第25話 ミミズ

 毎朝、犬たちを散歩に連れて行くのがオレの日課だ。

 犬たちは、小屋の外でないと用便しないものだから、何があろうと絶対に散歩には行かねばならない。そりゃもう、雨や風どころか、台風が来ようと歩行不能なほど雪が積もろうと、絶対に、何がなんでも散歩には行かねばならないのだ。

 生後一年と数ヶ月の若犬二匹。

 十キロ前後のさして大きくはない体格でも、二匹に全力ダッシュされると、ほとんど制御は効かない。毎朝、人間犬ぞり状態となって四~五キロメートルは走らされることとなる。

 おかげで八十七キロあった体重は十キロ近くも減り、七十五キロ前後で推移中。この夏の暑さのせいか、さらに減少傾向なのは、健康に良いのか悪いのか分からないが。

 さて、散歩コースは、近所を流れる一級河川の河川敷が主である。

 遊歩道が整備されていて、散歩やジョギングの人影も多い場所で、春先から秋の暖かい時期には、色んな生き物も観察できるので、好きな場所でもある。

 春先には桜並木に花も咲き、盛夏の時期にはセミ、キリギリスの声も聞こえる。秋から冬には水鳥も飛来して、カルガモ、オナガガモ、コガモ、ヒドリガモなどカモ類。ゴイサギ、アオサギ、チュウサギ、カワセミ、カワウも来る。

 だが、散歩していてもっともよく目に付くのは彼等ではない。

 表題のミミズなのである。少し湿度のある朝に、それはよく見られる。

 舗装された遊歩道上に、うねうね蠢く、あるいはすでに干涸らびてしまったミミズたちの群れ。

 地中にいればいいものを、何が悲しくてわざわざ地上に出てきて干涸らびねばならないのかは分からないが、早朝にアスファルト上で瀕死になっているのだ。

 べつに放って置いても構わないのだが、もう少し日が昇れば間違いなく全滅だ。

 ……俺の手には犬用のウンコバケツがある。

 ウンコまみれになるのと、干涸らびて死ぬのと、どっちがいい? などとミミズに問うてみたところで答えが返ってくるはずもないが、死にかけの生き物を放置するのはなんとなく寝覚めが悪いので、出来る限り拾ってやることにしている。

 だいたい一日あたりは数十匹。少ない日は数匹だが、百匹近く拾う日もある。

 持ち帰ったミミズは、そのままウンコごと堆肥置き場に入れ、かき混ぜて、上から散水してやる。ほとんどが瀕死であるから、そのまま死ぬヤツも多いだろうが、生き返るヤツも少なからずいるようで、これをやり始めてから、我が家の庭はミミズの密度が急激に上がった。

 落ち葉や生ゴミ処理物、犬糞を積んだ堆肥が彼等の餌となっているのは間違いなく、ゴミ山がどんどん小さくなる。しかも、それを庭中に運んでくれているらしく、庭の緑が目に見えて濃くなった。

 生育が旺盛になりすぎて、妻は剪定回数が増えたと怒るが、庭木が枯れたりするよりはよほどマシだ。なにしろウチの庭は、最初に造成した土が瓦礫混じりの山砂で、最初に植えた庭木が数本枯れかけて、慌てて根元の土を替え、肥料や水を与えて回復させた経緯もある。

 その当時に比べれば、庭の土のポテンシャルは飛躍的に向上していると言っていい。

 今年の夏など、生ゴミの中から出てきたスイカの芽が生長し、中玉一個を収穫できたが、糖度十二度(推測)の極めて美味なものだった。

 これも、河川敷から回収してきたミミズたちの働きが大きいであろうと思う。犬糞と生ゴミからできたスイカだと、家族は気味悪がって食わなかったので、結局俺一人で平らげたわけだが。


 こんなふうに、庭で放し飼い(?)にするには、ミミズは簡単で、かつ有用でもあり、生物初心者にもオススメできるパートナー生物なのであるが、ひとたび水槽やケースで飼育しようとすると、これがどうもうまくいかない。

 まず、なかなかおとなしくケース内に落ち着いてくれないのである。

 とにかくよく脱走するし、脱走しないようにきっちりフタをすると蒸れて死ぬ。温度条件や湿度、あと通気性に敏感なのだ。

 考えてみれば、本来の生息地である河川敷ですら、わざわざアスファルト上に出てきて干涸らびるくらいだ。プラスチックのケースや水槽が不満だという彼等の気持ちも、分からないではない。

 それでも、シマミミズならばケース飼育も可能ではある。

 飼い方の基本はカブトムシ幼虫と同じ。中プラケに昆虫マットや腐葉土のような腐植質を入れて湿らせ、そこにミミズを放つのみ。ミミズはこの腐植質を食べるわけだが、やはりよく逃げ出すので、プラケのフタに新聞紙を噛ませておく。あとは一定温度、湿度条件にしておけば、その中で繁殖もする。

 要するに、カブトムシ幼虫と同じ飼育法である。

 この方法を確立できたのは、単にカブトムシ幼虫の飼育を失敗して、死なせたまま放置しておいたらミミズが殖えていた、という偶然の結果による。

 シマミミズそのものは、飼って面白い生き物ではないが、肉食魚の幼魚やカメの子供の適当な餌に困った時に、かなり重宝した。

 ただ、シマミミズは毒成分を持っていることが知られていて、シマミミズオンリーで生き物を飼育するのは、どうもよくないらしい。

 そこで、餌用にきちんと飼っておきたいのが、いわゆるドバミミズとなる。

 いわゆる、と書いたのは、ドバミミズには数種類のミミズが含まれるからで、フツウミミズやヒトツモンミミズ、シーボルトミミズなどの俗称なのである。

 実際、散歩中に拾っていても、明らかに種類が違う、と分かる連中が混じっていて、季節や状況によって、その出現割合も微妙に変わる。

 たとえば、春先には細長くて小さめの種類が多く、盛夏の炎天下には大型の寸詰まりの種類が多い、などといった感じだ。

 餌にする分にはどの種類でも問題無さそうだが、こいつらはどうも一筋縄ではいかない。何しろ、もともと住んでいるのが腐植質の中ではなく土の方らしいのだ。

 つまり、地下深い方の土中に巣穴を持っていて、そこから腐植質の方へ食事に出向いてくる、という生活を送っているらしいから、腐植質だけケースに入れておいても、調子が悪くなってきて死ぬわけだ。

 しかも、腐植質の下の土の中ってことは、シマミミズとかより深い場所に住んでいるわけで、低温かつ一定温度が好きなのであって、高温だとこれまたあっさり死ぬ。


 結局、これまで何度か飼育にチャレンジしてみたが、どうもうまくいかずに死なせてばかり。

 だが、べつにミミズでなくても餌はいっぱいある。

 なぜそんなにもドバミミズを飼育したかったのかといえば、ひとつの理由があった。それは、ミミズ専食の美しいヘビがいるからで、これを長期飼育するのが俺の夢だったからだ。

 「タカチホヘビ」というのだが、その神秘的な名前といい、落ち着いた深みのある色彩といい、背中に密に敷き詰められた黒真珠のごとき鱗といい、実にいい。

 しかも、ほぼ地中性でミミズばかり食べている、というこの生態も飼育欲をくすぐる。

 コイツをいつか飼育してみたい。そのためにはミミズをちゃんと飼育できる技術を身につけておかねば、という……まあ、興味ない人から見たらアホか、という理由なのである。

 失敗を繰り返した結果得られた、これまでの成果は、

1.ミミズ採集は肌寒いくらいの時期に行い、冷やした状態で運搬すること。

2.通気確保のために木で飼育箱を作ること。

3.飼育箱は衣装ケース並みの大きさにすること。

4.箱の底には赤土を敷き詰めること。

5.そこへ腐葉土を乗せて餌とすること。

6.エアコンで室温を二十五度以下に保つこと。

 などが分かってきた。

 しかし困った。1~5まではよかろう。なんとか趣味の範疇で出来る。だが、最後の6は…………とてもではないが無理だ。

 どんだけ電気代かかるんやっちゅうねん。

 しかも考えてみれば、タカチホヘビ自身もミミズと同じような場所に生息しているわけで、長期飼育を目指すのであれば、おそらく適正温度は二十五度以下。

 そういうわけで、今のところミミズ飼育は中断している状況だ。

 だが、よく考えてみると、べつにエアコンをかけずとも、ミミズ本来の生息場所である地下なら、温度は常に適正であるはず。

 幸いにも、我が家には使っていない地下室がある。もともと物置だったのだが、豪雨で水没して以来、大事なものを片付けておけなくなったからだ。

 つまり、年中一定温度で誰も足を踏み入れない空間。

 ここなら……妻の目を盗んでミミズを飼えるはず。たぶんタカチホヘビもここで飼えば大丈夫。見つかった時は地獄だろうが、まあ、浮気とかではないから離婚沙汰にはならないであろう、と希望的観測。

 野望は諦めないから野望なのだ。

 散歩のミミズ拾いなど序章に過ぎない。

 ミミズマスターに俺はなる。



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