八葉輪は改造される人間である(1)

「輪のセンスが、マジで、ヤバい」


 きっかけは、ある日のアラタの、そんな一言だった。

 彼女お手製の凝った夕食を食べ終えたクロウがそれに反応して、箸を置いた。


「それ、どっちの意味だ?」

「良い方だと思うか?」

「ですよねー」


 肯んずるカラスに、アラタは言った。


「あの京都のホテルからなんとなく察しはついてたけどさ。あいつ、メジャーだとか人気だとかリア充だとかそういうものにスゲー拒否感示すのな。おかげであいつのレンタルしてくる映画、B級Z級ばっかなんだよ」


 あきらかに憔悴の色を見せてテーブルに頭を載せる彼女に、クロウは「まぁまぁ」と、やんわりと翼を持ち上げてなだめた。


「好みは人それぞれじゃないか。それに俺にとっちゃどれも楽しめたぞ」

「こないだ見たとき、あんた途中で爆睡してたろ」

「まー許してやれって。輪は『鏡』が入る前にも、過酷な人生をおくってきたんだ。社会とのズレがあるのもしょうがないだろ」

「映画の話だけじゃない」


 アラタは顔を上げ、ソファに転がっている物体を指でさした。

 巨大なサメが、うつぶせにその場を占領していた。

 デフォルメされて愛嬌があるならまだよかった。だが、それは肌の質感といい、剥きだした歯茎といい妙にリアルで、お世辞にもカワイイとは言えなかった。

 物言わず、不動のまま圧倒的な存在感を示すそれを、一人と一羽はしばし無言で見つめ続けていた。


「今日びパーティーグッズでもこんなの買わねーっつの! 映画は棚にしまっとけば良いが、アタシのプライベート空間まで珍品で浸食するなって! この部屋はビレバンじゃねーんだぞッ!」


 そう声を張る彼女に、クロウはこれ以上輪をフォローする言葉を知らなかった。


「というわけだ。週末、輪に世間一般の教養をたたき込む。高校生活がはじまる前に、あの生活無能力者が孤立しないよう、改造をほどこす!」

「おー!」


 力説するアラタ。拍手ならぬ拍翼をするクロウ。そんなふたりの背後、今まで彼女らが見ていたソファから、


「あのさ」


 と声が聞こえた。

「本人の目の前で、なんでそんな話するかな」

 サメが、もといそのブキミな『着ぐるみ』をパジャマがわりにしていた八葉輪のものだった。

 体の位置を横にズラすと血まみれのサメの口から、彼女自身の不満げな顔が現れた。

 ……いや、元々そんな顔はしていたが。


「起きてたなら会話に加われっての。お前の話だぞ」

「……どうぞ、お気遣いなくおかまいなく。ほっといてくださいまし」


 もぞもぞと、ふたたび睡眠にもどろうとする当人の眼前に、アラタが身を寄せ、顔を寄せた。


「つーわけだ」

「何がだよ」

「デート行くぞ、輪。そして女子力を高めろ」

「あんた、やっぱりそんなシュミが……」

「ねーよ。百歩ゆずってあったとして、テメーのカッコ見てから物言え」


 食後の緑茶をどう飲むべきか。

 自分のクチバシの角度を考えながら、クロウはふたりの成り行きを見守っていた。


「高速道路ん時はもっとマシな服だったろ? どうしてこうなった」

「いやぁ、あの時は相生さんが選んだやつだったし」

「……なんで本人よりも男がPAでテキトーに見繕ったヤツのが体裁ととのってんだよ」

「だいたいデートってなにすんの」

「主に服を買う。あと、映画を見る。メジャーなヤツな」

「あぁ、『キミノナ』とか」

「……略せてねぇ」


 輪はふっと視線をそらした。

 そのままうつぶせになり、陸に打ち上げられた人食いザメそのものになる。


 しばらく、そのまま輪の返答を待つ時間だけがながれた。


 が、きっかり一分後。

 輪はその身をはじけさせた。着ぐるみのまま器用に飛び上がると、ソファの背を飛び越えてロフトへ逃げ込もうとする。


「させるか!」


 前もってその行動を予測していたらしいアラタが、手を突き出した。

 部屋の影から飛び出てきた『トライバルX』の包帯が輪を絡めとり、ソファへと引き戻す。


「いやだ、いやだーっ!」


 拘束されながらも、拒絶をはっきり示してジタジタと跳ねる輪の姿は、まさに投網にかかった魚類そのものだった。


「どうせ私にオシャレとかムリなんだーっ! ちょっとシャレたもの着ようものなら『カンチガイバカ』とか『サブカル気取りのブス』とか陰口たたかれるんだー!」

「なわけあるかよ!」

「そんなカッコでスタバ入ろうものなら鼻で笑われて入店拒否された挙句に客に半笑いで写メ撮られてツイッターで拡散されるんだー!」

「いねーよそんな奴ら! お前の世界観悪意に満ちすぎだろッ!」

「だいたいあいつはどうなのさ!?」


 のたうち回る輪は、手ビレの自由がきかないので、アゴでクロウを示した。


「全裸だよ全裸!? アレに比べたらマシじゃね!?」

「鳥と張り合うな!」


 こちらに飛び火したあげくに露出狂あつかいとはたまったものじゃない。

 クロウは憤慨し、反論した。


「おい、見てくれはこんなんだけどな。中の人は服着てるんだぞ。それにこの毛並みにしたって、シャンプーとリンスを使うし、お風呂上りも三十分たっぷりかけてケアしてるんだ」

「……妙に減りがはやいと思ったらあんたのせいか。っていうか、美容意識が鳥に負けてるぞお前!」

「なんかイヤだー!」

「じゃあどうにかお前もオシャレがんばれよっ!」

「それはもっとイヤだーっ!」


 ひとしきり騒ぎ続けた輪が、落ち着いてしぶしぶそのデートを承諾したのは、小一時間後のこと。

 抵抗し続けて気疲れしたのと、『ヴァンパイアVSガッジーラVSシュモクシャーク』を買ってやるという条件をアラタに呑ませたからだった。


「……付け焼き刃じゃなくて、根っこのとこ変えなきゃダメなんじゃないか?」

 というクロウのぼやきは、真夜中と疲労とで妙なテンションになった少女の喧騒に飲み込まれた。

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