第四話:おはようは、カラスの一鳴き

「対象の沈黙を確認」

「室内に動きなし。対象、死亡したものと思われます」

「『鏡』の回収いそげ、時州や星蔵ほしくらも動いたとの報告があった」


 飛び交う指示を子守歌に、ビニールシートをひっかぶって、『団長』は車体にもたれて眠っていた。

 そのすらりと伸びた足に目をやりつつ、銀装束の少女は車上から冷ややかに言った。


「制圧はもう間もなくです。ご足労いただきまして申し訳ありません、団長」


 反応はなかった。今の喧噪どころか至近でRPGの発射音を聞いたはずなのに、それでも眠っているつもりらしい。頭からすっぽりブルーシートをかぶっているものだから、さながら死体袋の有様だ。

 徹底したその怠惰ぶりには呆れるばかりだが、一種大物の風格さえただよっている。


 ――いや、実際このひとは、正真正銘『大物かいぶつ』なのだけど。

 そして、中にあるはずのモノも、また。


「ですから、念には念を押しておく必要がありました。あれは……『デミウルゴスの鏡』は、世界を一変させてしまうもの。『SN』はそう言っていました。ですので」

「うるさいよ、お前」


 『団長』は立ち上がった。

 シートをかぶったままに歩き出し、深淵へとつづく、後方の森へと徒歩で歩いて行く。


「どちらに?」

「臆病ものの言い訳に付き合う義理なんてないし、わたしは脳筋でお飾りの騎士団長。つーわけで、あとは適当にやっといて」

「それでも、万が一があります」

「じゃ、こうしよう。……お前の言う『世界の一変』とやらが実際に起こったら、声をかけてね。それじゃあねー」


 シートから伸びた片手はひらひらと振られ、やがてそれも闇の中へと溶けていく。

 限りなく感情を押し殺した表情で向き直ると、少女もまた、部下には断りもせず姿を消した。


 ~~~


 私は夢を見ていた。

 どこからが夢かはわからないけど、だいぶ悪質なものだった。


 京都旅行への道中の山の中で黒い波に押しつぶされて、その中で誰も彼もおかしくなって事故って。

 死ぬはずだったのになんでか無傷でよみがえって。かと思えば医者にはバケモノ扱いされて、人道家のマスコミたちには外野から「生き残った者の義務だの責任」なんてのを滔々説かれる。


 で、あげくのはてにデカイ鉄砲で部屋ごと吹っ飛ばされた。


 ……そして、ここからがもっとタチが悪いのは、何もかもなくした後に、自分ひとりが、無傷だったってことだ。


 この世にいるすべての人間が私が生き返るのを望んでいなかったクセに、唯一、私の中にいる『なにか』が私が生きることを望んでいる。


 パラパラと、細かい破片が降り注ぐ。

 怪獣があばれた後みたいに、窓側の半分が消し飛んだ部屋のなか、


「さいあく」


 と私は呟いた。

 夢なら覚めてほしいし、二度も三度も生き返らせたり殺したりするぐらいなら、いっそ終わりにしてほしい。


「起きろ」


 幻聴まで聞こえてきた。

 つぶやきの続きは心の中で押し止め、うっすらと目を細める。

 目覚めるために目を閉じる、という感覚は奇妙で、こっけいだった。


「幻聴じゃないし、これは夢でもないぞ。起きろ」


 少年のような、それでいてどこか大人の男の調子を帯びた、不思議な幻聴はつづけた。


「今後の展開はこうだ。すぐにでも突入部隊がAKを突き出して侵入してくる。お前の生死を確認しに。死んでいたら心臓をえぐり出し、生きていたら銃弾をブチ込むために。さすがに『鏡』の防御とリジェネート能力でも、無防備に、至近距離から攻撃されたら即死だ」


 それでも良いか、とも思った。

 心臓だか『鏡』だかしらないけど、それを求める理由があるなら、くれてやっても良いか、と。

 すくなくとも、彼らには私に生きてほしくなくて、『鏡』が欲しくて、よっぽどな事情だから。


「……それでも良い、ね。でも、『死にたい』てのはウソだろ。そこまで悟りを開けるヤツはそう多くはない、そりゃただの自暴自棄だ」


 私の心の動きでも読んだかのように、それは耳元でささやいてくる。

 聞き覚えがある声。夢の中にいた男のひと。私に、口約束しておきながらフイにした、ウソツキ男。


「その口ぶりからすると、お前はロクな人生歩んでこなかったらしい。すくなくとも、お前にとっては。だけど、それは変えられる。今お前の中にたしかにあるモノによって」

「……それって、君たちが言うところの『鏡』ってヤツ? だからいらないって、こんなもの。欲しけりゃくれてやる」


 いや、とうすぼんやりと浮かぶ影が首を振ったようだった。


「確かに俺の目的もその『デミウルゴスの鏡』にあるが、俺や奴らのどんな大層な大義名分も、こいつには及ばない。……それはな、命それ自体だ。八葉輪」


 名を呼ばれる。頬を撫でられるようにやさしいい声が降ってくる。


「そいつさえあれば、あとはどうとでもなる。生き方はあとでちゃんと教えてやる。信じろ」

「どうやって? 顔も素性もわかんないのに」

「思い出せ。俺は約束したその瞬間から、ずっとそばにいた」


 え、と幻聴のはずだったその声に、間の抜けた返事をしてしまう。


「……だから、今はヤケになるな。目を覚ませ。顔を上げろ。そして俺を見ろ。手を伸ばせ」


 ずっとそばにいたかもしれない、だって?

 ウソかもしれない。

 それでも、そんな口当たりのいいウソをついてくれる人さえも、「生きろ」といってくれる人さえも、今の私にはいなかった。


 すがるような思いで、目を開ける。

 三秒後には死ぬことが確定したこの世界で、唯一その運命を変えられるかもしれないひと。どんなに騙されても、すべてを託しても良いとさえ思えた男。


 そして私は気づき、思い出した。

 手にはね返ってくるリアルな触感と弾力によって。

 刮目した先の、帽子をかぶったカラスのぬいぐるみによって。


「……そして、人形おれを抱えて逃げてくれ。でないとマトモに動けないんだ、この体」


 そういえばこの人形ヒト、夢の中でもいまいちしまらない感じだったわ。

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