛がった。
名前は「ペコ」お腹がぺちゃんこだったので、部屋に来た友人が「ぺんぺこりん」などと名付けたのだが、言いにくいので「ペコ」にした。
とても温和な性格だったが、頭も良かったのだろう。
トイレなど、教えるまでもなく自分で使ったのは当たり前として、朝、起こしてくれて学校に間に合ったことも一度や二度ではないし、落ち込んで帰ってきた時、そっと額を押しつけて慰めてくれたりもした。
寝ていると、いつの間にか布団に潜り込んできていて、日向の臭いのする頭を顔に押しつけてくる。なんだか、誰か人間と暮らしているような不思議な感覚だった。
俺は、毎日ペコの前脚を持ち上げ、体を縦にした。
そうすると、重力で少し内臓が下に降りてくるため、肺のスペースが空くらしく、息が楽そうになるのだ。
そうやっているうちに、少しずつ、少しずつ、ペコのお腹が普通のネコのようになってきた。獣医師は癒着している、などと言っていたが、内臓が降りてきているに違いない。
このまま内臓が元に戻れば、コイツも長生きが出来る。
俺はそんな風に思っていた。
そんなある朝。
やたらにペコがうるさい。また遅刻でもしたかと思って目覚ましに手を伸ばそうとしたが、そこで俺の手は何か冷たい、ぬるっとしたものに触れた。
何があったのか。
熱帯魚水槽の水漏れか?
一度も粗相したことのないペコだが、漏らしたか?
お風呂の水でも溢れたか?
そう思って眠い目をこじ開け、枕元を見ると…………ペコは股間から何か黒い物をぶら下げて歩き回っていた。
畳が体液と思しきもので濡れていて、黒い物体も濡れている。それが冷たく感じたモノの正体だったのだ。
寝惚けてはいたが、何が起こったかはすぐに分かった。
出産だ。
羊膜に包まれたまま、へその緒でぶら下がって引きずられている子猫は、ぐったりして動かない。
死産か? とも思ったが、とにかくなんとかしなくてはいけない。
部屋の隅に座りはしたものの、一向に自分で何とかする気配がないので、俺がハサミで羊膜を破り、へその緒を切ってやると、子猫はようやく少し動いた。
生きてる。
柔らかいタオルで拭いてやり、親猫の乳首に吸い付かせてやると、なんとか乳を飲み始める。
その頃には、新しい子猫なのだろう、股間から血の混じった灰色の塊が顔を出し始めていた。
それから一時間ほどかかっただろうか。結局、子猫は三匹生まれた。俺にすべての処置をやらせて、ネコはのんびりと子猫たちに授乳している。
言うまでもないが、お腹は元通りぺしゃんこだ。
ふくらんできていたのは、内臓が降りてきていたのではなかった。中に子猫が入っていたのだ。
ネコの妊娠期間は約二ヶ月。
おそらく、俺の部屋に来た時には既に妊娠していたに違いない。
だが、こんな瀕死の親猫が子猫を育てられるだろうか。相談に行くと、獣医師は驚いていた。
「いやー……したたかなもんだねえ」
したたかというか、タフというか、生き物の、そして母の強さを見た気がする。
乳の量が充分出ない可能性もある、ということで、俺は子猫への授乳も手伝った。
押し入れを彼等親子のために開放し、巣穴のように使わせた。
ノミが大発生したが、子猫に薬は使えない、とのことで、ノミ取り櫛でぷちぷち潰したり、離乳食まで作ってやったりして、ろくに学校にも行かないで世話をしたおかげで、子猫たちはすくすく元気に育ち、すべてもらい手が付いたのであった。
それから数ヶ月後。
別れは唐突に訪れた。
弱った生き物を放っておけない俺は、交通事故に遭った子犬を拾ってきてしまったのだ。
ケガをして弱った子犬だから、大丈夫かと思ったのだが、ペコはキッチンの上に飛び乗って、見たこともない形相で威嚇すると、あっという間もなく部屋を飛び出した。
そして、二度と帰ってくることはなかったのである。
ドアを開けっ放しにしてしまったことを後悔したが後の祭りだ。
皮肉な話ではあるが、ペコを保護していなかったら、子犬を拾おうなどとは思わなかったかも知れない。起こるべくして起きた事件だった、といえる。
あんなハンデを抱えたまま、どこに行ったのだろうか。したたかなペコのことだから、またどこかの部屋にぬけぬけと上がり込んで、幸せに暮らしたのだと思いたい。
ほんの一年弱の付き合いだったが、俺にいろんな事を考えさせ、支えてくれた、たった一匹のネコであるのだから。
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