第18話 ゴイサギ
最初に書いておく。今回は特にグロ注意。
サギのコロニー、というものに足を踏み入れたことのある方はおられるだろうか?
コロニー、といっても宇宙空間に浮いている、巨大な筒状の人工構造物などではない。
サギという鳥は、同種、または数種で寄り集まって巣作りをする習性があり、その繁殖地をコロニー、と呼ぶのである。
サギのコロニーは、それはもう、凄まじい場所だ。
河川敷や低山、防風林などの、手入れのされていない林によく作られるのだが、巣と巣の間隔はだいたい平均で数m。同じ木の上下に作られている場合も多々あるので、本当にひしめきあうようにして、彼等は巣作りをするのだ。
その臭いと騒音はかなりなもので、新しくできたコロニーに近所から苦情が出て、市役所が出動、などという事態もあると聞く。
しかも、一種ではなく数種がごちゃ混ぜに巣を作る。
外敵の攻撃を分散するためか、若鳥が子育てを学ぶためかは分からないが、そういう習性がある、と覚えておいていただきたい。
当時、俺は『サギの会』、というサギの生態研究同好会に所属していた。
その地域で見られる、コサギ、チュウサギ、ダイサギ、アマサギ、ゴイサギの五種の生態を研究する会で、上記のコロニーと非繁殖期のねぐら、そして餌場の関係について、地道な調査を重ね、学園祭で発表などしていたのだ。
その会に片思いの子がいたことは、「きゃっち☆あんど☆いーと」に書いたが、その子が入会するきっかけというのが、道に落ちていたゴイサギの幼鳥を拾ったことだった。
どうしたらいいか分からず、俺達の学生寮に持ってきたのだが、俺はちょうどその時、車の免許を取るために実家に帰っていていなかった。
残っていたのは、野鳥の保護などしたこともない連中ばかり。
彼等がどういう処置をしたのか詳しくは覚えていないが、俺にしてみると「マズイ対応」の連続で結局死なせてしまったわけだ。
そのことに、彼女なりに責任を感じたのか、サギという生き物をよく知りたいと思ったのか、その辺は定かではないが、彼女は俺の所属していたサギの会に入会した。
非常に嬉しかった反面、俺は悔しくもあった。
もしその時、実家などに帰っていなかったら、幼鳥を救えたのではないか、そうしたら、彼女のヒーローになり得たのではないか、などと思ったからだ。
色々あって彼女が『サギの会』を脱会した後、俺は先輩に連れられて、初めてサギのコロニーに「潜った」。そう。密生した繁みを掻き分け、サギどもの喧噪と悪臭に包まれた空間に入り込む作業は、まさに「潜る」という表現がしっくり来る。
そしてそこは、まさに異界と呼ぶに相応しい場所だった。
白っぽい糞……まあ、尿酸なので正確には尿なのだが……が一面にぶちまけられ、羽毛、未消化物、飲み込めなかった魚、ヒナの死体などが散乱する、地獄のような空間なのだ。
「潜った」目的は、手の届くところにある巣の雛の体重を量ったり、吐き出された胃の内容物を調べたりすること。
ハジラミなどの寄生虫や、病原菌の可能性もある、ということで、俺達は全身カッパを着込み、防塵マスクをしての重武装。季節は五月末だから、本来の気温は暑からず寒からずだが、ほとんどサウナスーツを着て歩いているようなもんだから、完全に蒸し上がって汗地獄だ。
そんな中で、丸裸でうねうねトゲトゲした、ラクダのバケモノのようなサギの幼鳥を巣から取り出し、体重を量り、巣をマーキングし、吐き出されたドロドロしたものをアルコールの入ったサンプルビンに入れていくわけだ。
実にえぐい作業。これほどの悪環境の業務は、世の中にあまりないと思われるのだが如何だろうか?
そうやって一応の仕事を終え、帰ろうとして歩き出すと、目の前に佇む白い影があった。
コサギの幼鳥である。どうやら、巣から落ちてしまったらしい。
コロニー内には、そういう幼鳥はいくらでもいて、既に死んでいるものがほとんどなのだが、目の前に放っておけば死ぬ命があるっていうのに、見捨てられもしない。
コイツは割と元気そうだし、立って歩いているのだから、数日保護してやれば巣立つだろうと、軽い気持ちで拾い上げた。
「おい、はくたく、そんなモン持って帰るのか?」
露骨にイヤそうな顔をする先輩。
まあ、そりゃそうだろう。先輩にしてみれば、糞だらけの俺達だけでなく、死にかけのサギのヒナまで車に積まねばならないのだから。
「すんません。どうも、放っておけなくて」
そう言って、なんとか許可を得、学生寮に持ち帰った。
だが、帰り着いてびっくり。コイツを抱いていた俺の腕に、大きなウジ虫がウジャウジャと貼り付いていたのだ。
よく見ると、鶏肉でいうモモのあたりに小さな傷があり、そこからどんどんウジ虫がこぼれてくる。
いくら消毒液を塗っても出てくるので、仕方なく傷を切開してみて驚いた。
元気そうなのは見た目だけ。このコサギの幼鳥は既に、皮下をウジ虫に食われていたのである。いくらピンセットでつまみ出しても出てくるウジ虫。
結局、その幼鳥は数時間で、あの世へ旅立ってしまったのであった。
さて。
俺はどうにも腹の虫が治まらない。
なんというか、「負けた」感が強化されてしまったのだ。
ゴイサギを救えなかった、片思いの彼女。
ウジ虫に食い尽くされた、コサギの幼鳥。
これはもう、リベンジしなくては前に進めない、という気がした。
そして、今度は調査ではなく、「ヒナを拾うために」俺はサギのコロニーへ潜ったのであった。
その気になって探せば、落ちているヒナなどいくらでもいる。
だが、可哀想だが今度は、外傷のあるヒナは避けた。
そこそこ成長していて、完全に羽毛の生えそろったヒナは連れ出し、コロニー外の枝に止まらせてやる。まあ、コイツらは巣立ち失敗個体だから、すぐ飛べるようになるだろうという判断だ。
狙いはまだまだ成長していなくて、ケガのない、うぶ毛ポワポワのヒナだ。
しかしそういう視点で探すと、なかなか合格点のものは少ない。結局、そういうゴイサギのヒナをようやく三羽探しだし、持ち帰ったのであった。
アパートは六畳一間だった。
風呂付き、トイレ別、キッチンは少し広め、という優良物件である。
むろん、イヌ、ネコの回で書いたが、ペットは禁止だ。しかしこれは緊急避難かつ野生生物であってペットでは決してない、と勝手な理屈を付けて、俺はゴイサギのヒナを飼育し始めた。
とはいえ、どうやって飼育したものか。
コイツら、皿状の巣にいて、周囲に白い糞をぴゅーぴゅー飛ばす。そういう習性なのだ。
段ボールなどでは落ち着かずに出てしまうし、こう糞を飛ばされては人間が生活できない。
で、悩んだ末にアイデアを思いついた。
六畳間では、いくらなんでも飼えない。ならば、風呂場で飼えばいいのである。
風呂場なら、いくら汚されても洗えば済むし、なにより換気扇付きで臭いがこもらない。巣の代用はカサを逆さにして使用した。
つまり、こうである。
フタを閉めた風呂桶の上に、逆さにしたカサを置き、その中にタオルを敷いてサギのヒナを置いてやる。
ヒナは巣と似た形状のカサの中からは出ようとせず、周囲に飛ばした糞は、俺が入浴する際に洗い流す。
俺が入浴する時には、ヒナはキッチンに出すが、その間にする糞くらいは大したことはないのだ。
あとは餌。俺は、手に入れたばかりの中古のスクーターを飛ばして、ドジョウを買いに行った。
幸いなことに、淡水魚の漁業権のある湖が近くにあったので、ドジョウだけでなく、様々な小魚が手に入る。雛たちの口をこじ開け、生きた魚を入れてやると、待ってましたと呑み込んだ。
だが、三羽もいるとすごい食欲だ。せっかく買い込んできた魚も、一日で食べ尽くしてしまう。
財布の方もキツかったが、スクーターを全速力で走らせて三十分以上の距離だったからこれもキツイ。俺は、周囲の水田や用水路を巡って、カエルやザリガニも餌のバリエーションに加えていった。
ヒナは慣れてくると、昆虫やパックの小アジなんてものも食べることが分かってきた。
こうなると俄然、飼育は楽になる。俺はなにか行動するついでに、サギの餌を確保するクセが付いた。
そんなある日のことである。
サークルのミーティングがあった日の夜、食事の後サークルの仲間たちとホタルを見に行ったついでにも、俺はホタルそっちのけで、街灯に集まる昆虫やカエルをせっせと捕獲した。もちろん、サギの餌のためだ。
ところが、みんなでサークル棟に帰って来て解散、という段になって、車を出してくれた先輩が、ゴイサギのヒナを見たいと言い出したのだ。六畳のアパートでそんな巨大な鳥を飼っていることに、興味を引かれたらしい。
もう、夜の一時を回っていたと思うが、学生なんて二十四時間営業だ。先輩の頼みでもあり、むろん快くOKしたが、ひとつ問題があった。
スクーターのガソリンが切れかかっていたのである。
どのくらい保つかは不明だが、明日、学校に行くまでにはガソリンを入れておかねばならない。俺は先輩に捕獲したカエルや虫を預け、自分はスタンドへ寄ってから帰る旨を告げて、サークル棟を後にしたのであった。
さて。スクーターのガソリンは、なんとスタンドの数百メートルも手前で切れた。
エンジンが止まってしまったスクーターは、何の役にも立たない上に重い。
俺は大汗を掻きながらも、必死でスクーターを押した。先輩を待たせるわけにはいかないから、相当気持ちが焦ってもいたのだ。
深夜、辺りの静まったスタンドの灯りだけが煌々と輝いていた。やっと辿り着いて汗だくになりつつ、スタンドの溝を越えた。
俺の記憶はここまでである。
気がついた時。俺は集中治療室のベッドの上だった。
記憶がないのに、何が起きたかは理解している、という奇妙な感覚。そう、俺は車にはねられたのだ。
ガソリンを入れて慌てて発進した俺は、信号無視で突っ込んできたRVと激突。
しかも相手は飲酒運転だった。
目撃したスタンド店員によれば、俺はRVのバンパーに跳ね上げられて地面に叩き付けられ、スクーターは火花を散らして数十mも路面を滑っていったというから恐ろしい。
驚いたことに、はねられてからすでに三日が経過しているという。
憔悴しきった家族の顔は、意識の戻った俺を見ても、まだ晴れない。それも道理で、肝臓、腎臓、肺など複数の臓器から大量出血。いつ死んでもおかしくない状態だったようだ。
しかし、俺はなんとか一命を取り留めた。そればかりか、今は大した後遺症もなく、元気に暮らせているのは、運が良かったのだろう。
まず運ばれた病院が良かった。
俺の一ヶ月後に、同じようにはねられた学生がいた。俺の運び込まれた総合病院が一杯だったために、某記念病院に運ばれたのだが、俺よりはるかに軽傷だったにも関わらず死んだ。
また、ありがたかったのは、大きな骨折が一つもなかったこと。
頭蓋骨、肋骨、腰骨、膝、右拳など各所にヒビは入っていたものの、治療が必要なほど折れてはいなかった。
数年後に骨粗鬆症の検査を受けてみたら、なんと『固すぎて測定不能』であったので、それも納得、というところだ。ちなみに、九十二歳で死んだ婆ちゃんの遺骨は、ハッキリ形が残っていたから、つまりDNAの力なのだろう。
それと、デブだったのも良かった。
例の失恋でヤケ食いを繰り返し、九十キロを越える状態(今は七十五キロ)だったのだが、大量の皮下脂肪がクッションになってもくれたらしい。
これはつまり、彼女のおかげだったのだとしておこう。
皮下脂肪は、その後の治療生活でも役立った。なにしろ、それから三ヶ月間、一切口から食物をとれず、点滴だけで生きたからだ。
原因は外傷性の急性膵炎であった。主治医の治療方針が、手術はせずに内臓を働かせないことで、治癒を待つ、というものだったから、口からは水も飲ませて貰えず、運動すら制限されてかなり苦しんだ。
栄養点滴中は不思議なもので腹など空かないのだが、食えないのはつらいものだ。
不思議なもので、TVでグルメ番組をやっていたりしても大して実感は湧かない。しかし隣のベッドのオッサン(糖尿病)が、看護師の目を盗んでカップ麺を食べていたりすると、香りが漂ってきてかなりキツイ。
夢の中でもそうで、クリームパンや柿ピーなど何でもない食べ物を口いっぱいに頬張る夢を見たりする。安っぽい好物の方が、食えないのはつらいのだ。
さらに、加害者の会社員Aだが、俺が何も食えずヒマなので漫画でも差し入れしてくれというと「美味しんぼ」全巻などというのを古本屋でチョイスしてきたりする無神経さ。
まあ、他に色々差し入れしてくれた本の中の、一つに過ぎなかったが。
話が逸れた。
入院生活は入院生活でいろいろあって、片思いの彼女(既に彼氏アリ)が何度か見舞いに来てくれたり、深夜TVを見ていて看護師に取り上げられたり、激やせしたおかげか巨乳で可愛い看護師見習いさんに、なんとなく気に掛けてもらったりしたが、それは別の話なので割愛する。
で、事故のあった当日、どうなったかというと、携帯なぞ普及していなかった当時だから、先輩はアパートの前で二時間ほど待って、仕方なく帰ったらしい。
ドアの横の洗濯機に、俺の預けたカエルや虫を入れて。
翌日、事故の一報を聞いて慌ててやって来た母は……卒倒しかかったらしい。
風呂場は白い糞まみれで、ゴイサギのヒナ(すでに成長サイズ)が三羽。
万年床の六畳間は水槽だらけで、熱帯魚が十数種、ヒョウモントカゲモドキやカミツキガメなど、異様な爬虫類も数種。
洗濯機の中にはぐったりしたカエルたち。
近所のネコも、当たり前のように部屋に上がり込んでくる。
「いったい、どういう生活を送っていたのか」
とは、海外出張からとんぼ返りで戻ってきた父の言葉だ。
どういうもこういうも、見た通りの生活だったわけだが、まあ、普通の人間の生活ではないわな。
ゴイサギのヒナ、というか幼鳥は、親友の一人が引き取ってくれて、四苦八苦しつつも俺と同じ飼い方、つまり風呂場を占拠される方法で飼いきり、無事に巣立たせてくれたらしい。
ちなみにこの男気のある友人は、拙作「巨獣黙示録G」の、小林というキャラのモデルでもある。汚い外観と眠そうな目、熱い魂を合わせ持った、男と書くより漢と書くのが似合うヤツなのだ。
彼のおかげで、ゴイサギも立派に巣立ったわけだが、結局、尻切れトンボな終わり方をしたことで、消化不良な気持ちはいつまでも残った。
だが、心残りはあっても、二度とわざわざ拾いに行ってまでゴイサギを飼おうとは思わない。
風呂を利用するのは画期的な飼い方だと自負してはいるが、今やったら、妻にサギもろとも殺されかねない。なにより、またそういう事故に遭うんじゃないかと縁起を担いでしまうからだ。
まあ、それでも落ちていたりしたら、やはり拾ってしまうのだろうな。
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