第八話:ファイナルアンサー(1)
……反論や口をさしはさむ余地のない、想像もしていなかった事実に、時州相生は、彼の周囲もまた、完全に呑まれていた。
相生たちはまるで分厚い長編小説を一夜で読破したかのような疲労感に苛まれ、あるいは重くこうべを垂れている。そこかしこで嘆息が聞こえる。
――いや、しかし彼の言うことが真実だとすれば、こいつは、瑠衣は……っ!
怒りというよりは嘆きや恐怖にちかい感情で、それこそ化け物でも見るような心地で、藍も相生もウサギの人形を見下ろした。
「血を分けた相手を見る目ではありませんな。肉親よりも見ず知らずの怪人の戯言を信じるわけですか、ご両人。おっと、あなた方が見てるのはわたし自身ではなくただの定価540円の人形ですがね。ンヌハハハハ」
笑うに笑えないジョークを飛ばし、瑠衣はみじかい両手を持ち上げてみせる。
「瑠衣」
母による、ナイフのようにするどく、短い糾弾の名指し。
だが、その声先はわずかに震えているように聞こえた。そんな親の、公私入り混じった複雑な感情を知ってか知らずか。ウサギはとぼけたように弁明した。
「その男の言葉が万一にも真実だとして、彼は結果としてわたしによって発狂しかねない生き地獄から解放されたことになるでしょう。そんなわたしを告発ないし讒言する資格があるのかね? かくも性根の卑しい男を、母上はお信じになると」
そこに、ある席で、ガンと破壊的な音が鳴った。
末席の少女、九戸社が、拳でテーブルを殴りつけた音だった。
「いまは親子喧嘩やゲスの勘ぐりをしている場合ではないはずですが」
不快感をかくさずにそう告げられて、相生もようやく本分に立ち返ることができた。
咳ばらいをわざとらしくおこなって、周囲に仕切り直しをうながすと、背筋を伸ばして改めて進行役を再開した。
「……なんとも、夢ともうつつとも区別できない話ではありましたが、以上の経緯をふまえ、あえて同志の皆さまには八葉輪、ならびに彼女の所有する『デミウルゴスの鏡』についての処遇をそれぞれ提示していただきたい。それらの意見を取りまとめ、第一案として国に提出します」
「もっとも、それが最終案としてそのまま通るでしょうし、全責任は我々に押し付けられることでしょう。専門外のことには、危機が目に見えるかたちにならなければとんと無頓着ですから」
早瀬須雲が身内へのグチをこぼしながら、相生に同調した。
社がそれを鼻で嗤った。
――といっても、おそらくは各勢力はすでに考えをまとめてきているはずだが。
建前とは裏腹に考えていた予想のとおり、すぐさま挙手する者が現れた。
新参勢力『ノーディ』の代表、久留目郷徒だった。
「我々は、『デミウルゴスの鏡』を保護するべきだと考える」
「理由は?」
「画面ごしに一瞬見ただけでもほとばしるあの輝き、あの力のほとばしり! いやぁ、形容する言葉なんて吹っ飛ぶほどに、美しい。あと、その力に恐怖せず惜しみもせず、酔うこともなくここまで運んできた少女にも興味がある。彼女ふくめて、あれは喪ってはならない宝だ」
数々の異質な品々を集めるコレクターでもあり、数寄者とも称される、郷徒ならではの表現といったところか。
興奮まじりに中腰になる彼を、『スペル・コーポレーション』の西原紫蹟は冷ややかに見つめていた。
「で、その保護する場所というのはお宅の庫のなかというわけかね。あるいは八葉輪自体を妾として飼うのかね?」
ぶつけるような皮肉に、郷徒は肩をすくめて見せた。
「いやいや、相応しい場所があればそれに越したことはない……動くことによって引き出される美というものもあるのでね。そういう西原社長も、数多くの禁書魔術書を書庫におさめておられるとか。当然、『デミウルゴスの鏡』を保存しておくような場所を確保しておられるのでは?」
「ないこともないが」
そう言いかけた老人は、軽く鼻で嗤って首を振った。話題がずれることをおそれたか、彼は大儀そうに首を時州一家のほうへと向けた。
「『スペル・コーポレーション』としては同じく、『デミウルゴスの鏡』を保護する方向で考えている。むろん、その宿主も」
「だが、出来れば『鏡』と娘は引きはがしたい。一個人が持つ力としては不相応だし、あの力は一少女の生命維持装置じゃなく、別の方法に用いるべきだ」
上司の言葉をさえぎって、神谷宗太郎が発言した。
「主に人間相手に仕事をしてるアンタらは知らないかもしれないが、いまだこの世界には数多くの魑魅魍魎がひそんでいる。十二年前の『川中島事件』をおぼえるだろ!? もしもう一度、ヤツらがこぞって牙を剥いたとして、一瞬で鎮圧できる力。それこそがあの『デミウルゴスの鏡』だ。また、抑止力の面でも有用と考える」
「宗太郎……黙っていろ」
「はっ、申し訳ありません!」
表面上は謝罪したものの、稀代の魔術師の表情は不平を隠さず、どこか拗ねたような口調だった。老人の彫りのふかい顔にも、彼に同調する気配は見受けられない。
「なるほど、下手な会社案内より、よほど内情がよくわかる」
相生から比較的近い席にいる司馬大悟が、嘲笑を噛み殺していた。
それが相手に気取られるのをおそれてか、早瀬須雲が起立して言った。
「国の方針としては、現状保留が望ましいと考えています」
「ほら出た! 保留! あなた方はいつだってそうではありませんか! そういう態度こそが国家を腐敗させると、なぜ分からない!?」
二の句を継ぐ前に噛みついたのは、九戸社だった。
彼女よりも一回りほど年上の女性は、説明を折られて怒る様子もなく、かといって相手への侮蔑も隠さなかった。
「そういうからには、百地一族と『銀の騎士団』は何やら妙案をお持ちのようで」
温かみのない調子で問う須雲に、怖じることも恥じることもせず胸を反らして社は言った。
「基本方針は、神谷さんと同じです」
おや、と須雲の隣の大悟が左の眉を吊り上げた。
「俺はてっきり、貴様らテロリストは八葉輪ごと『鏡』を葬るものと考えていたが?」
「心外ですね。我々はテロリストでもないし、使えるべき力は余さず用いるべきだと考えている。……むろん、彼女のような愚か者には過ぎた力をもてあそんだ罪を刃にて問いますが」
「そのためなら、血を吐くような修練で得た、己の肉体さえ捨てるか? サイボーク嬢?」
それ以上の揶揄を無視し、背筋を伸ばしたままで高らかに宣言した。
「ただし! あの神谷さんでもってしても保守的すぎる、ほかの方々もくだらぬ理由ばかりで論外! むしろ、こちらより打って出るべきだと思います! 異常者、超能力者霊能力者、妖怪、そしてそこの男のような、異世界からの転生者、流入者!! それらをことごとく排除し、人類による確たる統治を! 秩序をもった地球の運営を! すべては、静謐なる銀夜のためにィ!!」
なんの儀式か、両手を突き出し狂信的に少女は叫ぶ。
その様子を良順は鼻白んだ様子で横目ににらみ、大悟は肩を震わせ笑いをこらえ、クロウ……鐘山環は、あわれむような眼で見た後、
「これが、こんなものが、『あいつ』が命を張って心を殺して張り続けた理念の、成れの果て、か……」
と悲しげにつぶやいた。
それから腕汲みしたまま「で」と相生のほうを向いて、
「あんたは、どうなんだ?」
と尋ねた。口を開こうとした矢先に、隣の藍が座ったままに傲然と言い放った。
「むろん、時州家は保護、管理こそ旨とします。場合によっては少女からの切り離しも考慮に入れ、そしてなにより我々こそが管理しなければなりません。時州にはそれだけの歴史があり、財力があり、権利と大義があります!」
「……ま、わたしの能力をもってすればいかようにも使えるしな」
好き勝手に、口々に、藍や瑠衣は言う。
だが、そんな彼女らには見向きもせず、帽子をおさえつけながら、青年の姿をしたカラスは、青色の視線を相生へぶつけた。
「あんたは、どうなんだ?」
という、再度の疑問とともに。
「あんたにとって、輪はなんだ? 力か? 権威の象徴か? 便利なツールボックスか? そんな『鏡』の入れ物か? あるいは不幸で哀れな女子中学生か?」
あらゆる選択肢を引き出してくるが、それらの模範解答は、相生の心には引っかからなかった。
『鏡』のことを捨て、ここに来る前の経緯をかんがみれば、その答えが見つかるかもしれなかった。
だがそれよりも先に、議会は流れていく。残された一勢力……いまだ最大級にして最古参の『吉良会』の解答を、まだ聞いていない。
――そうだ。とにもかくにも、これで話はある程度はまとまる。
と思い直し、環の問いを聞き流すことにした。
多少の動機の差異はあっても、おおむねの方針としては『保護』でまとまっている。『吉良会』にしても、すでに根回しが済んでいるから彼女の保護に回るだろう。そこからはまた後日、あらためて各勢力間で話を詰めていけばいいだけだ。
ひそかにそう胸をなで下ろしていた、矢先のことだった。
「『吉良会』は、『デミウルゴスの鏡』の破壊を提唱する」
と、ためらいも見せずに、その宗主が口にしたのは。
一転してけわしい表情を向ける旧友に、門口良順は平然と反故を口にしたのだった。
「『デミウルゴスの鏡』は、葬られるべきだ。それを扱える八葉輪ごとに」
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