第六話:呼ばれて、飛び出て……誰?(2)

「ほら、車内でチラッと話しただろ。こいつとは、古いなじみなんでな。この間もかくまってもらってたし、」


 再会のよろこびのあまりか、帽子をイスに投げつけて、クロウは声を弾ませて言った。

 そんなふたりの姿を、胡乱げに見つめる輪。彼女と旧友ふたりの立ち姿を交互に見合いながら、相生は咳払いをした。


「ふたりとも、刻限ですので、どうかお急ぎを」


 良順はシャープなアゴをほんの少しだけ上下させ、まず一番に部屋を出た。

 あとに続こうとするクロウを、「おい」と乱暴にアラタが呼び止めた。


「帽子、忘れてる」

「おう、悪いな」


 と、アラタは一度は投げ捨てられた赤帽子を拾い上げると、彼にかぶせなおした。


 相生は吐息を漏らしながら、良順の視界をさえぎるような位置からカラスの翼を引いた。


「そいじゃ、行ってくるわ」

「ん」


 まるで物見遊山のような調子で言うクロウに、わずかに輪は首を動かした。


 そこになんらかの訴えを汲み取ったらしく、クロウはほがらかに笑声をとどろかせた。


「まっ、そんな顔するなって。後でちゃんとお前にも説明してやるし、俺がお前の安全を確保してきてやる。お前を処分なんてさせない」


 空色の目がチラと良順のほうを向いた。


「多分させないと思う。させないんじゃないかな……ま、ちょっとは覚悟しておけ」

「情けねー関白宣言だな!」


 アラタが容赦ない言葉を浴びせ、一拍子置いてから、相生はそのままクロウの羽を引いて強引に外へと連れ出した。

 針のような輪の視線を、背に受けて。


 ーーやれやれ。

 と、時州の嫡子は息をつく。


 感情表現というものがとことんヘタな輪の機微は、クロウでなければ読むことができない。今が彼女にとっての運命の分かれ道であることはうたがう余地もなく、ヘタに機嫌を損ねられても困るから、彼女のメンタルケアに関してはクロウや同性のアラタに頼るほかない。

 もっとも、そのふたりに関してもいまいち信用ならないというか、腹の底が見えないのだが。


 とくに、このクロウはヘタをすれば輪以上に扱いづらい。

 話が通じるし、感情豊かでとっつきやすくもある。だが、いまいち締まらない、頼りにならないうえに飄々としている。

 そんな態度は、子どもっぽく押し黙り、消極的な少女よりも読みづらい。

 そしてそれ以上の、だ。


 ーー鳥の表情なんぞ正確に読み取れるか。


 内面はともかく、せめて相手の外見が人間であったのなら、いくらでもカマのかけようや駆け引きのしようがあるというものなのだが。


 何度とも、胃に穴ができるほどにくり返した嘆息を、相生は今また胸中にこぼした。


「皆様、お待たせしました。例のカラスを連れてきました」


 さっさと部屋に戻っていった良順に続き、相生は朴訥と口上を述べてから『藤の間』のドアを開けて、一礼して入室する。

 大物たちの目が、一斉に自分たちのほうを向き、相生はいかつい顔をさらに強張らせて萎縮した。

 だが、そんな彼に負けないぐらい、かの傑物たちの表情も、奇妙なものだった。

 困惑、疑惑、あるいはごく一部で冷笑が浮かんでいた。

 先に面通しをしたはずの良順でさえ、わずかに驚きを見せていた。


「……その男性が、あなた方の言うところの、『カラス』なのですか」


 そんな彼らを代表するかのように、早瀬須雲はたずねた。

 彼女の脇で、部下が嗤っている。


 そこでようやく、相生はみずからの隣を見て、彼らと同じように絶句した。

 見知らぬ男が、立っている。


 年頃は十代後半か二十前半といったところか。

 中背を安物のワイシャツとズボンと、朱色の長羽織で包み込んでいる。

 目鼻立ちにはそことなく気品があるが、所在なく視線を左右させる様子はいまいち頼りなく、ただよう全体的な雰囲気は「親戚の気の良いおにいちゃん」といったところか。

 ただ異質な点を挙げるとすれば、妙に気視感をおぼえる青空色の瞳ぐらいなものか。


 いや、両目だけではない。

 どこかのカラスの羽を思わせる黒髪、全体を包み込む妙に脱力する雰囲気、赤色のハット。そして当のカラスが消え、代わりに彼が現れたこと。

 以上の点をかんがみれば、この冴えない青年があのカラスの正体、ということになる。


「……おぉ! 戻った、戻ったぞー! あれはあれでメリットがあったけど、やっぱ人間の身体ってのも良いよなっ、なぁアンちゃん!」


 そこで彼自身が、みずからの変化に気が付いたようだった。

 心底嬉しそうにはしゃぎ、唖然とする相生の肩を、満面の笑みでバンバンはたく。


 ……たとえ人間になっても、クロウはクロウそのものといった感じで、やはりその心底をのぞくことはかないそうにもなかった。

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