第11話 餌金


 ワラジムシの項で、餌生物なるものが売られていることは書いた。

 なんとも惨い話だと感じられる方も多いだろう。なにも生きたまま食わせなくとも良いではないか、と。

 だが、生きたまま食わせようと、殺してから食わせようと、餌にされる側にしてみれば死ぬことに変わりはない。

 人間の食物の場合も同じことで、殺して食おうと、切り身を買ってきて食おうと、肉は肉、魚は魚だ。

 アサリの味噌汁を飲んだことがあるだろうか? 酒蒸しでもいいが、貝類は死ぬとすぐ臭みが出るし、陸上でも数日生きるほどタフなもんで、大抵生きたまま火に掛けられる。

 次第に熱くなる湯。

 力尽きて口を開けていく仲間たちの中で、逃げる手段もないまま死を迎える苦痛と恐怖。

 まさに地獄だ。

 だが、アサリだからどうって話でもない。

 切り身になっている魚も肉も、絶命の瞬間があったわけで、店頭に並ぶ前にそれが終わっているだけ。それぞれの死は、やはりそれなりに恐怖であり、痛みであり、苦しみであろう。

 動物は動くから、更に残酷感が増すのかも知れないが、考えてみればジャガイモや大根、キャベツなどにしても、まな板に乗るまで立派に生きている。


「植物は脳がない。だから痛みを感じないからええんや!!」


 という説を聞いたことがあるが、俺は賛同しない。

 昔は痛点がない、という理由で痛みを感じないとされていた魚類が、最近の研究では、どうやら痛みを感じているらしい、ということになったではないか。

 そもそも生きている以上、植物だろうがバクテリアだろうが、痛みやそれに類する苦痛を感じない生き物など存在しない、と俺は思っている。

 そうでなければ、生存に不都合な外的要因があった時、どうやって対応するのか?

 動物は逃げたり、反撃したり、傷口を庇ったりする。それと同様に植物は動けなくとも、葉を落としたり、休眠したり、体内の化学物質濃度を変更したり、樹液で傷口を固めたりして対応しているのだ。

 痛みというか「外的不都合要因」に気付くシグナルがなければ、そんなことが出来るわけがない。

 つまり、それが「痛み」であり「苦しみ」であるわけで、脳なんか無くともちゃんと感じているはずだ。おそらく、丸ごと茹でられるジャガイモも、すり下ろされる大根も、千切りになるキャベツも、ちゃんと痛みを感じているに違いない。

 しかし想像するだけでゾッとする。大根のように、生きたまますり下ろされたりしたら、どんな苦痛だろう、と思う。

 だが、いちいち野菜や肉に感情移入していたら何も食えない。やっぱり、大根おろしは焼き魚には必要だ。焼き魚定食を前に落涙して、大根の痛みを知れ!! などと叫んでみても何にもならない。

 だからって、いちいち謝りながら料理しても仕方がない。

 俺達に出来ることと言ったら、食事の前にはその命に感謝を捧げ、料理した、あるいは出されたものは食うしかない。そして残さず食い尽くす。

 あらま。それって、小学生の時から教えられてきたこと。そのくらいはやるべきかも知れないが、忘れている人も多いと思う。

 ファストフードのポテトだって、元は生きていたことを、感じながら食っているだろうか。

 碗底に残った飯粒は、種子として蒔かれていれば、生きていける一つの命だった。シラス干しなんか、ワンパックで何百、何千もの命の集まり。ラップにひっついていたからといって、一匹だって一緒に捨てるわけにはいかない。

 その程度の認識はあってもいいはず。そうすれば、少しは…………いやなんか話が違う方向へ向かい始めた。


 餌生物の話だ。

 そういうわけで、生きたまま与える餌も、俺的には容認しているが、無駄にしていいわけではないし、代用品があるなら代用品で済ませたい、と考えている。

 餌用に販売されている金魚、通称・餌金は、出来れば使いたくない餌の筆頭と言っていい。

 魚は釣るし食いもするから、偉そうなことも言えないのだが、大型魚に生きたまま呑ませるってのは、やはり少々キツイ。

 必死で逃げ回る姿も可哀想だし、昨今の配合飼料の方が栄養バランスは良いらしいので、べつに生きてなくてもいいんじゃね? とか思ってしまう。

 俺も餌金を使ったことがないわけではない。だが、ゆえあって一時的に保護したナマズとかウツボ、マニアから引き取ったポリプテルスなどに与えたくらい。

 それも導入当初は、早く食いつかせるために餌金で餌付けするが、違うものを食べるようならすぐそっちに切り替えていく主義だったのだ。


 ある時、スッポンモドキという大型の水生ガメを飼育していて、急に餌食いが悪くなったことがあって、食欲の回復のために様々な餌を用意した。

 本来は植物食性の強い雑食であるし、生き物を襲って食うような鋭さを持つ生き物ではないのだが、ネットで調べたところ金魚を好んで食べる個体もいる、とのことで、餌金を購入して投入。

 ザリガニや野菜など、他にも食いそうなモノを投入して様子を見たが、結果から言うと、このスッポンモドキはザリガニを好んで食べ、餌金には見向きもしなかった。

 俺は餌金をとりだし、別の大型水槽に入れておくことにした。彼等は死を免れたわけだ。

 だが回収後、数週間ほどの間にポツポツと死んでいき、十匹入れた餌金のうち、生き残ったは三匹だけとなった。

 当たり前だが、餌金は商品名で、本来は「和金」という品種の、フナに似た体型の金魚の子供なのだが、「和金」として高値で売れそうもない色や体型のものが餌用に回されるわけで、その扱いはよくない。

 要するに大型魚の水槽に入るまで生きていられればいいわけだから、ショップなどではぎゅうぎゅう詰めでストックされているため、ボロボロのものも多いのだ。

 よく三匹生き残ったものだ、とも言えるかも知れない。

 せっかく生き残ったのだから、その三匹はその後、普通に金魚として飼うことにした。すくすくと大きくなっていく餌金。

 ある程度以上金魚が大きいと、妙に驚く人が多いが、金魚はフナの改良品種だから、金魚の本来のサイズはフナと同じ。つまり、三十センチから最大で四十センチくらいになっても何の不思議もない。

 さて、十五センチを越えるくらいにまで育ってくると、もう食われる心配はなくなったこともあって、スッポンモドキと再び同居させることにした。

 とっくに配合飼料に餌付いていたスッポンモドキ水槽には、ゴミ掃除係が必要だったってのもある。

 ザリガニやエビは見つけると食ってしまうし、小さな魚も食うかも知れない。

だが、ある程度以上大きな魚は、スッポンモドキに害を与える可能性がある。

 食われない程度に大きい魚で、スッポンモドキに害をなさず、底をつついてくれるような、雑食性の魚というと、金魚くらいしか思いつかなかったのだ。

 金魚たちは俺の期待に応え、掃除屋として優秀な働きを示してくれた。

 スッポンモドキも健康。餌金たちも元気。とてもバランスの良い水槽になった。

 だがしかし。それはもう、五年以上前の話である。

 その三年後、妻の圧力に屈して飼育室を閉め、スッポンモドキは勤務先の巨大水槽に移すことになった。

 引っ越し先は暖房のない部屋であった。水槽用ヒーターで二十五度には保ったのだが、餌食いは一気に悪くなり、しばらくすると潜れなくなった。胸の辺りに空気が溜まってしまう、肺の病気特有の症状で、原因が「冷たい空気」だと分かった時には、手遅れだった。

 いくら水温が適温でも、呼吸する空気が冷たければ病気になる。そんな単純なことにも気づけなかったとは、まさに俺はアホだった。

 妻に急かされ三月いっぱいで部屋を明け渡さねばならなかったため、寒い中移動したことで、ちょうど繁殖に成功したばかりのインペリアルゼブラプレコなども死なせたりしたが、それだって自分のせい以外の何ものでもない。

 何が起ころうと、責任は飼い主。覚悟があるなら、家族を捨ててでも生き物を守るべきだったのだろうから。

 結局生き残った連中は、ほとんど友人に引き取って貰うこととなったが、カメ三種と餌金三匹だけは手元に残した。

 カメは屋外飼育が可能だったからであり、餌金の方は、体長二十センチ近くなってびゅんびゅん泳ぐ、ほぼ「赤いフナ」となった金魚を引き取ってくれる人など誰もいなかったからだ。

 三匹は雌雄いたらしくその後産卵までした。残念ながら、孵化した稚魚は育たず、ポックス病の悪化と転覆病で二匹が相次いで死んだが…………最後の一匹はいまだに元気に生きている。

 餌として生まれ、餌として使われながらも生き延び、五年の長きにわたり、水槽を一つ占拠しているこの金魚は、今や俺が最も大事に飼育している生き物の一つ。

 そろそろ、相方になる餌金を買ってきて、産卵に再挑戦しようかと思っている。

 俺が今、責任持って飼育できるのは金魚くらいだし、そんな餌金でいっぱいの大水槽を観賞用のためだけに置く、というのも、なかなか悪くない、と思うのだ。



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