第九話:巣立ち(2)
『吉良会』の控室は、緊迫した雰囲気につつまれていた。
この場にいるのは忍森初花をのぞけば良順とアラタのふたりのみで、その剣呑な空気の発生源は彼らの間から生じていた。
「……ずいぶん、ナメたことをしてくれたな。楢柴」
ひくい叱責の声に、アラタは無言で薄笑いを浮かべただけだった。
「まぁ良い。結果はどうあれ、あの流れのままだと我々の意見は通らなかっただろうし、むしろ、『デミウルゴスの鏡』へ接触する好機が増えたということにちがいない。楢柴、あの少女の歓心を君が買っていることは承知した。あらためて指示を与える。……機をうかがい、他を出し抜き、『デミウルゴスの鏡』を少女もろともに消滅させろ。以上だ。……返事は?」
アラタの顔からは、すでに一片の笑みもなかった。はぁ、と生返事を返し
「なんだかねぇ」
と誰にともなくつぶやく。
部下の不真面目さに苛立った様子の良順に、
「さっきの言葉、そっくりそのまま返しますよボス。……ナメたマネしてんのは、あんただ」
「……アラタ!」
「止めるな初花姉さん。この老いぼれには誰かが言ってやるべきなんだよ」
脇から飛ばされた初花の制止を振り切って、アラタは良順の座のデスクに手のひらを叩きつけた。
「突然招集がかけられたとか思ったら、ワケのわからねーモンに命を張らす。で、それが何かと聞かれても答えない。で、苦労して身を挺して守ったものを、今度は殺せってか? ……ヒトをコケにすんのもたいがいにしろよ」
「ずいぶん自分本位な物言いをするじゃないか。盗聴していた分際で」
「あんたが何かしらこっちを信じて打ち明けてくれりゃあ、そんなことまでしなかったんだけどな。その身勝手な秘密主義が、冬花や新田、あと葉月さんを追い詰めたって、どうして思えないんだ」
「今でさえ余計なことしかしない慮外者たちの、いったい何を信じろと? お前は余計なことをせず、考えず、動けばいい。そうすれば、なに不自由なく暮らせるんだ。いったいそれの、何が不満だ?」
良順たちがそんな風に応酬をくり返し、彼がアラタに対してぶつけた命令と詰問が、その終わりだった。
みるみるうちに、彼女の眼から怒りの火が鎮まっていくのが、はた目から見ていた忍森初花からも確認できた。
だが、それは彼の道理に屈したわけではなかった。
むしろ、まだ修復可能だった両者の確執が、彼女のなかで修復しようのない失望にへと転じた瞬間だった。
ふかく、長いため息をつくと、みずからの手をテーブルからどける。
くるりと背を向けたアラタは、
「これまで、だな」
「なに?」
「……輪の言いぐさじゃないが、もうたくさんだ。大人の都合や理不尽に振り回されるのはな」
とだけ言い残し、出口に向かっていった。
良順のするどいまなざしは、たとえ背を向けていたとしても伝わってきたことだろう。ただ数秒だけ、足を止めて
「今回の一件が片付いたら、『吉良会』を抜ける。最後の義理立てで、輪のお守りはしてやる。あいつが力を間違ったほうに使うことがあれば、全力でブッ潰す。けどそれは、アタシの信念でだ。あんたがどうこう口をはさむコトじゃねぇ」
初花はアラタの名を呼んで制止をかけた。だが、彼女は止まらないことは長い付き合いのなかで知れ切っていたから、自然その声は小さくなっていた。肩で風を切るようにして部屋から退出するのを、あとは黙って、かすかに震えながら見送るほかなかった。
あとに残されたのは、彼女の手跡がわずかに残る机。そこにヒジを置いてうなだれる良順。その傍にひかえる、初花自身だった。
「まだお取込み中かー?」
ハットをかぶったカラスがひょっこり顔をのぞかせたのは、ちょうどアラタと入れ違いになるようなタイミングだった。
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