八葉輪は改造される人間である(3)

「それ、全部着終えるまで出さないからな」


 試着室の前で仁王立ちしたアラタが、胸の下で腕組みをしながら言った。

 彼女自身が選定した流行りの服を室内へと放り投げていく。そのたびに、もぞもぞと、色気もない、怠惰な衣擦れ音が中で聞こえてくる。

 まるでそこに非難めいた感情が込められているようで、アラタはふかくため息をついた。


「あのな、別にファッションモデルとかカリスマになれとか言ってるわけじゃねーんだ。オシャレなんて、それこそ上を見りゃキリがないからな。ふつうに生きてくぶんには、それなりのモンTPOわきまえて着てりゃいいんだ」

「だったら、今のままでも」

「お前の場合TもPもOもねーだろが。さっさとそれ着て出てこい」


 ぶー、と声に出して輪は不満を示す。

 中の音が、一瞬途切れた。


「……ブラって、どうやってつけるんだっけ」

「……お前、マジか」

「いや、冗談だから。それぐらいは分かってよ」

「ウソかホントかわかんねー冗談は止めろ」

「え、私あんたの中でそんなレベルなの?」


 冷静になってみれば、下着を渡した覚えはないから輪がそれらを着脱する必要などないとすぐにわかるのだが、それでもツッコまずにはいられなかった。

 再開された衣擦れの音。

 そして開かれるカーテンの先に、新生八葉輪がおずおずと立っていた。


 下地の良さはそのままに、写楽を脱ぎ捨てた輪は、清楚で無垢な美少女像そのものだ。


 デニムの上着に、白のワンピース。着る手間やごちゃごちゃした装飾を嫌がる輪の意向を、ある程度汲んでのコーディネートだった。

 昨晩クロウがぼやいたように、付け焼刃の一過性のオシャレでなく、日常的にそういったものを着させる習慣をつけさせなければ、意味がない。


 その裾からのぞく脚が、目にまぶしい。くるぶしまでのラインもコンパクトで美しい。

 不摂生な生活に慣れ、化粧っ気も美への執着もないこの女の肌がきれいなのは『鏡』の効能によるものか、天性の代謝能力によるものか。


「ど、どうよ」

「おー、良いじゃん」

「……自分で着せといて、ぼんやりした感想ばい」

「いい加減ブッ飛ばすぞお前」


 ここまで世話を焼かせておいて、小言を食らわせるとはなんという恩知らずだろう。

 と言いたくなったが、アラタが苦言を呈する前に、輪の視線はべつの対象に向けられていた。


「クロウは、どう思う?」


 つとめて平静ぶった調子でそう尋ねた輪に、


「うん。肌薄いしクリアだから、似合うな、白」


 と、カラスは紙袋から頭部を半分出して、率直な感想を輪へとつたえた。

 店内だからそれは大声でもなく、飾り気もないものだったが、


「……ん」


 と、輪は前髪を指先でつまみながら、わずかにはにかんでうつむいた。

 言葉の量も質も、アラタもクロウも同等のはずだが、いったいこの反応の違いはなんなのか。

 それとなく察しているアラタは意地悪い笑みを隠さず、

「ふぅん?」

 と鼻を鳴らし、輪の表情を仏頂面レベルまで引き戻した。


「……なに?」

「べえっつに」

「……なんかイラッとくるなぁ」


 ふくれた輪はそろえられたスニーカーを履きなおして、試着室から出てきた。


「おい、まだ着てもらうもの大量にあるんだけどな」

「いーよもう。映画行く前に疲れちゃうじゃん。これで……ううん、これが、良い」


 目を細めてアラタたちを顧みて、少女は明るくそう言った。

 笑うか笑わないかという微妙な表情の変化だが、ぐっと胸をつかまれるような、力を持っていた。


 しばし見惚れに近い感情でそれを見守っていたアラタだが、遠のこうとするその背に値札とタグがついたままなのを見て、

「ったく」

 と毒づき、『クロウ入り袋』を手に取って追った。


「まぁ本人もちょっとはやる気になったみたいだし、今回はこれでよしとすれば良いんじゃないか」


 そう言ってクロウは彼女をなだめたが、実は彼女なりの下心が今回の服選びにあったのは秘密だ。あわよくば、『アラタ自身のキャラには合わないけれどデザインは気になっていたものを輪に着せてみたい』だなんてことは。


 肩をすくめて、彼女は輪を捕まえた。

「これで私も、ちょっとは文明社会になじめたかもしんない。それじゃあデートのお相手頼むよアラタ君」

 そうドヤ顔でうそぶく彼女に


 ーーこのコミュ障特有の距離感のとり方のヘタクソさが、微妙にイラッとくるな……


 だなどと思ったのもまた、空気を読んで秘密にした。




 なお、

「エラそうなこと言っといて、なんで映画館入った瞬間グロッキーになってんだよ……?」

「ガブプルビバイグオナドゥオコヅェテグナアラタのアホ」

「……あんだって?」

「あー、つまり要訳すると『人ゴミに酔っちゃいました』ってとこだな」

「そーか! なんか最後にアホ呼ばわりされたけど気のせいかそーかそーか!」

 ……という顛末オチがついた。

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