エピローグ:明ける三日月


 ホテル前のロータリーの中心には、大きな樹が、車の往来に邪魔にならない程度に剪定されて植え込まれていた。その根元に腰かけていると、雲の向こう側に月がよく見える。

 私の周囲では、もともとは私を目的として集まった『超人会議』の面々は、それぞれの車に乗って退場していく。

 そのうちの何人かは目が合ったけれど、せいぜいぎこちなく微笑んで会釈する程度で、襲ってくることはなかった。

 私の力を恐れているわけじゃなく、私を襲った結果あとのことを心配しているのだろうけど。そしてハットリでこういう流れを引き寄せた立役者は、ようやくホテルの外へと出てきた。


 ただし、ひとりじゃ自動ドアが反応しないらしく、とまどいがちなボーイの足を借りて。


「ううっ、まだまだ夜は寒いな」


 だなんて世間話もそこそこに、彼……クロウは、私の隣に当然のように座ってくる。

 私はそれには答えず、ただじっと星のない空を見上げていた。

 カラスのほうはと言えば、何気なさげにふるまいながらも、どことなく居心地わるく座っている。

 なんか、初デートをしているカップルみたいな気分だった。もちろん、今の今までそんな経験があるはずもないけれども。

 ただ、そんなじれったり彼にかえって私のほうがしびれを切らして、声をかけることにした。


「環、って名前なんでしょ。そう呼んだほうがいい?」

「クロウでいいよ。もうその名も、あんまり必要なさげだしな」

「アラタから聞いたけど、人間になったんだって?」

「んー、お前と入れ替わりになったけどな」

「っていうか、もともと人間なんだ」

「え、そこから?」


 もちろん、本当に聞きたいのは、問い詰めたいのはそんなことじゃない。このロータリーみたいに、そこに踏み込もうとする気分だけがグルグルとめぐっている。

 クロウにしたってすっとぼけてはいるけれど、晴天色の両目はすこしも笑ってはいない。きっと、そう責められることを、覚悟してる。


 でも深呼吸は必要なかった。

 彼が来るまでさんざん言おうか悩んだけれど、言わなきゃ先へは進めない。そう思ってかならず訊くと決断した。あとは時をかけて、勝手に自分の口から出てくるのを待つだけだった。



「つまり、君がカミサマの力を捨てたせいで私がこうなった」

「そうだ」

「君の友達の暴走が、あの事故を引き起こした」

「そうだ」

「つまり、最初から、君の責任だった」


 クロウは、一瞬言いよどんだ。

 目をそらし、細め、それから灰色のクチバシを二、三度かち鳴らす。

 しばらく間を置いてから、噛みしめるように帽子を目深にかぶりなおし、意を決したようにまた私へと視線をもどす。


「そう」

「だとか言うと思ったかぁ!」


 そんな彼に、私は帽子の上から拳をたたきつけた。


「最初のあたりからなんとなく察しついてるっつーの! さんざん命の云々説いてきたヤツがボランティア気分で命張ってるわけじゃないって、んなこと言わずとも感づいてるっつーの! っていうか今の今まで考えてたよ! つか、来るのも言うのも遅いよ!」


 結構な力とスピードで打ち込んだはずだったけど、まるで痛みを感じないかのように、クロウは呆気にとられてキョトンとしていた。帽子がへこんだまま。

 そんな無防備な姿になおさら腹が立って、私はさらにまくし立てた。


「だから今朝言ったじゃんっ! そんなこと・・・・・もふくめて、プラマイゼロなんだよ!」


 その当時の彼が、どこまでも続く生き地獄のなか、どういう思考の果てに決断し、この結果をどこまで見越していたのか。そんなことはどうだって良い。軽蔑も、憎悪もしないかわりに同情だってしてやらない。


「とんでもないペテン野郎だとか、一度ならず二度までもハダカ見たこととか、めっちゃノーリアクションだったこととか、さんざん人をひっかきまわしたこととか、その割に超役立たずだったりとかヘタレだったりとかあげくに最後の最後で人に決断押し付けたりとか、そういうことも全部ふくめてね!」

「……ごめんなさい」

「でも良いんだよ! 恩も仇も、善も悪も、功も罪も罰も、残らず差し引いて、ここに残ったのが、いま君にゲンコツ食らわせてる私!」


 二度目の謝罪をしようとするクロウのクチバシを押さえつけて、私は帽子を彼から取り上げた。すっかり形の変わってしまったそれを整えて、私はクロウと視線を絡ませあいながら、それを優しくかぶせた。


「そして、それでも君と一緒に生きていたいっていう私の気持ち」

「輪……」

「だからさ、君も負い目とか罪の意識とか取っ払って、ちゃんと今の私を見ていてよ……っ」


 最後のあたりになると、声は涙でかすれてにじんでいた。

 ぜったいに、確信をもって言えるけど、この一世一代の告白は、想いは、さっきの宣言よりも、あるいはずっとクロウが言えなかった真実とやらよりも、ずっと重くて、言うのに勇気が必要だったことだった。

 でも、その勇気をきちんと「生きていたい」ってまじりけなしの言葉にすることで、ようやく私は「死にたい」って気持ちを振り切ることができたと思う。


 クロウは、帽子をふたたび押さえつけた。

 そして私から後ずさるように距離をとると、


「ばかだな……」


 と、声をしぼりだした。


「そんな、俺がしたことは、お前にしたことは……足し算とか引き算とかそういうもんじゃ、ないんだよ。そんなこと言われたらさ、いろいろ因果がからんで、状況が複雑で、ずっと言えなかった、言う資格なんてないと思ってたことが、言いたくなるじゃないか」


 言っていいよ、と私は声にせずうながした。

 もちろんそれでフツウ伝わるわけがなかったけれど、カラスは神妙に帽子をとった。


 ……ここに残留している霊力の影響か、それともただ単純に私が見た幻だったのか。

 まばたきをした次の瞬間には、私の目の前には、暗闇で出会った青年が立っていた。

 赤い帽子を胸に当て、黒髪を空の下にさらけ出して。


「ありがとう、輪。……この世界に来て、お前と出会えて本当によかった」


 あのときと同じ、しみじみとした温かみのある言葉。

 そしてあのとき伝えてくれなかった。自分の想い。あのとき見せなかった、泣いたような笑ったような表情。


 きっとうなずいて手を差し伸ばす私も、同じ顔をしていた。



「じゃ、アタシも素直にぶっちゃけていいか? ……イチャついてねーで、とっとと、バイクに、乗れ」



 ……そして私とクロウとの間には、アラタがあきれたように腕組んで立っていた。


「……アンタ、いっつも空気読まないね」

「読んでるさ。自分の忍耐ギリギリまでな」


 ほら、と彼女は自分の足下に置かれていたヘルメットのひとつを、私の手元に投げ落とした。ハーフ型のそれを拾い上げてかぶる。


「俺の分は?」


 とせがむクロウは、いつものカラスにもどっていた。

 アラタはつれなく容赦なく、

「お前は荷台。もしくは輪の背中にくくりつける」

 と言ってのけ、自分はさっさと駐輪している新バイクの背にまたがった。


「ん」

 私は出し損ねた手を、あらためてクロウに差し出した。

「ほい」

 と彼も、ごく自然に自分の翼を私に託す。

 そんな何気ないやりとりが、くすぐったくて心地よい。


 古都の闇を、私たちとは無関係な人工の光が照らしている。

 それらを突っ切るように、私たち三人は一塊の風になって、進むべき道へ、帰るべき場所へと駆け抜けていった。




サークレット・レガリア ~デミウルゴスの鏡~……第一部END

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