第九話:巣立ち(3)

 場をかき乱した張本人の登場に、アラタの時とはまたちがう緊張が場にはしった。より直接的な怒りが、主従ふたりからクロウに浴びせられた。

 おっかなびっくり、だがペタペタと、彼は間合いもはからないままに接近していった。

「そう怖い顔すんなってば。そこの姉ちゃんも」

 筆頭幹部忍森初花は、まだ少女の域を出ていない若い娘だった。

 すごい形相でクロウをにらんでいるが、顔のつくり、ぎこちない怒りの表情から、

ふだんはもっと穏やかな性分なのだろうと思う。


「……何用か?」

「俺らもう出るからさ。別れのあいさつでも、とな」

「敗北者相手に勝ち誇りにか。しばらく見ないうちに、ずいぶんと陰湿になられましたな」


 薄笑いを浮かべて揶揄を飛ばす良順に、鳥は頭をすぼめるそぶりをした。

 それがかえって、この『吉良会』の長老の怒りに油を差したようだった。


「あの場の展開、僕の裏切り、『デミウルゴスの鏡』の乱入……すべてあなたのえがいた絵図どおりというわけか。加えて楢柴改を懐柔して味方につけ、僕を裏切らせた。つくづく、他人を破滅に巻き込まねば気が済まないお人だ」

「……俺にそんな力はないよ。今も、昔も。それは逆に俺を裏切ったお前が、いちばんよくわかっていることだろう」


 静かに青筋を立てる彼に対し、カラスは気おくれした様子をわずかに見せただけだった。気まずい思いで視線をそらしながら、「じゃ、そういうことで」とそそくさと出口へと向かう。愛嬌さえ感じる真ん丸な背を、


「なぜだ」


 という問いが止めた。


「僕だってかつてはあなたに憧憬をいだいていた。頼りにできる、思いやりのある兄だと慕っていた。だが長じるにつれ、そばにいればいるほどに、醜い部分も、脆弱な人間性も知った。語る道理の薄っぺらさも、貫く信念の浅さも」


 頭に載せていた帽子をかぶり直す。クロウは、かつて鐘山環と呼ばれていた男が振り返れば、かつての旧友がうつむいて、唇をうすく噛んでいた。


「他の連中だって同じように察していたはずだ。あなたなど、ただのどこにでもいる矮小な人間なのだと。……なのに、なぜだ? 何故どいつもこいつも、最終的にはあなたを選ぶ?」


 組ませた指に、握り固めた拳が震えているのを、初花が不憫そうに見つめていた。

 クロウ自信もまた、この男の胸中を察してクチバシを閉ざした。


 幹部候補とさえ言われた組織きっての異能者、楢柴改。

 彼女は、クロウや八葉輪との交流を経て、離反を決意した。


 組織創立以来のメンバーだった葉月幽たち。

 彼女らは、鐘山環復活の可能性という光明を見出すや、千年以上かけて築き上げた組織内の立場をなげうち、そのうえ世界さえも手にかける覚悟で、彼を救わんとした。

 良順に対する友誼さえも、振り切って。


「……きびしいことをあえて言わせてもらえば、だな門口良順。アラタたちは俺を選んだんじゃない。お前を、見限ったんだ」


 距離にして、駆けて五歩の距離。

 クロウはそれ以上は良順に歩み寄ることなく、平然と言い放った。


「裏切りや黙秘がお前の正義や信念につながると信じているなら、やれば良い。だが偉そうなこと言わせてもらえば、非道には、いや非道だからこそ、作法や根回しや他者への気配りってもんが必要だ。俺のそばにいたお前には、せめてそれぐらいは学んでいてほしかったんだがな」


 良順は言葉もなく、表情も変えず、視線だけをクロウただ一個に定めていた。

 それに、とカラスは畳みかけた。

 どうせ今日までの付き合いだ。アラタとおなじように、思いの丈をあらいざらいブチまけようと、部屋の外に漏れ聞こえるほどの音声を張り上げて。


「力や才のある人間が正しいことをしているときに、誰かがついてくるのは当たり前なんだ。でも本当に貴重なのはな、そいつが道を踏み外したときに殴ってでも止めてくれる相手だ。お前は葉月幽ユキたちにはそういう存在になり損ね、そして今、そう在ってくれるアラタを拒んだ」


 息をつく。

 重量感のある吐息は、長広舌をふるった疲労か、あるいは虚しさからだったのか。クロウ自身にも分かり得ないことだった。


「あんたが、それを言うのか……っ!? 『デミウルゴスの鏡』を、神の力の一片を、一個人にゆだねることが、あやまちではないと言えるのか!?」


 ついには身を乗り出して、良順は感情をむき出しにする。

 だが、それも一瞬のことだった。すぐにみずからの私情を収めて、面立ちを冷徹な統治者へのそれへと戻す。


「……まぁ、良い。あんたの望みどおり、こちらはこちらで好きにやらせてもらう。『デミウルゴスの鏡』は、かならず消し去る……たとえ、どんな犠牲を支払おうともな。だがあんたは、その前にまた死ぬのさ」


 いびつな笑みを浮かべて、良順は呪いの言葉を酷薄にクロウへとぶつけた。


「あの娘はすべての元凶があんただと知った。まもなく僕とおなじように、あんたに失望し、そして嫌悪する。あんたの罪は、あんたが救おうとしてモノによって清算されるのさ」


 クロウはそれには答えなかった。答えようのないことだった。

 ただ、


「もうひとつ、言い忘れていたことがあった」


 と言い添える。

 まだ何かほざくつもりか。そう言いたげに中腰のまま舌打ちする良順に、かつての戦友は言った。




「すまなかった」



 ……と。

 その謝罪は、前方にいるふたりどちらにとっても、話の流れからしても、信じられない発言だったのだろう。

 カタリ、テーブルの裏がなにかの部品が揺れる音が漏れ聞こえた。


「お前に、余計な重荷を背負わせてしまった。友に裏切られ、裏切らせ、孤独な道を長い間歩かせちまった。……ほんとうに、悪かった」

「今さら、今さら……っ! 謝るなァ!」


 彼の声も、その強固な骨格も、震えていた。


 それを何世紀以上にもわたって、外法でもってみずからを無理に延命し、存続させてきた男、門口良順。

 だが、クロウの知る彼の本質は、そして今もなお、人の機微に疎く、理詰めでなければ動けない、人付き合いのへたくそな少年のままだった。


 『吉良会』。

 それは、自分とおなじ異世界漂流者を保護するための容れ物。

 本来ならば、神の力によって暴走さえしていなければ、それは自分が運営しなければならなかったはずのものだ。

 その座に、本来その器量ではない人物を座らせてしまった。

 非はすべてではないが、自分にもある。


「だから、俺は受け入れる。お前の裏切りも、ユキの暴走も。全部飲み込み、自分の業として背負う。それを糧に生きて、自分なりの答えを探す。今までも、これからも」


 クロウは帽子を目深にかぶりなおす。


「おい、どこへ行く?」


 良順は、まるで子どもに返ったかのような、必死な調子で呼び止める。

 その問いにも答えず、クロウは帰る足を今度こそ止めはしなかった。


「いくらお前が俺を憎んでも、俺はお前の考えを否定しない。お前を拒みもしない。だから、時間を置いたらまた話でもしよう……良吉」


 そう言ってカラスは外に出た。

 持ち上げた右翼を扉へと持っていく。


「待ッ……」


 という叫び声は、扉が完全に閉じることで遮音された。




サイクル3:巨頭会談と少女の決断……END

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