第32話 ゲジ
こいつも嫌いな人の多い生き物であろう。
長く無数の脚を持つその見た目を生理的に嫌悪する人は、俺の身の回りにも多い。一番身近なのは俺の妻で、家の中で妻が発見するとさっさと殺してしまうのである。
俺か息子がいれば、指でつまんで外に出す。
せっかく暖かい家の中に入ってきたのに、寒空の下放り出すのは気が咎めるが、殺されるよりはマシだろうと思う。
そう。嫌われるポイントの一つに、家の中に入り込むという習性があるのは間違いない。
あんな脚をしているから、邪魔になって小さな隙間を通れそうもないと思うかも知れないが、さにあらず。長い脚を丁寧に折りたたみ、狭い隙間をくぐり抜けるのも得意なのである。だから、いつの間にか家の中にいる。そして壁や家具の後ろを這い回り、たまに人間の目に触れて悲鳴を響かせるのだ。
直射日光が嫌いで、本来は樹洞や洞窟のような暗く一定温度で湿った場所に住むのを好む彼等。ならばそっちにずっといろ、と嫌いな人々は思うのかも知れない。だが、人間の住居は洞窟の条件と酷似しているのも事実だ。
住居内なら直射日光を避けられるのは言うまでもないが、夏はクーラー、冬はヒーター、しかも適度に湿度を保つから乾燥しすぎることもなく、ゴキブリやクモといった餌となる生物も多いわけで、まさに洞窟と同じ条件といっていい。
特に湿気の多い床下は、彼等の好適な生息環境である。掃除や修繕のために床下に潜り込んでみて、初めて彼等が大量に生息していることに気付き、卒倒しかける人もいるだろう。
もう一つの嫌われポイントは素早さだ。無数の脚を動かして影のように音もなく壁面を移動する姿を、かっこいいと思えるならかなりの強者かも知れない。
とはいえ、俺的にはヤスデよりはコイツの方がかなり好きだ。
噛まれれば痛いらしいが、牙は小さい。そもそも大した毒もないし、性質も穏和。一本一本とても繊細なその歩脚は、よく見ると縞模様が入っていて実に美しい。これを規則正しく波打たせるように動かし、滑るように動く姿には、一種芸術的な美を感じてしまう。
コイツは自然界では洞窟や樹洞だけでなく、石の下や倒木の下にもいる。
そしてそういうところへ迷い込んでくる昆虫などを食べる。ガツガツしていないのだ。そういう習性も奥ゆかしいと感じる。
俺の住む日本海側にはいないが、太平洋岸にはオオゲジという大型種がいて、これがまたゲジ以上に大変な嫌われ者だ。
そのサイズがすごい。歩脚を広げても数センチ内外のゲジの数倍。大きな個体は歩脚を合わせれば二十センチ以上はありそうに見える。こんなこと、彼等の住む地域の人々には言うまでもない話だろうが、見たことのない地域の人にとってはまさに怪物だろう。
残念ながら俺の住む地域にも生息していないが、何度か見たことはある。そして、何度見ても惚れ惚れしてしまう、見事な生き物なのである。
もちろん飼育するならこちらの方がやりごたえがあるのは言うまでもない。
しかし、出会えた回数の割に生きたまま持ち帰れたことは少ない。というのも、まず大きな障害になるのが同行者の反対なのだ。生き物に相当理解のある人でも、オオゲジを飼うために持ち帰るというと大反対するのが常なのである。
べつに俺が何を飼育しようと知ったこっちゃないだろうに、大抵の人は反対してくるのだ。そこをなんとか説得して捕獲しても、捕獲のダメージや移動中の温度変化などであっけなく死ぬことも多い。意外にデリケートな生き物でもあるのだ。
十数年前。まだ独身だった時に千葉県の山中で遭遇した。その時は同行者の反対も少なく、持ち合わせたプラケが空いていてうまく持ち帰れたが、これが俺の唯一のオオゲジ飼育経験となった。
当時俺はクワガタにハマっていて、部屋は無数のプラケで埋め尽くされていた。 その中の一つにオオゲジを収容し、飼ってみることにしたのだ。
オオゲジはその見た目の図体の割に、本体となる体は小さい。だから狭いところでもうまく脚を折りたたんで落ち着いた。プラケは小さかったが、そのままで充分キープできそうだった。
しかもあんな脚を持っているクセに温和で、それほど動かない。
放っておくと、いつまでもケージの隅でじっとしている。これが環境に慣れないせいなのか、そもそもあんまり動かない生き物なのかは分からなかったが、動きを見る、という点ではそう面白い生き物とは思えなかったものだ。どちらかといえばその姿形の美しさを愛でるタイプの生き物だと思うが、これを美しいと思う人が少ないのが問題なのだな。
さて、彼はサイズに見合わぬ細やかな神経を持っていて、餌をなかなか食べなかった。
最初はミルワームをやったが見向きもしない。何度か色々なものを試してみて、ようやくまだ小さなヨーロッパイエコオロギの幼虫に餌付いた。
しかも後ろ脚を取ってやらないと食わない。食うところも見せたわけではなく、翌朝には消えていて食いカスがあるという状況であった。
しかし食べ始めると意外に大食漢で、一日おきくらいに小コオロギを数匹消費する。しかし、小さなコオロギはコストパフォーマンスが悪いのだ。せっかくヤモリやトカゲ用に殖やした小コオロギを、こうも消費されると彼等が飢えてしまう。そもそもこれだけでかいオオゲジだ。成虫だって食えるだろう、成虫ならば小コオロギの数倍の体重があるから、一匹で済むはずだ。そう思って大きなコオロギを入れた翌日、彼はコオロギの反撃にあってあえなく食い殺されていたのであった。
なんで自分の大きさの十分の一にも満たないコオロギに反撃されて、あえなく死んでしまったのか。あの禍々しい姿形から考えても、まさかコオロギごときに負けるとは思わなかったのだが、実はこれは俺のミス以外の何ものでもない。
餌用に販売されているヨーロッパイエコオロギってやつは、相当凶暴な面があるのだ。素早いし噛み付くし、見た目以上にタフだ。
一度など、コオロギが自分より小さなコオロギを襲って食う場面に遭遇してしまったこともある。
樹上性のトカゲを飼っているテラリウムに餌として入れたところ、食い残したらしく住み着いた。トカゲは元気に餌を食っていたが、このコオロギだけは素早いらしく、なかなか食われず生き続けていたのである。だが、コオロギの餌などやっていないのに彼は元気だ。いったい何を食って生きているのかと思っていたら、入れたばかりの小さなコオロギにガバッと襲いかかって食い殺したのである。その動きはまさに捕食者のそれであり、慣れた動きでもあった。
与える際にもう少し弱らせるなどの工夫をしておけば、オオゲジを殺されることはなかったのではないかと思う。それと、入れ物にしていた小プラケがまた良くなかった。
オオゲジは壁面を自在に動いて獲物を捕らえるのだから、もっと大きなケージを用意しておけばそもそもコオロギの攻撃など届かないのだ。そうしておけば、相手が成虫のコオロギであってもおくれを取るようなことはなかったかも知れない。
そんなわけでほんの一ヶ月ほどしか飼育できなかったことが大変悔やまれるが、仮にもう少し長く飼育できていたとしても、脱皮の時点で死んでいただろうと思われる。
なぜなら、その頃は知らなかったのだが、彼等は壁などにぶら下がり自分の重さで殻を脱いでいくらしいからだ。つまり単純計算でも全長の倍以上の高さのあるケージでないと脱皮に失敗し、長期飼育できないというわけだ。
この場合の『全長』とは『体の長さ』ではなく『前後の歩脚を一杯に伸ばした長さ』のことを指す。その倍だから、大物のオオゲジならケージの高さだけで四十センチくらいあった方がいいということになってしまう。
もしあんなのの累代飼育にでも成功してしまっていたら、背の高いケージがずらっと並ぶことになり、その中に巨大なゲジが一匹ずつ入っていることになるわけで、もしかするとマジで結婚できなかったかも知れない。
だが、ゲジなら最大サイズでも数センチ。ケージも高さ十数センチセンチあれば充分に飼育できるはず。
ならば、とたまに飼育してみようかと思うこともあるのだが、だいたいゲジに気付くのは自分の家の中だ。普通に共同生活してしまっているわけであって、改めて飼う必要などない気がする。しかも妻がそこまで嫌う生物をこっそり飼うってワケにもいかない。よって、ゲジはいまだにきちんと飼育したことはないのである。
それにしても、無闇に彼等を嫌う人の多いこと。
家の中で発見したりすると、正気を失ったように騒ぎ立てる者もいる。しかし、彼等は家の中で悪さなどしない。ゴキブリの幼体などを餌にして生活しているだけである。
生き物を『害』と『益』に分けるものの考え方に俺は賛同しないが、敢えて分別するならゲジは『益生物』といっていいはず。
攻撃的でもなく、刺すわけでも、噛むわけでも、触れても腫れるわけでもない。
鳴いてうるさいわけでも、臭いわけでもなく、家具や家を壊すわけでもない。
そんな連中が、ゴキブリまで食ってくれているというのになんで嫌うのか、俺にはとんと理解できないのだ。
しかも『不快害虫』などという傲慢な括りでまとめ、専用殺虫剤まで開発されているのだから呆れてものも言えない。
べつに愛でる必要もないが、どうかそっとしておいてやってくれ、と思うのだ。
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