クロウの女難歴(1)
春とは言え、三時を過ぎると太陽はわずかだが傾きを見せていた。
アラタたちの部屋の玄関先、スニーカーの靴ひもをぎゅっと結ぶアラタに、クロウを小脇にかかえ、怪獣の着ぐるみ姿の輪は声をかけた。
「どこ行くの?」
「フェス。お前も行くか?」
「あー、無理。人いっぱい。オマケに男の子が生物学上の女ならなんでもいいってぐらいギラギラしながらナンパの機をうかがってるんでしょ」
「だからいねーよそんなヤツ! だいたいそう言うセリフは着ぐるみ脱いでから言えッ。なんで買ったやつ着ねーんだよ!?」
「いやぁ、なんかもったいなくて」
「ふざっけんな!」
情け容赦ない言葉を浴びせるや、サッと部屋を出る。しばらくしてから、駆動音を響かせて駐車場から発ったNinja《バイク》の姿があった。
花が吹き惑うなか、流れるような一連の所作をするアラタの姿は、華やかさと力強さとが同居している。
高嶺の花とは別の意味で、男性が近寄りがたい趣がある。
「こりゃ当分、あいつにオトコなんてできそうにないわ」
「お前が言うな」
「私は良いよ。クロウがいるし」
「……せめてスカートを履いて言うもんだ、そーいうセリフは」
遠のいていくタイヤの音を聞きながら、くあ、とひとつ、少女はあくびを落とす。
そんな彼女のケータイに、着信が入った。
それはついさっき出て行ったアラタからの指示で、帰ってくる前に米を炊くように、とのことだった。
「……お前にできるのか?」
「キミみたいなお爺ちゃんが生きてた時代と違ってね、一時間もありゃホッカホッカの白米が炊き上がるんだよ」
「いや炊飯器の存在は知ってるけど。問題は、その家電を使えるかだろ」
クロウが感じているであろうこととおなじ危惧を、アラタも抱いてるのだろう。
続けて送られてきたメッセージには、
『わからなかったらクロウに聞くこと!』
とあった。
それが、なおさらに心外だったのだろう。
輪は意地を張るようにして言った。
「……まぁ見てなよ。一時間後には本物の白米を食べさせてあげますよ」
半時間後、輪の前には炊飯器が湯気を発していた。かぐわしい香りが立ち込め、部屋を満たす。
排気口からはぐらぐらと音を立てている。
「これなら、もう三十分もすれば美味しい白米が炊き上がるに違いない。たぶん」
輪はわずかに語尾をにごした。彼女の確信が揺らぐ理由は、ただひとつの懸念要素。
炊飯器からブクブクと、際限なくあふれ出る泡の存在だった。
あと炊飯器自体がミシミシと異音を放っているし、アニメチックに左右に揺らいでいる。
ふぅ、と息をついて、輪は米の臭い充満する天井を見上げる。
「もう、不毛な思案はよそう。現実逃避はやめとこう」
そう決意をして、少女は敬礼をしながらスマートフォンを手に取った。
「というわけで、クロウがフラグ立てたせいで任務失敗しました、少佐どの」
『なんでだよっ!?』
「というか俺のせいじゃないだろ!」
アラタとクロウの厳しい糾弾が、部屋の中に響き渡る。
『なにをどうすりゃそうなんだよ!? クロウに聞いたか!? 説明書は読んだか!? ネットは!』
「読んでない!」
『水入れたか!?』
「柔らかめが好きだから目一杯入れたよ!」
『ちゃんと目盛りどおり入れただろうな!』
「えっ、そんなんあるの」
『おーまーえー!』
「どのツラ下げて任せろって言ったんだお前!?」
さすがの豪胆女傑も、開いた口がふさがらないだろう。
通話先のバックではロックな音楽が鳴り響いていたが、アラタ自身はしばらく無言でいた。
だが、
『とりあえず弁当帰りに買ってきてやっから! お願いだからそれ以上は何もすんなよ、言いなっ!?』
良いな、と確認と了解を取りながらも、一方的にまくし立てて、切断された。
「なにも触るなって」
「……触るな、って言われても、これほっといたらまずいだろ!?」
スイッチを切らずに放置されていたジャーの排気口からは、際限なく湯気と、そしてあぶくが漏れ出ていた。
それがはじけると糊をふくんだ湯水となって、床に満ちていく。
しかも浸水していくその先にあるものを見て、「だぁっ!?」とクロウは悲鳴をあげた。
「あれは、なんか! なんか、濡れたらアウト的なレコードとか雑誌の山が!」
「それはヤバイ! ご飯のせいでご飯抜きにされちゃうよ!」
「いやそういう問題じゃないしそれで済めばいいほうだ!」
明らかに整理の途中といった感じで積み上げられているものは、あの数寄者のアラタのことだ。文化面でも価値のある珍品名品に違いない。そういったもの特有のオーラのようなものが、立ち上ってくるかのようだった。
「うおぉぉぉ!」
クロウは覚悟し、そして決断した。
水が向かう先にみずからの矮躯を横たえ、せいいっぱい背伸びし、すこしでも面積をかせぐ。そうして自らの肉体を盾に、ホカホカの米汁がそれ以上侵していくのを阻止した。
「クロウ!」
「あ、あちちち! はやくッ、スイッチを切るかそれを非難させてくれーっ!」
「案外いい匂いするけど、これ水抜いてったら割と食べられるんじゃない!?」
「はよ切れェー!?」
数分後。
スイッチを切ってもあふれ出てきていた水もようやく止まり、アラタのコレクションもなんとか被害をまぬがれることができた。
ただ、その代償は大きかった。
もはやおじやなんだかおかゆなんだかよくわからない白い物体と……カピカピに体毛を凝固された、黒い鳥類。
「炊飯器……なんておそろしい家電なんだ」
「怖いのはお前だよ」
「なんか君スゴイね。小学生が夏休みの宿題で一日で強引に作ったペーパークラフトみたいになってるよ」
「……あの、コメの研ぎ汁とか残り粒ってさ、俺らの
そう言って、唯一マトモに機能する青色の瞳で、ジロリと輪をにらんだ。
「……ゴメン」
さすがに罪悪感を感じているのか、今の輪は妙にしおらしい。
着ぐるみ姿であることをのぞけば、その姿はまっとうに愛らしくて、つい許してしまう自分の甘さを、クロウは自覚した。
「……なんで俺の周りの女は、いつだってこう愉快なのばっかなんだ……」
ただ思わず、そんな言葉がちいさくクチバシから漏れ出た。
「輪、俺シャワー浴びてくるからさ。後始末頼む……ん? どうした」
輪はと言うと、じっとカラスの顔を見つめていた。
だが、まるでそんな自分におどろいたかのようにハッと目を見開いて息をこぼしてから、
「ううん、なんでもない。っていうか、オワビで、私がお湯沸かしてくるよ」
「えー、今度はだいじょうぶかー?」
「……さすがに、給湯システムのスイッチ入れるだけの簡単なオシゴトはできるよ……」
輪は不本意そうに唇を尖らせた。でもそれならば、わざわざ彼女がおもむくまでもないだろうに。
首をひねるクロウはそこに作為めいたものを感じたが、危害をこれ以上、くわえる意思は感じられないので甘えることにした。
「もったいね、もったいね」
彼女が支度を終えるまで、せっせとタッパーに米を似た物体を詰めて待つ。
「いいよー」
と声があがったのは、クロウが見積もっていた時間よりだいぶあとのことだった。
やっとか、と立ち上がったクロウは脱衣所で帽子を洗濯機へと放り込み、お気に入りのシャンプーハットを身に着けた。だが、輪の姿はもどこにも見当たらない。死角となる位置をのぞきこんでも、彼女の姿はなかった。
疑問符を浮かべるクロウだったが、彼の当面の急務は、米汁を洗い流すことだった。
洗面器を右翼の脇にかかえて一畳ほどの浴室に入り、彼はしばらく思考も、姿勢も、硬直させた。
「さ、どーぞどーぞ」
捜していた輪が水着姿で正座して、シャワー片手に自分のヒザをたたいた。
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