第44話 人間


「おい、はくたく。俺も色んな生き物飼ってきたけどな……やっぱ人間の子供が一番面白いな」


 もうずいぶん前になるが、大学の先輩に子供が生まれた時、お祝いを持ってご自宅に遊びに行った時に言われたのがこの言葉だ。

 俺が子供を授かったのは、それから十年近くも経ってからだったが、たしかにそうかも知れないと実感したものだ。

 人間の飼育(笑)は、そう難しくはない。

 ただ単に病気に罹らないよう、怪我しないよう育てる、というだけなら習性や性質が完全に把握できている分、他の野生生物よりも人間の方が格段に楽だといえる。

 もちろん、ヤバイ病気や事故、ケガなどもあり得るが、それは確率論だけで言えば低い。

 あくまで野生生物の飼育と比較した場合だが、人間の子供は非常に飼育しやすいと主張したい。

 人間の幼体は、多少成体よりもデリケートな部分はあるが、そもそも同種なのだから自分自身が快適な状態を作りだしておけば大きく間違いはない、ということもある。

カメレオンや陸生の両生類のように、朝晩霧吹きしたりして温度や湿度にことさら神経質に気を使う必要もない。

 餌用のコオロギやショウジョウバエをストックして置かなくてもいいし、週一回の水替えも、底砂洗いも、水質チェックもいらないのだ。

 あらゆる他生物と比較してかなりタフでもあって、多少調子が悪いのを見落としたからといって、朝元気だったものが数時間後には死亡していたなどということも滅多にない。

 不調シグナルも分かりやすいので、そもそもそういうのを見落とすことも少ない。

 そういうわけで、生き物としてみた場合に人間は、非常に飼いやすい部類に入る。本来飼育の困難な哺乳類である事を考えると、屈指の飼いやすさであるといっていい。

 哺乳類の幼体というものの飼いにくさは、ドブネズミやネコの項でも言及したが、彼等に比べると授乳間隔も長いし、肛門を刺激しなくてもちゃんと排便する。初期餌料も完璧な人工モノがあるし、一度に生まれるのは一個体であることが多いから、時間や金銭といったコストも最低限で済むのも魅力だ。

 飼育用品(爆)も大変充実していて多彩だ。安価で入手しやすいものから、高級感のあるものまであるし、ある程度はこちらの趣味で、アクセサリーでのレイアウトまでも可能である。

 生長期間が長く、成熟までに何年もかかるのが玉に瑕といえないこともないが、逆に言えば可愛い幼体の時期が長いという考え方も出来る。

ネコやイヌは本当に幼い時期は二ヶ月ほどで、一年も経てば性成熟してしまう。人間のように、数年間も可愛い時期が楽しめるというのは他の生物では例がない。

 だが、人間の飼育でもっとも面白いのは、やはりその先にある。つまり言葉や習慣を覚え、人間としての能力を開花させていく場面であろう。

 むろん、イヌやネコなどの哺乳類も教育して躾けたり芸を仕込んだりは出来るが、人間の場合は、より複雑で面白い。

例えばイヌのように『お座り』をしつけようとしたとする。

イヌならば、成獣でももっふもふ撫でてやれば『これやったらほめてもらえるんだ』と、愚かにもすぐお座りをするようになるが、すでに自我の芽生えた人間の子供となると、そう簡単には従ってくれない。


「そこすわれよ」


「なんで?」


「いいからすわれって」


「だからなんでよ?」


「ケーキやるからさ」


「普通にくれればいいじゃん。なにもったいぶってんだよ。早く寄越せ」


 幼児はもう少し単純だが、小学生くらいからもうこのくらいの反抗はする。

 これをなんとか、思う通りに従わせるのはそれなりに面白いのだ。

 習慣のしつけも難しい。

 ネコならトイレの場所など数日もかからず覚えるが、幼き日の息子は庭やベランダで立ち小便をすることをこよなく愛し、決してこちらの言うことを聞かなかった。

 中学になった今は、さすがにトイレの場所くらいは覚えたものの、制服をハンガーに掛けろと言っても、脱いだパジャマを洗濯機のところまで持ってこいと言っても、製氷機から素手で氷をつかみ出すなと言っても、決して言うことを聞かない。

 これを妻は『頭が悪い』と称して怒り付けるわけだが、これはむろん違う。

 ウチの子は決してバカではない。

親に言われたことであろうと、言うことを聞く必要性を感じないからやらないというだけだ。たぶん、彼の性格からして、相手がヤクザだろうと警察だろうと、神だろうと、必要性を感じないならやらないのであろう。

 そういう頑固な価値観をどこで学ぶかというと、いうまでもなくこちらの姿を見て学んだに違いない。

 つまり、自分は好き勝手にしていて都合のいい時だけ子供を躾けようとしても無駄なのだ。親は常住坐臥、模範となるような言動をし続けなくてはならず、それこそが人間の子供を躾けるポイントだと言える。

そう。連中はあらゆることを、すぐに見事にマネするのだ。

 口調。

 態度。

 論法。

 食べ方。

 怒り方。

 ウソの付き方。

 ギャグの作り方。

 痛かった時のリアクション。

 とにかくあらゆる部分をコピーして、かつそれを発展、進化させていくわけで、それはいっそすがすがしいほどである。

 何故か感動ポイントだけは違っていて、俺がぼろぼろ泣いている映画や本を見て、しらけた表情をしているのが不思議だが。

要するに親が『こうあってほしい』などと頭で望む通りになど、まずならないのだ。まずは自分が『そう』ならなくては。

しかし、常に模範となるような言動など、聖人君子でもない俺にはまず無理なので『どうしても』って時には、こう言うことにしている。


「俺はやってないし出来もしない。だが、いいことだからお前はやれ(あるいは悪いことだからお前はやるな)」


 それはむろん親の傲慢であるし、その論法自体をもマネして傲慢な子供になっていく可能性もあるが、そこは彼等を信じ、頼み込んででもやってもらうしかない。

 娘はまださほどではないが、中三の息子は、昼飯代やバス代をケチって貯め込んだ小銭で中古のパソコンを勝手に買ってきたり、深夜に部屋を抜けだして録画してあったTV番組をこっそり見ていたり、妻のパソコンのパスワードを推測だけで割り出してエロいサイトを閲覧したりと様々な悪事を働き始めている。

 今のところは上記のような可愛い内容ばかりだが、他人様に迷惑を掛けるようになっては困るので、その点だけは押さえるようにしておきたいのだ。

 とはいえ、年頃になってくれば惚れた腫れたもあろうし、活動範囲も広がる。

そうなれば、故意でなくても他人様を傷つけることもあるかも知れない。さらに高校を卒業すれば世界中のどこに行くかも分からないし、何をしでかしてくるかも分からないのだ。

 それらはすべて、最終的には親が責任を取る。そう覚悟を決めるしかないのであろう。

 犬猫ならば、部屋に閉じこめたり鎖で繋いでおいたりできるが、人間は完全な放し飼い。しかも異様に知能が高いのだからタチが悪い。

 人間と他の生物で飼育における根本的な違いというのは、この『覚悟の量』であるのではないか、などと、まだまだ人間飼育者、もとい父親としては初心者レベルの俺は思うのである。


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