第19話 ゴキブリ

 生物、というものは「可愛い」か、「カッコイイ」か、「美しい」かしかない。

 その割合は種によって違うが、他の感想が入り込む余地はない。

俺は常々そう思っている。

 これには根拠もある。生き物である以上、生命の輝きが必ずあり、意思の光が見える。それが「可愛さ」の根源であり、動きや仕草にそれは表れる。

 また、長い進化の過程で淘汰され、研ぎ澄まされてきた姿形。そこには、必ず洗練された機能美がある。これこそが「カッコよさ」であり、他種にマネの出来ないオンリーワンの力の象徴でもある。

 そして、この機能美の中に含みきれないものの中に、外界に向けての表現がある。異性へのアピール、親や他個体へのアピール、環境に溶け込み、あるいは強敵を模して捕食者を欺く擬態などだ。その特徴的な形態の中には、何の理由か解明されていないものすらある。これが「美しさ」だ。

 生物の評価を客観視に近づけていけばいくほど、これら三つの価値観以外の入る余地はなくなってくるはずである、と考えているのだが、どうだろうか?

 例えばネコは、「可愛い」が六十パーセント。「美しい」が三十パーセント、「カッコイイ」が十パーセントだ。これは平均値であって、子猫かどうか、オスかメスか、品種、個体の健康度によっても割合は変化する。

 ニホントカゲの場合はどうか。「カッコイイ」が五十パーセント。「美しい」が三十パーセント。「可愛い」は二十パーセント。といったところだろう。

 ダンゴムシならば「可愛い」が四十パーセント。「カッコイイ」が三十パーセント。「美しい」が三十パーセント。と、攻守にバランスのとれた選手と言える。


 怪我をしたり、病気だったりして、自分で生きられない生き物は、このバランスが崩れているのですぐ分かる。ネコのくせに可愛くなかったりしたら、それはどこかに問題がある、というわけだ。あくまで俺の主観にすぎないが。

 そして、そういうヤツを飼うことで、元のバランスに回復させるのは、宝石を磨く作業にも似て興味深い。これが俺が生き物飼育、という趣味から抜けられない理由の一つでもある。


 だが、例外もある。

 ゴキブリに関しては、残念ながらこの割合が思い浮かばない。

 「可愛い」も十パーセントくらいはあると思う。

 「カッコイイ」は三十パーセントくらいか。

 「美しい」も二十パーセントくらいは認めてもいい。

 だが、あとの部分はどうも思いつかない。べつに平気で手づかみは出来るし、一般的に言う「キモイ」「怖い」「汚い」などという感情はないのだが、あまり積極的に関わりたいとは思えない、俺にとっては希有な生物と言えるだろう。


 それはさておき。

 まあ、飼育したことはあるのだ。

 遡って小学生の時。教室に珍しくゴキブリが出た。女子はキャーキャー言って逃げ惑ったが、どうも動きがおかしい。

 どうやら、誰かに一撃食らって弱っていたようで、俺は易々とソイツを捕らえることが出来た。

 当時から変わった友人が近くにいた。それも複数。

 つまり、「飼おう」と言いだしたのは俺ではないのだ。それに賛同した友人も五、六人いて、俺達は嫌がる女子に命の大切さを説き、コイツに名を付けて牛乳瓶に入れて飼うことにしたのだ。

 付けた名前は忘れたが、ゴキブリは、結構すぐに回復した。だが、飼うこと自体は面白そうだとは思ったが、ゴキブリ自体に愛着が湧かなかったのは当時も同じであった。給食の残りなどを入れてやったりしていたが、一見しても劣悪な飼育環境を改善しようとは思わなかった。

 十日くらいは生きていただろうか。

 逃げ出すとイヤなので、ほとんどフタを開けなかったのだが、中で餌の残りがカビてしまい、これが致命傷だったらしく、彼(彼女?)はすぐに死んだ。

 その後も俺達は、教室にゴキブリが出るたびに何回かチャレンジしたが、やはりすぐ死んだ。不思議だったのは、他に教室で飼ってみた、アマガエルやダンゴムシ、ハサミムシなどよりも、ずっとヤワな生き物であるらしい、ということだった。

 扱いもあったのだろうが、とにかくよく死んだ。まあ、繁殖して学校中えらいことになっていたかもしれず、飼育が成功しなくて良かったとは思うが。


 それ以来、ゴキブリは飼育していなかったのだが、不思議なことが起きて、外国産種を飼わざるを得なくなった時期があった。そう、ここからは実話怪談である。

 以前に2ちゃんにも投稿したこともあるので、読んだことがある人もいるかも知れない。

 ごめん、それ、俺だ。


 十年ほど前のことだ。俺の住む地域を豪雨が襲った。

 そりゃもう凄まじい豪雨で、自宅から二キロほど離れた一級河川も氾濫し、床下浸水になった。

 乳飲み子だった長男を連れて避難した俺達は、実家に避難していたので助かったが、置いていった妻の車が水に浸かり、庭のウッドデッキが崩壊。

 物置に使っていた地下室は全滅で、鯉のぼり、海水浴道具、果実酒、サンドバッグなどが廃棄処分。

 土間と同じ高さだった飼育部屋はひどい有様になり、ストックしていたザリガニが家中に逃げて、ひどく怒られた。

 だが、持つべきものは友だ。高校時代の友人たちが手伝いに来てくれて、床下の泥を掻き出し、畳を上げて干してくれた。一ヶ月も経たずに住めるようになったのは、本当にありがたかった。


 そんなある日。

 風呂上がりに、俺が洗面所で歯を磨いていると、鏡の中、俺の背後に、黒く丸いものが表れた。これは「きゃっち☆あんど☆いーと」のウナギの項に書いた「黒いもの」と同じように、『見えなかった』。そう、黒いというよりはちょうど『見えない部分がそこある』といった感じで、風景が欠けているというか、光を一切反射しない、そういうヤツだと思って貰いたい。

 そいつがしゃべり掛けてきた……気がした。


(洪水で追い出されて、行くところがない。この家に住まわせてくれないか?)


 というような意識、だったと思う。

 これに、俺も声を出さず、頭の中だけで答えた。


(何ものかは分からないが、ここは生き物だらけだ。行くところがないならいればいい。だが、そんな姿でうろつかれても困る。ウチには小さい子もいるし……)


(我は、むしのしょう(←こう感じた)だから、そういう姿にならなれる)


(むし? 虫か。虫なら問題ないな。まあ、せいぜい可愛い虫に化けてくれ)


 黒いものは、すうっと消えた。もちろん、振り向いても何もいない。

 いったい何だったのか? たぶん、災害で疲れていたのだろうと思っていたのだが……なんと、その翌日から、いきなりゴキブリが家の中に現れるようになったのだ。

 それもほぼ毎日、キッチンに限らず玄関や廊下にまで、数匹単位で出てくるのだから始末に負えない。

 しかし、我が家は生ゴミ処理機を持っていて、生ゴミはすべて肥料化されてしまっている。しかも、あらゆる食い物はすべて冷蔵庫に入れる習慣だ。だから、キッチン周りではゴキブリの餌は、全くといっていいほど無いはずなのだ。

 むろん、俺の雑な管理下にある生き物飼育部屋なら、ゴキブリが生きていける程度の餌はあるだろう。だが、ここは鉄扉とサッシで密閉状態で、ゴキブリといえども出入りは不能だ。

 しかも、一度、中古で買った飼育ケージからチャバネゴキブリが繁殖し始めたことがあって、飼育部屋には、予防として常にホウ酸団子も置いてある。

 だから、何の理由もなく我が家にゴキブリが発生するようになるとは思えないのだ。

 俺ははたと思い当たった。

 あの、黒いヤツ。あれが『ゴキブリの精』だったのではないか。ということだ。

 証明のしようはないわけだが、対処法ならすぐに思いついた。霊的なものなら、別の生き物に憑かせてしまえばいいのである。

 だが、『虫の精』だとか言っていたし、出来れば同じゴキブリが良いだろう。そこで思い当たったのが、当時、トカゲ飼いの間で流行していた「餌用ゴキブリ」である。

 「デュビア」和名で「ハイイロゴキブリ」という、コイツは、外国産種で本来は乾燥地帯に住み、人家に住まず不潔ではない。植物質を主に食べ、乾燥に強い。しかも飛ばず、走らず、壁を登らない。

 しかも卵胎生で、子供を産んでばんばん殖えるので、トカゲの餌として養殖しておくのにもってこいだと評判だったのだ。

 何しろ、虫食いのトカゲは、一匹数十円のコオロギを、一度に十数匹も食うから、大所帯だと、一気に財政事情が悪くなるのだ。

 俺は、ペットの輸入業者をやっている後輩に頼んで、コイツを送ってもらった。

 そして寝入りばなに、頭の中で強く念じたのであった。


(聞こえているかおまえら。ゴキブリとは聞いてなかったぞ。俺はいいんだが、妻は殺虫剤とホウ酸団子を買い込んで、明日にも全滅させると息巻いている。殺されたくなかったら、俺の管理下に入れ。あの外国産ゴキブリに乗り移れ)


 翌日から。

 本当にその翌日から、キッチン周りからゴキブリの姿は消えた。

 苦肉の策でもあり、うまくいくかどうかは五分五分だと思っていたが、ヤツらも殺されるよりは、と考えたのかも知れない。

 デュビアは確かに飼いやすかったが、これも不思議なことに、大変よく食べる、と評判のヒョウモントカゲモドキが、コイツをいくら与えてもまったく食べない。咥えても吐き出すほどの嫌がりぶりだ。

 もしかすると、例の黒いヤツが宿っていたせいかも知れないが、そんなことはどうでもよく、役に立たないのに殖え続けるゴキブリを愛で続ける趣味もないので、送ってくれた後輩に、「殖えたよ」といって、全部送り返したのであった。


 そのおかげかどうかは分からないが、十年以上経った今も、我が家には一匹のゴキブリも姿を見せてはいない。


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