第30話 ヒョウモントカゲモドキ

 初めて大枚をはたき、通販で買った外国産のトカゲが、このヒョウモントカゲモドキだった。

 今でこそ、様々な品種も開発され、ペット業界では比較的安価でポピュラーなトカゲとして有名なヒョウモントカゲモドキだが、当時はようやく日本に紹介され始めた頃。

 当時の爬虫類ファンにとって神であった千石正一氏が、月刊紙で『ペットとして最適』と絶賛していたのを読み、ぜひとも飼いたいと思っていたのだ。

 いわく、乾燥に強く、丈夫で長生き、日光浴も必要なく、しかも簡単に殖え、動きが素早くなくて可愛い、と五拍子揃ったこれ以上ないくらいペット向けのトカゲである、とのことだった。

 これはぜひとも飼ってみたい。

 そう思った俺は、大学に合格したその週のうちに、ためておいた小遣いでヒョウモントカゲモドキのペアを注文したのであった。

 なんと、当時一匹二万円。二匹で四万円もの生き物を買ったのは、これが初めての経験であった。

 だが、入手してみて最初の印象は「うわ、何コレ変な生き物」であった。

 俺は、生き物にキモイという感情を持つことはほぼ無い。だが、コイツは、模様もイボイボも動きも肌触りも、少し……いや、かなりキツイ。少なくとも『可愛い』にはほど遠い存在に見えた。

 なにしろ、千石正一氏の紹介していた雑誌の写真は、正面からの顔だけで、こんなぶっといイボイボの尻尾や、派手なヒョウ柄の皮膚を持っているとは確認できなかったのだ。

 しかも名前はトカゲであるが、実際には地上性のヤモリであるから、タテに切れた瞳孔でいわゆるネコ目。

 白目の部分は金色。

 しかしネコ的表情があるかと言えば、爬虫類であるから彼等特有の無表情……と、これまた美しいとも可愛いともカッコイイとも微妙にかけ離れた印象だった。


 だが、生き物ってのは、しばらく接するうちに慣れる。慣れてくるとそれなりに可愛く感じるようにもなるものだ。たしかに、鳴いたり吼えたり逃げたりしないし、温度変化にも乾燥にも断食にも耐える。じつに飼いやすい生き物なのである。初めての一人暮らしのパートナーとしては、彼等は申し分ないペットであったといえよう。

 特に、あんまり餌を食わないというのがありがたかった。

 学生時代はバイトもせず遊び歩いていて、必然的に貧乏だったから一匹五十円もする餌用コオロギなんぞ、そうそう買い与えることなど出来ない。当時は通販している店も少なく、自転車で一時間近くかけて買いに行かねばならなかったのもネックだった。

 仕方なしに、その辺の草むらで採取してきたショウリョウバッタやカマキリ、コオロギ、クサキリや、街灯に集まる蛾やコガネムシを与えていたわけだが、これだって毎日というわけにはいかないし、生きたままうまくストックできるような虫も少ないから、一週間や二週間断食させることもしばしばだった。

 冬になると餌昆虫も捕れなくなってしまい、温度が低くて食欲がなさそうなのをいいことに二ヶ月以上も何も食わせなかったこともある。

 今にして思えば酷いことをしたモンだが、このヒョウモントカゲモドキ、乾燥地帯の出身だけあって、断食にも水切れにも強い。不気味に膨らんだ蛇腹状の尾は、ラクダの瘤と同じで、栄養を蓄えておくタンクでもあるから、これが細くしぼまないうちは大丈夫、と経験的に分かってくると、どんどん飼い方も手抜きになっていった。

 そんな頃、俺は交通事故に遭う。

 詳しくは『ゴイサギ』の項で書いたが、相手は酒酔い運転で信号無視のRV。内臓損傷で重体となって集中治療室へ。

 すっ飛んできた両親が俺のアパートで見たのは、風呂場のゴイサギと部屋を埋め尽くす水槽群。そして、このヒョウモントカゲモドキの夫婦であった。

 コオロギを買いに行くなどしたことのない両親は、それでもセミやトンボを捕獲して与えてくれたというから、ありがたいというか親バカというか……四ヶ月後、俺が退院してきた時も、やはり彼等は淡々と生きていてくれたのであった。

 そんな調子で学生時代を終え、就職して社会人へ。

 犬猫は連れて行けなかったが、爬虫類や魚類は、ほとんど引っ越し先へと移動。むろん、ヒョウモントカゲモドキも。

 その時点で、すでに飼い始めて五年が経っていた。

 社会人になって、少しは金回りがよくなった上に、コオロギを売っている専門店も近くにあって買いやすくなったものの、断食に耐えると分かっているものだから、どうしても餌やりの間は空く。暖房温度もギリギリ耐えるレベル。

 そんなこんなで、虐待に近い環境で飼育されつつも二匹のヒョウモントカゲモドキは、元気に生き続けた。

 就職三年目で、関連会社に転職。勤務地も千葉から神戸になり、2LDKのアパートから六畳一間の社宅へ転居した。そのため飼育していた様々な生き物を、処分せねばならなくなったのは痛かった。

 この件では、他にいくつかエピソードもあるのだがそれはまたの機会としておこう。

 処分、といっても殺したり放逐したりは一切無く、基本、友人や知り合い、ショップなどに引き取ってもらったとだけ言っておく。

 そうなっても、ヒョウモントカゲモドキだけはずっと飼い続けた。

 とにかく場所を取らないし、鳴かないし、タフだし、臭わないから、どこに連れて行っても問題にならないのだ。

 そして、転職二年目であの阪神大震災に遭遇。

 地鳴りで目を覚ました俺は、本棚が漫画を撒き散らしながら、こちらへ倒れてこずに壁沿いに一回転する様を呆然と見つめた。

 熱帯魚の水槽二本は粉砕し、ギリシャリクガメのケージはTVの下敷きになった。ヒョウモントカゲモドキのケースも本に潰されて割れ、部屋の中に逃げ出してしまった。

 だが、結局飼育している生物は、一匹も死ななかった。

 ギリシャリクガメは、ケージそのものが丈夫で無事だった。熱帯魚は、水槽が割れたのを確認した瞬間、押し入れの衣装ケースから夏物衣服を放り出し、一階の共同浴場へ駆け下りたのだ。その時すでに大きな浴槽にはヒビが入り、一晩経ったぬるま湯は抜けつつあったが、それを間一髪で衣装ケースに汲み、ふたたび五階まで駆け上がると、布団の上でビチビチ跳ねる熱帯魚達を一匹ずつ拾い集めて、衣装ケースに入れ始めた。

 その時には、とっくに寮生全員集合が掛かっていたらしく、集合場所に表れない俺を同僚が見に来た時には、俺はグッピーの子供を布団から救出している最中であった。

 幸いにも築数十年の鉄筋コンクリート造の社宅は、壁にヒビが入ったくらいで済んだ。べつに震度が小さい場所だったわけではない。木造の隣家はぺしゃんこ。目の前の競馬場も崩壊。ブロック塀は全て倒壊し、ネコが下敷きになって死んだりしていた。

 おそらく、高度経済成長期以前の建物だったため、一切の手抜き工事がされてなかったおかげではないだろうか。だが、電気、ガス、水道は一時止まった。真冬のことだから心配したが、電気はその日のうちに復旧した。逃げ出したヒョウモントカゲモドキもわりとすぐに見つかって、元気に冬を越したのであった。

さて数年後、俺は実家に帰って家業を継ぐこととなった。

 その際にもヒョウモントカゲモドキ達は死んでおらず、そのまま連れてきた。すでに購入から十数年が経過していたが、彼等は年を取った様子もなく、表情を変えるでなく、産卵するでなく、いつも通り淡々と生き続けていたのであった。

 事故、就職、震災、転職と続いた俺の激動の人生に、ずっとつきあい続けてきてくれたわけである。

 実家に帰って更に数年。

 結婚して子供が出来た頃、俺は友人から大変な情報を入手した。

 っていっても大した話ではないのだが、ヒョウモントカゲモドキは餌をあまり与えないでおくと、繁殖行動しないというのだ。


「へえ。ヒョウモントカゲモドキの餌って、どのくらいやるんだよ?」


「一日あたり十匹ずつもコオロギやればいいんじゃないですかね」


「え……俺……週に十匹くらいしかやってないけど……」


「そりゃ少ないですよ。繁殖しない理由はそれですね」


 悪いことをした。つまり、これまで十数年間、ずっと極めてローテンションで生き続けてきたってことのようだ。そもそも彼等の寿命は十年前後らしく、とっくに死んでいてもおかしくない時間を生きていたわけだが、それも繁殖行動させずにローテンションで生かし続けてきたことが原因の一つであったようだ。

 その友人に従って、コオロギ十匹は経済的にキツイので冷凍ピンクマウスを毎日一匹ずつ与えることにした。ピンクマウスとは、すなわちハツカネズミの赤ん坊である。それを親から引き離し、冷凍して殺して販売しているというのだから、爬虫類飼いがその常識や神経を疑われるのも実際分かる。

 だが、完全栄養食である上に結果的にリーズナブルであったから、俺も感情を押し殺してやってみた。

 結果は劇的なもので、一ヶ月も経たないうちに交尾と産卵が確認され、十数年間二匹だけだったヒョウモントカゲモドキは、どんどん殖え始めた。

 二ヶ月目には最初の卵が孵化し、一時期二十匹以上の大所帯となったが、そうなるとチビトカゲモドキたちの餌代がかさみ出す。

 無計画に殖やしすぎたのを反省しつつ、結局、大半をショップに譲り渡し、代わりに現金でなくコオロギや冷凍マウスを大量にもらったのであった。

 ヒョウモントカゲモドキ達は、繁殖行動をとり始めてから急に老けた。

 オスはすぐに痩せ細りだし、二年後には死んだ。メスの方も後を追うように死んだ。たぶん老衰だったのであろう。寂しくはあったが仕方がない。

 あのままローテンションで飼い続けていれば、もう少し長生きしたのかも知れないが、少しくらい長生きするよりも、やはり子孫を残す方が、生き物としての本懐であったのではないか、と勝手にそう思っている。

 その後、妻から飼育部屋を娘のピアノ部屋として明け渡しを要求され、ヒョウモントカゲモドキの子孫達は、友人にもらわれていった。

 先日確認したところ、まだ彼等は生きているとのことだ。


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