第2話 蛞蝓

 身近にいる生き物を本格的に飼う。

ということを、やっている人は意外と少ない。

 そりゃあ、子供の頃に虫かごやケースに入れてながめるくらいなら、誰しも経験があるかも知れないが、そんなものは飼育と呼べるレベルではない。

 俺にとって『飼育』とは、繁殖させ、次世代を得て、個体数を増やし、更にその次の世代を得られる態勢作りをするまでをいう。

 それが無理なら、少なくとも年単位で生かしておけて初めて飼育した、と言っていいと思っている。

 ○ッピーだか何だか知らないが、コップみたいなガラス容器に水草と小魚入れて、数ヶ月生かしてあるのは、『飼育』とは断じて呼びたくない。あれはゆっくり殺しているだけだ。

 だがそうやって考えると、今、身の回りにいる、本当に身近な生き物を飼いこなせる技術は、本当にあるか?

 皆さんは如何だろうか?

 身近なペット以外の生物……つまり、スズメ、カラス、ドバト、カエル、トカゲ、バッタ、セミ、トンボ、チョウ、コガネムシ、ダンゴムシ、ハエ、クモ、ネズミ、ゴキブリにいたるまで

 どれか一つでも、飼育下で世代交代させる技術を持っておられるだろうか?

 年単位で生かし続けることが出来るだろうか?

 もし持っておられるとすれば、それはすごい。イヤミでも何でもなく、素直に素晴らしいと思う。

 俺は、上記の生き物で言えば、半分も飼いこなしたことがないのだ。

 むろん、鳥類などは法律上の制約もあるので、うかつに飼育は出来ないわけだが、例えばゴキブリごとき、ちゃんと飼育すればいくらでも殖えそうに見えて、そうでもない。

 カブトムシよりデリケートで、スズムシより扱いにくく、またかなりな清潔好きで蒸れてカビるとあっさり全滅する。

 なんでそんなこと知ってるのか、といえばやってみたからで、そういう経験談をぷちぷちと書いていこうという、実にキモイ企画がこのエッセイだ。

 この試みは数少ない好きな人にはたまらん文章となるであろうと、書き始めにして自負しておくが、おそらく嫌いな人には別の意味でたまらん文章となることも予想が付く。

 今は諸事情で、生物飼育そんなことは、まったく……いや、まったくじゃないが、ほとんどやっていないのだが、このエッセイを実生活の知り合いに知られたら、付き合いが半分くらいに減りそうだ。

 とはいえ俺は、偏見を捨て去り、身近な生き物に目を向け、彼等の生活を知り、共存に向けて歩み出すことは有意義なことだと考える。


 ここまで読んでイヤになった方は、どうぞページを閉じていただきたい。

 だが、この機会にそうした生き物に少しでも目を向けてやろうとお考えならば、是非ともお目通しいただきたい。そして、ほんの少しでも身近な生き物たちに興味を持ち、嫌悪の視線をやめ、せめて生暖かい目で余裕を持って眺めていただきたい。

心からそう思う。

 では、拙い文章、浅い経験と知識ながら、俺の半生で出会った多くの生き物たちとの生活を書き記していこう。


 それにしても、初手から蛞蝓である。なんと読むかといえば「ナメクジ」だ。

 まあ、大概の人は引く。ドン引きする。

 だが、ちょっと考えてみていただきたい。カタツムリを毛嫌いする人はあまりいないだろう。サザエを気持ち悪がる人も少ないはずだ。それどころか、エスカルゴ料理だの壺焼きだのと言って食うではないか。

 彼等とナメクジの違いは、殻があるか無いか、それだけなのだ。

 つまり、ナメクジとは「貝の仲間」なのである。


 さて。俺は生き物を飼うことが、幼少時から好きだった。

 いつごろからか? といえば記憶にある限りでは保育園時代が一番古い。

 当時の俺はナメクジが大好きであった。昼休み園庭で大量に見つけ、ポケットに入れているのを先生に発見され、不潔だという理由で外に放り出された。

殻付きのカタツムリは童謡に歌われ、お遊戯にまでなっていて、どうして殻が無くなるだけでここまで不当な扱いになるのか、正直サッパリ分からなかった。

 結局、二度とナメクジにさわらない、などという理不尽な約束をするまで、保育園の中に入れてもらえなかったのだが、その後も何度か約束を破って先生に悲鳴を上げさせたことは言うまでもない。

 それ以外にも、オタマジャクシをどうしても飼いたいとわがままを言い、田園地帯を延々と、祖父を引っ張り回した記憶もある。

 幼稚園児だけで数キロ離れた河原まで虫取りに行き、日の暮れる頃バッタを大量に捕獲して帰って、メチャクチャ叱られたこともある。

 小学生時代にはザリガニを捕るために町中を流れる水路を裸足で歩き、ガラスの欠片で脚を切って血だらけで帰ったこともある。


 まあ、昔話はさておき、俺のナメクジの飼い方はこうである。


 ナメクジは殻がない。

 ゆえに、カタツムリと同じ飼い方をしたら、意外にあっさり死ぬ。乾燥に極めて弱いのである。

 とにかく、湿度を保たねばならないので、市販のプラスチックの飼育容器、通称プラケで飼う場合にも底土を厚めに敷く。

 この土は、経験上、庭土や畑土がベストである。

 清潔に飼おうとして、金魚用の砂などを使ってはならない。乾きやすい上に落ち着かない。じゃあ、ってんで「園芸用土」の中から選ぶのもNG。妙な防虫剤や肥料が添加されている可能性があるからだ。

 ヤツらは全身が粘膜。簡単に分かりやすく言えば、全身が目玉のようなもの。粘液で保護されちゃあいるが、薬品系には実に敏感なのだ。

 とはいっても、栄養分をまったく含まないからと赤玉土を使ってもうまくいかない。何故か、庭土などと比べてカビが発生しやすいのだ。

 というより、一種のカビが蔓延しやすい、と言った方が正確かも知れない。

 庭土や畑の土には、無数の微生物が住んでいる。それらもむろんカビの仲間なのだが、これがお互いに他種のカビの繁殖を抑えるのであろう、と思う。

 つまり、カビないわけではなく、色んな種類のカビがせめぎ合うので、青カビとか白カビ一種だけが殖えすぎることがないわけだ。

 特にナメクジの場合、高湿度を好み、餌は主に野菜や木の葉、糞も歩きながらその辺にする。これがカビ始めたら、ケージ一面カビだらけ、などということになりかねない。

 毎日餌を取り除いても、カビ始めると一晩でそうなるので気をつけておきたい。


 それと殻がないので、いわゆるプラケの場合、網目から逃げる。そりゃもうこんな隙間から何故? ってくらい小さな穴を見事にすり抜ける。

 だからといって、密封可能なタッパで飼うと、息抜き穴を開けるか毎日換気してやる必要があって面倒くさいし、やはりカビやすく手間が掛かる。

 ゆえに一工夫が必要なのである。

 どうするか? これはカブトやクワガタを飼育する時におなじみなのだが、フタをする時に何かを挟むのだ。少々閉めにくいが、こうすると隙間もあまりなくなるし通気性もある程度確保できる。また、適度に湿気の蒸発も抑えてくれるので、管理は極めて楽になるという一石二鳥。

 だがカブトムシは新聞紙を挟むが、ナメクジの場合はこれではいけない。何故ならナメクジの大好物だからである。

 こんなもん食ってインクとか体に良くないんじゃないかと心配になるが、とにかく新聞紙に限らず、ナメクジは紙をよく食う。

 一晩で穴を開けて逃亡、ということもあり得るペースで食うので、俺は紙ではなく市指定の燃やせるゴミ袋を切り裂いて使う。食品ラップだと密閉度が高すぎ、スーパーの手提げ袋だとガサガサして扱いにくい。その他のビニールでも使えるが、燃やせるゴミ袋ってのは、強度こそイマイチなものの通気性もそこそこあって蒸れにくいのだ。

 餌はそれこそ何でもいいが、よく食べるからといって生野菜中心にすると、畑土を敷いておいても腐りやすいのは同じ。まあ大根とかニンジンの頭は腐りが遅いが。

 だが、それ以上によいのは落ち葉であろう。

 そもそも落ちて腐りかけなのだから、これ以上腐ったところで同じことだし。もちろんどんな葉でも良いわけではなく、針葉樹やイチョウのように分解しにくいもの、ユーカリやクスノキのように特殊な成分を多く含むものも避けた方が無難だろう。

 適度に腐ってくれば上記の葉でも食わないことはないのだが、そこまでして針葉樹を食わせる必要もない。

 金魚の餌や犬猫フードもよく食べるが、カビやすいのでコレを与える場合は毎日交換した方がいい。

 あと、隠れ家は重要。

 いつも何かの下に潜り込みたがるし、そこで数匹まとまって過ごしたりするから、植木鉢の欠片や平たい石、木の皮、太短い木の枝などを置いておく。

 そのようにして飼育すると、そのうち隠れ家の下などに見た目あの乾燥剤・シリカゲルそっくりの卵を産む。

 ずいぶん前のことなので、孵化までの期間は忘れたが、数週間くらいだっただろうか。

 めちゃくちゃ小さなナメクジはそれなりに可愛いが、扱いは大変である。子ナメクジについては、プラケではなくプリンカップと通称されるビニール容器で飼うのがオススメ。

 プリンカップは土を敷くと扱いが大変になるし、土の上では子ナメクジはまぎれてしまうので、湿らせたティッシュを敷いておいた方がいい。

 むろん、親も同じようにプリンカップにティッシュを敷いて飼えるが、こいつらティッシュ自体を食うので、あまり健康によろしくなさそうに思う。

 親と同じようなモノを食って大きくなった子ナメクジを、どうするかは飼い主次第だが、採ってきた場所に放すくらいは許される範疇と思う。

 一般的に見られるコウラナメクジは外来種だが、今更気をつけても仕方ないほどどこにでもいるからだ。

 ただ、ヤマナメクジを平地に放したり、現在分布域拡大中のヒョウ柄の大型ナメクジ、マダラコウラナメクジを移動させたりするのは厳に慎みたい。

 この他、一部地域に住むハナタテヤマナメクジという、オレンジ色の美しい在来ナメクジもいるが、これにしても分布域を乱すようなことは止めよう。


 最後に。

 ナメクジに触ったら必ず石けんで手を洗おう。

 ナメクジの這った痕のある食品を、口に入れるのも避けよう。

 広東住血吸虫の中間宿主でもあり、それ以外にも様々な病原体を持っている可能性があるからだ。

 だが、それでもナメクジを嫌わないで欲しい。

 病原体なんか、カタツムリだって他の生き物だって持っている。人間に伝染うつる病気を最も多く持っているのは、何をかくそう人間なのだ。

 なのに、わざわざナンパしたり、お金を出して風俗へ行ったりして、不特定多数の人間と病原体を伝染うつし合いたがるのは、俺には理解不能だ。

 ちゃんと手を洗えば大丈夫なのだから、ナメクジを飼う方が風俗に行くより余程安全であるからオススメだ。

 触り心地もなかなかいいしな。

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