第24話 ヤゴ
息子は昆虫マニアだ。
特に今は蛾マニアで、中でもスズメガやヤママユガといった大型蛾が大好きである。
だが、そうなる前はカブトやクワガタはもちろん、カミキリムシ、セミ、カメムシ、ハチなど、あらゆる昆虫を採集しては、標本にしたり飼育したりしていた。
トンボももちろん好きである。水生生物の観察会でヤゴが採れると、喜んで持ち帰ったものだ。
ヤゴ、すなわちトンボの幼虫の総称で、ほとんどの種類は水中に住む。
小学生が持ち帰っても死なせるだけなのになあ……と、思いつつ、それも経験だと思って放って置いた。俺も子供の頃、何度かヤゴを飼おうと試みたものだったが、一度も成功したことがなかったからだ。
何故かというと、ヤゴは肉食のクセに獲物を捕らえるのがヘタなのだ。
彼等の多くはいわゆる待ち伏せ型である。泥や枯れ草と同じような色彩を利用して水底に潜み、じっと待つ。そして折りたたみ式の素早く伸びるアゴで、泳ぐメダカもさっと捕らえる……とされているが、これがどうも意外に鈍い。
中型プラケに入れ、数匹メダカを泳がせておいたくらいでは、いつまで経ってもメダカは減らない。そのうち腹を空かせたままポツポツ死んでいくわけだ。
ヤンマ系の終齢幼虫なら、体内に残ったエネルギーで羽化までいくことはあるが、それでは飼育したことにならない。
そういうわけで、俺の中では「ヤゴは簡単には飼えない」生き物にランクされていたのであった。
ところが、秋口に捕まえた息子のヤゴは、一ヶ月経っても二ヶ月経っても、何故か死なないようだ。
不思議に思ってのぞきに行くと、脱皮して明らかに大きくなりつつある。
放置のつもりだったから、中型どころか小型のプラケに入れている上に、エアレーションもしていないのに、である。
しかも浅い。一センチあるかないかの水深にしていて、水草も何も入っていない。これでは水質管理もおぼつかないだろうと思われた。
それに、息子が一人で動ける範囲にメダカはいないし、買ってやった覚えもない。むろん、プラケにメダカの姿もない。だが脱皮して大きくなりつつある以上、何か食べて育っていることに間違いはない。
ただ生きているのではなく、この飼育環境が正しいということなのだ。
「おい……コレ、どうやって飼ってんの? 餌は?」
「…………クモ」
「ハァ?」
「クモとか、ワラジムシとか……ミミズとか」
陸上生物かよ。
なるほど、それで合点がいった。
べつに、水生生物にこだわる必要はなかったのである。生きていて、目の前で動きさえすれば、それにヤゴは反応する。
水深を浅くしたことによって、水面近くにいられるから水中の酸素量はエアレーションしなくても充分となる。
しかも、水面に浮いて暴れるクモや虫は、ヤゴの射程範囲となる。
メダカと違って素早くないから、確実に捕獲できる。
俺は、大げさなセットにして水深をとり、元気なメダカを入れていた。つまりヤゴの射程範囲に獲物が来なかった、というわけだ。たまに射程内に来ても、元気なメダカは素早い。とても捕まえられはしなかったのだろう。
「なんかね。ワラジムシとクモの食いが妙にいいんだ」
ハサミムシやヤスデ、ナメクジ、ハエなど、様々な虫を試してみたのだという。
だが、クモとワラジムシ、あと細くて小さいミミズにもっとも良く反応したということらしい。それで、俺は膝を打った。
「そうか。コイツらの野生下での餌も……魚じゃないんだ」
考えてみれば当然だろう。ずっと水底にいるヤゴが、抜群の遊泳力を誇る魚類を捕まえている、と考える方がおかしい。水中にだって、底を這う生き物がたくさんいるわけだ。
中でもおそらく、ワラジムシそっくりの『ミズムシ』や、クモとよく似た印象の他種のヤゴが捕獲しやすいのであろう。その他にはイトミミズ、ユスリカの幼虫など……と考えると、そいつらと動きのパターンが似たクモやワラジムシによく食いつくのは、偶然ではあるまい。
そういった論理的推測のもとにやったことではあるまいが、何も教えていないのに、またどこにも書いていないのに、その飼い方にたどり着いたことは、我が息子ながら感心する。
翌年の初夏。息子の飼っていたヤゴは、立派なギンヤンマとなって巣立っていった。
基本が分かってしまえば、応用はいくらでも出来る。
翌年には、ウスバキトンボという小型種のヤゴを羽化させた。
同時に飼い始めた流水性のコオニヤンマは失敗したが、これは仕方がない。おそらく餌の問題ではなく、水質と溶存酸素量が足りなかったのだろうと思われた。
よって今年、俺は同じ流水性のコシボソヤンマにチャレンジして成功した。
なんのことはない。水槽にエアレーションはしてやったが、水深は数センチにして、餌は千切ったミミズを目の前に落とすようにしてやっただけだ。
念のためと思って、一緒にメダカやタナゴの稚魚、ヌマエビなどを入れておいたが、昔試した時と同じで一匹も減らなかった。
要はヤゴが捕獲しやすい、のろまな活き餌を与えるのに尽きるわけだ。
おそらく野生下では、かなりの高密度で生息している生物を餌としているのではあるまいか。餌がなければ共食いもするのかも知れない。
何にせよ、ものの本では、メダカだの、アカムシだの、イトミミズだの、ボウフラだのと、地域や季節によっては入手しにくいものばかり列挙されているわけだが、その既成概念をいとも簡単に壊してくれた息子には感謝である。
もし、そういう餌が問題で、ヤゴの飼育を諦めていた方がおられたら、ぜひ試してみていただきたい。
まあ、どんなヤゴでもクモやワラジムシを食うかは不明だが、いろんなモノを試してみればいいのである。案外、もっと簡単に手に入る、変わった餌が見つかるかも知れない。
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