第九話:巣立ち(1)
当初、突拍子もない意見を鼻で嗤っていた九戸社たちだったが、そのクロウの発案から話がふくらんでいき、やがて話が実現可能な方向に煮固められていくと、さすがにその表情が苦く、けわしいものへと変わっていった。
狭量な小娘ひとりの表情が転じたところでどうとも思わないが、苦虫を嚙みつぶしたような門口良順の顔は、多大なる希少価値がある。
「……ともあれ、我々の優位はゆるがないことは疑うべくもありません」
満悦の表情を取り繕って、時州藍は言った。
――感情的にはともかく、たしかにそうだな。
とウサギの人形は素直に同意した。
どう言いつくろおうとも、兄の相生が母に従うことは違いない。輪は個人的に世話になるのたまったが、事実上それは時州家の援助を受けるということだ。
だが、会議の前にもあつまった時州家の私室では、兄相生だけが苦悶の表情を浮かべていた。
頬のこわばりからわかるほどに奥歯に力を入れて、肩を時折思い出したかのように左右に揺らし、後ろ手に組んだ指先はしきりに動いている。
「さっそく収容施設を選定しましょう。まず本家屋敷より近い位置で……」
「母さん、いえ宗主」
「なんです」
「その義は、ご無用に願います。部屋も学校選びも、託されたのは、自分です」
うっすらと髪の生え際に汗を浮かべ、その巨体とは正反対の、なけなしの気力を振り絞り、彼ははじめて母親に反抗した。
「幸いにして楢柴改がルームシェアを打診していて、輪自身もそこそこ乗り気です。彼女が通う学校に編入すれば、色々サポートやフォローも期待できるでしょうし」
「なにを、なにを言っているのです。貴方は、なぜそんな勝手なマネを!?」
「自分は、彼女に助けられました。彼女の助力がなければ、彼女の力を拒んでいれば、我々はあの高速道路で全滅していた」
「素晴らしい美談だ。だが忘れてないかね。そもそも襲撃された原因は、彼女の『鏡』だということを」
瑠衣が入れた横やりを、相生はにがい顔をしながらもしっかりと受け止めた。
「理屈じゃないんだ。八葉輪を守ったのはただ家業の一環だったのかもしれない。あの娘のせいで襲われたのかもしれない。だが、それでも助けられたことに違いはなく、そのことに恩義を感じている。一度裏切ってしまった負い目もな。だから、自分の意志と独力で、輪に借りを返す」
気が付けば、相生の顔からは険がとれていた。いつものような過剰な力みや取り乱しはなく、まるで死刑執行を待ちながら聖書を読む罪人のように、しずかな面持ちで藍を見据えていた。
対して感情が激化する予兆を見せたのは、その彼女だった。
母のこめかみに、異様な咬筋力が加わりつつあるのを、瑠衣はウサギの人形越しに観察していた。押し殺した怒りがヒステリックな怒号に変わるまで残り三秒、二、一……
瑠衣はため息をついて、霊力による通信を遮断した。
来たりうる騒乱から戦略的撤退を決め込んだ瑠衣がブラックアウトから覚めると、自分の研究施設だった。
『仮眠』状態だったため、部屋自体の照明はすべて落としていた。
だが、いかなるダメージも無効化するケースの向こう側で、一枚のカードが脈打つようなリズムで、光の明滅をくり返していた。
紫陽花の花に、乳白色の霧がかかった特殊にして緻密な図柄。
それが神秘的に輝くたびに、膨大な資料と設備、あるいは武器兵器の数々が、闇の中に浮き出てきた。
それらに異常がないことをたしかめると、あらためて振り返った。
つい十数分前までは一キロ以上はなれたホテルにいたはずの九戸社が、頭を下げていた。
「申し訳ありません。会議の前に『デミウルゴスの鏡』の奪還はかないませんでした。『銀の騎士団』創始者『シルバー・ニアー』様」
時州瑠衣のコードネームと組織における肩書をわざわざつけ加えながら、彼女は陳謝する。その堅苦しさを内心鼻で嗤いながら、表情は微笑をたたえる。
「べつに気にすることはない。あんな会議、最初からどう転ぼうともよかった。わたしがその気になれば、小娘どもからいつだって取り返せる」
「……おっしゃるとおりかと」
「というか、そこまで気に病むなら最初の晩、『シルバー・バレット』……団長に力を振るわせれば良かったのだよ」
「とんでもない!」
『シルバー・ハイド』はかぶりを振った。
「あの女に拳を使用させれば、それこそ一撃で世界は狂乱の渦ですよ! それでは本末転倒ではありませんか」
「冗談さ。まったく君は、頭が固いんだなぁ」
と哄笑して見せる。その裏で、
――まったく、面白みもなければ役にも立たない。なんのために改造してやったと思っている?
と、嘲る。
もっとも、彼女に言ったことは本当だから腹立たしくはない。苛立ちもない。
瑠衣自身が全力になって打って出れば『デミウルゴスの鏡』なんて容易に回収できるし、それは『銀の騎士団』団長でも可能なことだ。
だから、どうでもよい。
――ともあれ、このわたしの技術をここまで無駄遣いできるのは逆に才能だな。いっそ、もう切り捨ててしまうか。
と、粗大ゴミを出すかどうかという気軽さで、瑠衣は自問する。
答えは、否だ。
九戸社自体が無能だとしても、彼女の背景にある百地一族と『銀の騎士団』は、まだ手駒として置いておきたい。
「あ、そうそう。あともうひとつ理由があったな」
「?」
社を生かしておく理由が。
「君にあるデータを渡しておく。出所がわたしだということを察知されず、ある場所へと渡るように手配してほしい。それぐらいならできるだろう?」
「ある場所、というのは」
「『騎士団』の前身。カルト教団『銀の星夜会』」
「……敵に塩を送るおつもりですか」
「敵? わたしに、敵なんてものは存在しないよ」
そう、敵だの味方だのという、対等の存在などありはしない。
ただ目の前にいるのは、利用するばかりの『駒』。
つま弾けばかんたんに倒れ、命じれば容易にうごく。
利を示せばかたむき、ちょっと善人面で甘い顔をしてやれば、よろこんで盾になってくれる。
時州瑠衣の世界にあるのは、ただそれのみだった。
「……承知。ですが、そのデータというのはいったい」
「
社の質問に、天才術者はうすく笑みを張り付かせたまま、背後の札を指でしめした。
「奴らにも、そろそろホンモノの女神サマが必要な頃合いなんじゃないのかね?」
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